ステップ2は「どんな神か」ではなく、信じる人の無力を問題にしている!

「12ステップを1→2→3と踏むのだが、何だか空回りしているように感じる」という方はおられませんか?
この記事では空回りしているように感じる理由を明らかにし、そうならないためにはどうしたらよいかを解説しています。

        

1.無力を認めるのと自分を超えた大きな力を信じるのはセットになっている

無力を認める

ステップ2で「自分を超えた大きな力」が登場すると、多くの人は「うさんくさくて怪しいのが登場した」と思うのではないでしょうか?
ステップ2がテーマのミーティングで分かち合いをすると、「どんな神を信じるべきなのか?」がおもに話されています。

しかしこれは的外れです。
なぜなら「どんな神か?」が問題になるのはステップ3であって、ステップ2ではないからです。

ステップ2の「自分を超えた大きな力」は直接的には神を指していませんし、ハイヤーパワーを指してもいません。
指しているのは「無力を認めた自分」です。

自動車を運転していて車が動かくなったとします。
その時しばらくは車を動かそうと努力しますが、やがて自分の力では車を動かすことはできないと観念します。
これが無力を認めるということです。

無力を認めた人は自分以外の誰か(自動車修理のエキスパート)に電話を掛けるなどして助けを請います。
これが「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになる」ということです。

繰り返しますが「自分を超えた大きな力」が指し示しているのは神でもなく、ハイヤーパワーでもなく、無力を認めた自分です。
このことが本当に分かるとステップ2で「どんな神か?」が問題になるのは、実は自分の無力を本当には分かっていないのが原因だと気づきます。

ステップ1とステップ2はセットになっています。

無力な自分⇔自分を超えた大きな力

たった一つの問題の本質⇔たった一つの解決

二つの問題⇔二つの解決策

        

2.無力を認めずに信じるのは演技に過ぎない

本心を偽る

依存症やアダルトチルドレンであることを認めた人にとって回復は喉(のど)が渇(かわ)いた時の目の前に置かれた飲み物のような存在です。
すぐにでも飲みたいのに「いいえ、飲む前に無力を認めなければなりません」と言われて、心では「はてな?」と思いつつ、しおらしく「はい、信じます」と答えます。

しかしそのような心の状態では飲んでも飲んでも喉の渇きが癒やされることはありません。
これは信じても信じても信じたなりの効果が発揮されないということです。

目に見える水なら、どのような心で飲んでも喉の乾きは必ず癒やされます。
しかし霊的(スピリチュアル)な水が飲んだなりの効果を発揮するのは、その水を飲む人が無力を認めている場合に限ります。

ありのパパを例にすると、ものすごく回復を求めていたので各ステップを踏む際に正確さ・厳密さを欠いていました。
自分の無力を認めるとはどういうことかが本当には分かっていませんでした。

自分の無力と、無力な自分以外の力はセットになっていますから、自分の無力を無意識のうちに否定してしまうと、同時に無力な自分以外の力への信仰もなくなってしまいます。

「なんでやねん!」と思う方もおられるでしょう。
これは小さな窓が一つしかない部屋に例えることができます。
無力を認めるとはその小さな窓を開けることです。
そうしたら日光が入ってきて部屋は明るくなります。

無力を限外に否定するとは様々な理由を付けて、その窓を明けないことです。
そうすると部屋は暗いままです。

部屋が暗いと認めた人は当たり前のように窓を開けるように、無力を認めた人は当たり前のように自分を超えた大きな力を信じるようになります。

        

3.無力を真に認めるための方法

無力を認める方法

どうしたら自分の無力を認めることができるでしょうか?
それは自分には自動車を修理できないと理解するためにはある程度は自動車の構造を知っていなければならないように、自分では自分自身を回復させることができないと理解するためには自分自身の構造をある程度知っておくということです。

自分自身の構造とは嗜癖にいたる構造を理解することです。
それは[嗜癖←不快感情⇐本能⇚性格上の欠点からくる行動パターン]の構造です。
この構造が理解できれば、嗜癖に陥らないためには行動パターンを変えればいいと分かります。

もう一つは問題行動を嗜癖として使っているのに気づくことです。
これはアルコールや薬物なら容易ですが(それでも難しい人もいます)、行為依存や人間関係依存になると認めるのは至難の業です。

典型的な感情の嗜癖である怒りの爆発を例に説明すると、癇癪持ちの多くは悩んではいますが心のどこかで「オレは正義心が強いだけだ!」と思っています。
これを否認と言います。
否認している限り、当然のことながら回復はありえません。

しかし人生のどこかで「もうこんな人生はゴメンだ」と感じ、「回復のために必要なことは何でもやろう!」と考えるなら、道は必ず開けます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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