人が怖いと感じる自分と付き合っていく生き方の勘所(かんどころ)

(2019/11/07記事更新)この記事では読者の方からの相談にお答えしています。
相談内容は「『人が怖い』という感情にとらわれることが多いが、このような自分とどのように付き合っていけばよいか?」というものです。

1.相談内容

ありのパパ様、いつもブログの更新を楽しみに読ませていただいております。
私はACであり、AAのグループやEAのグループに出席しはじめて間もないのですが、自分のことを話すというのがとても苦手で、参加会場の前まで来て憂鬱になり、引き返すこともたびたびあります。

人が怖いという感情にとらわれることが多く、仕事以外はどうしても引きこもりがちになっています。
人の多いところに行く場合は自分を奮い立たせて行っているのが現状です。

以前カウンセリングをうけたことがあるのですが、そのカウンセラーからは「あなたは人間関係にしへきしている、自助グループに行きなさい」と言われたことがありました。
人間を恐れて距離をもってしまうか、極端に依存してしまうかのどちらかになってしまいがちな自分がおります。
適切な距離感というのがわからずにいます。
「このまま一人なのかなぁ、、ずっと一人でいるのかなぁ」と、ときおり不安になります。

こういった自分とどのようにつきあっていけばよろしいでしょうか?
ご教授いただければ幸いです。

2.相談へのお答え

こんにちは、しんさん。
ご相談をくださり、感謝をいたします。
さて、ご質問に対する答えは既(すで)にしんさんご自身がお答えになっておられます。
それでも「これにて一件落着!」という訳にもいきませんので、一つ一つ見ていくことにいたしましょう。

①人が怖いという感情

ありのパパにも人が怖いという感情があります。
昨日久しぶりに対面式の電車に乗ったのですが、やっぱり向こう側に座るお客さんの目が気になりました。
大学生のときは、それが苦しくてたまりませんでした。

しかし、それから何十年もたった今は、気になることに変わりはありませんが、自分が自分自身に対して「だから何?」と一人突っ込みを入れています。
「あぁ、そうか。気になるんだねぇ~」とセルフカウンセリングも特別サービスしてあげます(笑)。

今では同じ車内にいる人の中で、だれが人の目を気にしているか分かるようになりました。
そして「この人が人の目を気にしている原因はなんだろうか?」なんてことを考えている間に電車は目的地に到着するという寸法です(笑)。

②劣等感と劣等コンプレックスの違い

誰にでも劣等感はありますし、むしろそれは健全なものです。
たとえば背の低い男性は一般的に言って背の低いことに対して劣等感をもつものです。
しかしそれをコンプレックスに感じている人は少数です。

また貧乏な人は貧乏だということに劣等感をもっているかもしれませんが、コンプレックスをもっているとは限りません。

劣等感とは自分が誰かよりも劣っているという事実に対して持つ感情です。
コンプレックスとは劣っている自分はダメな存在であるとの自己認識です。
この二つのものは似て非なるものです。
劣等感は笑い飛ばすことが出来ますが、コンプレックスは生きる力を殺(そ)いでしまうものです。

3.視点を転換する

①苦しみがなければ成長できない

「苦しみに出会ったことは私にとって幸せでした。なぜならそのことによって私はあなた(神)の掟(おきて)を学ぶことが出来たからです」(聖書の言葉)

神は人に苦しみを与えることによって幸せを見い出すことができるように導いてくださいます。
「そんなバカな!幸せを願っているなら、素直に幸せをくれよ。まわりくどいことをするなよ!」と思われるかもしれません。

しかし私たちはみな我(が)が強いので、苦しみを与えられて一度ぺっちゃんこにならないと本当の幸せが何なのか気づかない存在ではないでしょうか?
それが神が私たちに苦しみをお与えになる理由かもしれません。

②「ありのままでよい」とは、どういうことか?

ありのままで良いという言葉は一見うるわしく感じます。
しかしそうではありません。
ものすごくシビアな言葉です。

なぜなら、ありのままで良いとは言い換えると「あなたは治らない。治ることを諦めたあなたに代わって神があなたを通して働く」という意味なのです。

「げげっ!そうなの?それは困る。私はきれいサッパリ治らないとどうしても困る」と言われるでしょうか?
治るというのは症状が消えて以前の状態に戻るということです。
しかし回復とは神が私を通して働いてくださることによって、治るよりも素晴らしい人生を送ることが出来るということです。

4.ご自分が既にもっている答えとは?

神の答えはいつでも自分の足元に既に置かれてあります。
しんさんはご質問の中で「自分とどのようにつきあっていけばよろしいでしょうか?」と言われました。
この言葉の中で重要なのが「付き合う」という言葉です。
少なくない人々は「こんな自分でなければよい」と思っており、中には「もう付き合いきれない」と自分自身との関係を切ってしまう人もおられます。
しかし、しんさんは「どのようにつきあっていけばいいかな?」と前向きに考えておられます。
ここに答えがあります。
即ち「自分自身を見捨てないこと」です。

①自分を見捨てないとは、どういうことか?

それは「これが出来たら合格、出来なかったら不合格」という定規(じょうぎ)を自分自身に当てるのを止めることです。
この合格とか不合格という言葉は別の言葉にすると「これが出来るあなたは生きていてよい、しかしこれが出来ないあなたは生きていたらいけない」という言葉になります。
この二元の壁を打ち壊して「出来ても合格だし出来なくても生きていて良いんだよ」と自分自身に言ってあげる生き方が自分を見捨てないことです。

②自分を見捨てないでいると、どうなるか?

素晴らしいことが起きます。
しかし、はじめから結果狙(ねら)いでいると決してうまくいきません。
結果も何もかもみな手離して、あとは神様にお任せです。

◎回復と平安を祈っています。

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2件のコメント

  1. ありのパパさん、こんにちは。

    ご回答ありがとうございました。
    自分を見捨てずに自分のペースで旅を続けようと思います。
    東京の2週目に出られているんですね。
    都内へ出ることは稀ですが、いずれお会いできるかもしれませんね。
    またいろいろ質問させていただきますね。
    ブログ更新楽しみにしております。

    これからもよろしくお願いいたします。

    1. おはようございます、しんさん。
      コメントをありがとうございます。

      そうですね。自分を見捨てなければ必ず道は開けると信じます。
      またどこかでお会いできることを楽しみにしています。

      ブログの更新を楽しみにしてくださる、しんさんをはじめとする方々が私自身の励みとなっています。
      本当に有り難いことです。感謝をしております。

      またコメントしてください。お待ちしています。

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