(2019/11/07記事更新)カウンセリング的アプローチとは何かを知りたいと思っている方はおられないでしょうか?
この記事ではカウンセリング的アプローチとは何かを明らかにし、具体的なやり方を解説しています。
1.カウンセリング的アプローチとは何か?
①受容的アプローチ
人と接するときに受容的な雰囲気を醸しだしているか、それとも対決的雰囲気を醸しだしているかによって、相手の反応はほとんど決まってしまいます。
即ちこちらが受容的な雰囲気を持っていると、相手も好意的な反応をこちらに返してきますし、こちらが敵対的雰囲気を持っていると、相手も敵対的な反応を返してきます。
このような話をすると、ある人(あ~るさん⇨Rさん)は「私はちっとも敵対的な雰囲気を持っていないのに、相手が勝手に敵対的になってしまうんです」と寝言のようなことを言われます。
まったく寝言は寝ているときに言ってほしいものです(笑)。
「私のどこが敵対的なんですか!(怒)」
そういうところです(笑)。
②受容的とはどういうことか?
受容的とは端的に言って自分の心の中で相手に向かって「治らなくていいよ。ありのままでいいよ」と言ってあげている状態のことです。
こんなことを言うと、さきほどのRさんが「『治らなくていい』なんてあるわけないでしょ!」とボルテージをますます上げてしまいそうです。
しかしこれにはしっかりとしたカウンセリング的な根拠があります。
どういうことかと言いますと「治らなくていい」というのは「私たちは一生治らない。このままだ。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう」という意味が含まれているのです。
Rさん:「なぁ~んだ。やっぱり治るんじゃないの」
ありのパパ:「いいえ、治るのと回復するのとは全く別のことです。」
たとえば風邪は治る病気ですが、糖尿病は治らない病気です。
糖尿病にあるのは病気と仲良く付き合うことによって病気の症状をこれ以上進行させないという意味における回復です。
Rさん:「どっちでもそんなの同じよ!」
ありのパパ:「いいえ、そうではありません。」
治るということを諦めない限り、人は回復に専心しようという気にはなりません。
ですから、どうしても人生のどこかで治るということを諦める必要があります。
私たちは治らない存在である。
この治らないということを認めるのが回復のための大切な第一歩になります。
③傾聴的アプローチ
一言で言うと「黙って人の話を聴く」ということです。
ここでもまたRさんが登場します。
Rさん:「そうよね~。大切よね。(『私は出来てる』とお腹の中でささやく)」
ありのパパ:「では本当に出来ているかどうか確認しますので私の話をこれから聞いてください。ストップウォッチで計ります」
このような場合、黙っていられるのは大体3分間と相場が決まっているようです。
3分経つと「そうは言ってもね」とか「でもね、こういう考えもあると思うの」とか色々言わなくても良いような言葉がどんどん口から出てくるようになります。
④支持的アプローチ
支持的アプローチとは「私はあなたの味方です」という心をもって相手に接することです。
味方とは腰巾着(こしぎんちゃく)でもありませんし、おべんちゃらでもありません。
人様の苦労話を聞かせていただくときに「それは自業自得というものよ」とか「あなたにも問題あったんじゃない?」とか言ったり思ったりせずに、「あなたとして最善を尽くされたのに願ったようにならずにさぞ残念なお気持ちでしょう」と言うことです。
⑤繰り返し・質問アプローチ
これは心の中で「この話、早く終わらないかな」と思わないことです(笑)。
かえって相手に自分がしっかり話をお伺いしていることを伝えるためにも、相手のお話の要点を繰り返すことです。
そのとき「そういう」という言葉を使わないようにします。
なぜなら「『そういう』ってなんじゃ!」と相手が心中で突っ込むからです。
具体的言葉を繰り返すようにします。
⑥明確化アプローチ
これは相手の方が心の中で薄々気づいていることを言葉にして差し上げ、相手の気づきを促進することです。
決して相手の方が思ってもいないのに「いや、あなたはそう考えているのに違いないのよ」と自分の考えを押しつけたりしてはなりません。
具体的にはお子さんのことで悩んでいる方がおられるとします。
お話をお伺いしていて、どうやらその方が問題を感じているのは別のところにあるという感じを受けたとします。
そのような時「『そろそろ子離れするべき時期かな』とお考えでしょうか?」と返してみます。
2.カウンセリング的アプローチする側の心のありよう
①人に言っていることを自分が生きている必要がある
ありのパパは初期の頃、人には「ありのまま・ありのまま、いつでもどんな時でもありのまま」とバカの一つ覚えと言いますか、念仏のように唱えていました。
しかしある時、自分のお腹の中ではちっともありのままでいいなんて思っていないことに気づきました。
それはまず自分自身に対して「治ってほしいな」「一切の罪を脱ぎ捨てて、きれいさっぱり何もなかったように振る舞いたいな」と強く思っていたのでした。
確かに頭の中で神学的には「それは栄化のときに起きることであり、肉体をまとっている時には起き得ないこと」と理解していました。
しかし頭の中の理解と心の中は甚(はなは)だしい不一致の状態でした。
②まず自分自身に対してありのままを認めてあげよう
現在では毎朝の祈りと黙想の時間に「私は治らない。ずっとこのままだ。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう」と宣言しています。
有名な平安の祈りに「神様、私にお与えください。自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。変えられるものは変えていく勇気を。そして二つのものを見分ける賢さを」とあります。
自分に変えられないものを変えていこうとする蛮勇(ばんゆう)こそ、人生を破滅に導くものです。
なぜなら変えられないものを変えていこうとしている時、変えられるものを変えていく努力はほっぽって置かれるからです。
有意義な人生を送ろうとするなら、どうしても自分に変えられないものは何かを知り、その変えられないものを受け入れる落ち着きを願い求め、同時に変えられるものは変えていく勇気が与えられるようにと神に祈り求めなければなりません。
③カウンセリング的アプローチを否定し続けると人生は破滅する
ありのパパの若いときに、ある方が執拗に「『ありのまま』なんて聖書的ではない。聖書は自分を否定することを教えている」と主張し続けた方がおられました。
しかしその方は何十年も経ってから女子トイレに隠しカメラを仕込んで盗撮しようとした罪で逮捕されました。
ありのパパがその方に申し上げたいことは「何十年も前にカウンセリングを否定した時のあなたは聖書一本の好青年でした。しかし我力(がりき)で聖書の教えを実践しようとするなら、どうしたって人生は破綻せざるを得ないのです」ということです。
この文章を読んでおられる方にはまだ時間的余裕があります。
どうぞ「もう遅い」という日が来る前に、身を翻(ひるがえ)して心を翻して、聖書のカウンセリング的アプローチを受け入れて頂きたいと願っています。
◎平安と祝福を祈っています。