ウソをつくことと不正直の違い。ウソも不正直も結局人生を棒に振る!

(2019/11/04記事更新)ウソが上手い人や本音と建前を使い分ける人は人生を棒に振ることになります。
この記事ではなぜそんなことが言えるのかを明らかにし、そうならないためにはどうしたら良いのかを解説しています。

        

1.正直と不正直

①正直に生きるとは、どういうことか?

正直というと「バカ正直」とか「正直者はバカを見る」とか余り良いイメージがありません。

確かにありのパパも正直ということを高く見積もっていませんでした。
ただ子供のときから嘘(うそ)が下手(へた)でよくばれて叱(しか)られていました。

そのため、ある時に「これは全然嘘をつかない人になるか、嘘の達人になるかどちらかを選んだ方がいいな」と考えました。
中途半端に嘘をついたり、つかなかったりする生き方は結局のところダメージがもっとも大きいと考えたのです。
その結果、全然嘘をつかない生き方を選び取りました。

嘘をついてごまかしたいという誘惑を来たとき、それを退けて真実であり続けるのです。
この選択は何十年も前のことですが、いま振り返ってみて本当に正しい決断をしたと思うことです。

②不正直とは、どういうことか?

「正直」を「不正直」と対比させて考えてみます。
嘘をつくことが積極的に虚偽を述べることであるのに対して、不正直は中途半端な印象を与えます。

しかし、嘘は心の表面でつきますが、不正直は心の深いところの投影(とうえい)です。
投影とは本音ではそう思っているのに、何らかの無意識の理由で本音を語らずに建前の当たり障りのないことを話すということです。

        

2.建前と本音が一致しているのが自己一致

①不正直とは建前と本音が一致していないこと

建前と本音が一つになっている状態を自己一致していると言います。

日本人ほど建前と本音を使い分ける国民はいないと言われます。
しかもそれをある人は誇れることであるかのように思っています。
曰く「建前で言ったのに信じたやつがバカなのだ」とか「お世辞で言ったのを真に受けるとは世間知らずにも程がある」とかです。

しかしこのような生き方をする人は人生のどこかで必ず破綻(はたん)します。
芸能界を見ても「お世辞がうまい」のが特徴の芸人さんがおられますが、そのような方々は人生のどこかで自分が蒔(ま)いたトラブルの種(たね)に刈(か)り取られてしまっています。

②建前と本音が一致していないと必ず人生を棒に振る

自己一致の人生を生きていると、ときどき外野から「そんな馬鹿正直に生きていても損するばかりで良いことはないよ」と余計な教訓を垂(た)れてくださる人もいます。
しかし面倒くさくても骨が折れても自己一致した人生を生きていくことです。
必ず人生に神の祝福が与えられるのを体験するようになります。

③配慮の欠如と自己一致

今まで「自己一致が一番!」みたいなことを書いてきて、こんなことを書くのも何ですが、気を付けなければならないことがあります。
それは自己一致とは関係なく、周りの人々に配慮することが大切だということです。

自分の言いたいことだけを語っても、それは虚(むな)しいことです。
自分が言いたいことを言うよりも先に、相手が言いたいことを聞く態度、即ち受容的な対応を心がけなければなりません。
そうしないと地上天国を生きることができる自己一致が地獄のような人生になりかねません。

        

3.正直と自己一致

①自己一致した人の正直さとは、まず第一に自分に対して嘘をつかない生き方

真の正直はすがすがしいのです。
もしそのような内面性を伴わずに、ただ外面的に人に対して嘘をつかないだけの正直さは中身が伴っていません。

②幸せになりたいと思うなら、自己一致を伴った正直さを持って人生を生きること

建前と本音を使い分ける生き方や社会の仕組みは現在トコトン行き詰まっています。
このようなとき人は、ありのパパの若いときのように、どちらかの選択をします。
それはますます建前と本音を使い分ける達人を目指す道と、建前と本音を一致させて人生を生きていく道です。
さて、この文章を読んでおられるあなたはどちらの道を選択なさるでしょうか?

内面が自己一致しているとき、私たちは真の意味で正直に生きることが可能になります。
これこそがこの世の中と人生をストレスなく生きていくための唯一つの条件です。

◎平安と祝福を祈っています。

        

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