だから依存症は治らない。しかし使わないための二つの解決策がある!

多くの方が自分が無力であること、依存症は治らない病気であることをご自分の経験から体験的に知っておられます。
しかし誰かから「その理由はなんですか?」と聞かれたら、どのようにお答えになられるでしょうか?
この記事はその理由を解説しています。

        

1.私たちが嗜癖を使うたびに3Dプリンターで印刷されるかのように脳の報酬系に依存症回路ができあがる

脳の病気

私たちは口癖のように「私は無力です」と言います。
しかし「なぜ無力なのか?」と問われて即座に答えることができる方は少ないのではないでしょうか?

同じく「依存症は治らない病気」と言われますが、なぜ治らない病気なのかご存じですか?

私たちは「だから依存症は治らない病気なのです」と説明出来ることが自分自身の回復のために必要です。

依存症が治らないのは脳の報酬系に依存症回路ができると死ぬまでなくなることはないと言われているからです。

無力の理由は依存症回路ができている場所に原因があります。
報酬系は欲求を満たそうとする働きをします。
そして報酬系の周りにある前頭葉は欲求に対してブレーキを踏む働きをします。
このようにして人は長い人生行路を安全に航海するようにできています。

しかし依存症回路ができると報酬系はアクセル踏みっぱなしの状態になり、前頭葉が司る理性の出番がなくなります。
なぜなら人間はまず欲求を満たしてから理性的判断を下すようにできているからです。
これが私たちが無力である真の理由です。

ではどのようにして依存症回路はできるのでしょうか?
世の中には様々な嗜癖の対象になる物質・行為・人間関係があります。
嗜癖の対象にならないものはないと言えるほどです。
嗜癖の対象物質として最も一般的なアルコール・薬物をはじめとして、ギャンブル・買い物・性などの行為依存、アダルトチルドレンや共依存などの人間関係依存などがあげられます。

「俺は真面目に仕事している」と言う方もひょっとしたら仕事依存症(ワーカホリック)の可能性がありますし、「私は家族に尽くしています」と言われる方も共依存症の可能性があります。

これらの嗜癖は初めのうちは仲の良い友達のような存在ですが、依存症回路が完成したあとは自分が友ではなく奴隷に成り下がっていることに気づきます。
嗜癖を使うごとにあたかも3Dプリンターで印刷するかのように脳の報酬系に依存症回路ができあがっていきます。

これが本当の後の祭りですが、もしこの事実をあらかじめ知っていたらありのパパは決して嗜癖を使わなかったと思います。

        

2.治るのなら無力ではありえない。治らないからこそ無力

静かな港

なぜ治らないのかを知っていれば一件落着でしょうか?
いいえ、人間はそんなに単純にできていません。
治ることをあくまで求めますし、言葉を換えて言うと完全になることや完成されることを執拗に求めます。

回復の道を歩む際の最大の障害は何かと言えば治ること・完全になること・完成されることを求めることです。
私たちは完全になることをでなく、成長することだけを求めます。
完成されることをでなく、今日一日だけのシラフを求めます。

この記事を読まれる皆さんの中には「そんなこと言わんでもええやん。完成を求めるなんて偉いじゃないか」と言う方もおられるでしょう。
しかし遠くのほうを見つめていると足下の石ころに足を取られて転んでしまう危険があります。
私たちは今日一日だけのシラフを保つために自分の足下をしっかりと見つめて一日一日歩んでいきたいものです。

「スリップしないことだけに気をつかないながら歩む人生は味気ない」と感じられますでしょうか?

ありのパパのことを言えば、かつては人並みの成功・幸福・名声といったものを心のどこかでは求めていました。
しかし自分がアダルトチルドレンであり、他の依存症にも罹患していることを自覚してからは今日一日だけのシラフを保つことが最大の目標・目的になりました。

しかしながら驚くべきことに以前よりも現在のほうが比較にならないほどに人生が満ち足りており、心には愉快さと平安があります。
時々過去の自分の人生を顧みて「笑える。本当に笑える。何をやってたんだか」と笑みをこぼすのです。
それでシラフだけを求める今の人生に満足しており、今の人生を歩めて良かったと心底感じています。

賛美歌に「人生の海の嵐に、もまれきしこの身も、不思議なる神の手により命拾いしぬ。いと静けき港に着き、我は今、安ろう」というのがあります。
この歌詞通りのことがありのパパの身の上に起きました。
これは皆さんにも可能です。

        

3.使わないための二つの解決策

二つの解決策

嗜癖行為に走らないために備えられた助けが二つあります。
一つは共同体から受ける助けと支えであり、もう一つは霊的に目覚めることです。

①共同体から受ける助けと支え

ミーティングに参加して仲間の話を聴き、自分の話をすることによって受け取る助けと支えです。

初めのうちは「私はこの人たちほどひどくない」という否認の塊みたいな存在であっても、徐々に自分が見えてきます。
そしてそのうち「本質的部分において私はこの人たちも少しも変わるところがない」と思えてきます。
これも共同体から受ける助けです。

自分の話をすることによっても助けを受けます。
私たち(特に日本人)は自分自身の人生について妨害なしに継続的に語るということがありません。
しかしミーティングに参加して自分の話をし続けていると、否が応でも自己認識が深まっていきます。
「自分でもこんなことを考えていたなんて気がつかなかった」とか「親との関係は普通だと思っていたが、実は問題大ありかも?」という感じです。

このようにして否認が解除され、自己認識が深まることが共同体から受け取る助けと支えの一部分です。

②霊的に目覚める

私たちが嗜癖にふけるのは不快感情から逃れるためです。
不快感情は四つあり、恨み・罪悪感・恐れ・後悔です。
文字を読んでいるだけですと「ふ~ん。そんなものなんだ」という感じですが、しかしこれらの不快感情は恐ろしいほどの抗しがたい力を持って私たちを動かします。

「私は普段は何も感じないのだけど、段々と苦しくなっていく」と言う方はおられませんか?
これは心のダムに不快感情が少しずつ溜まっていき、ついに決壊する心の有様を示しています。
その上、このダムは決壊に次ぐ決壊でひび割れしています。

だから対策は一つだけです。
それは不快感情ダムに不快感情をためないことです。
そもそも不快感情がなければダムが決壊することもありませんから。

ではどうしたら不快感情をためないでいることができるのでしょうか?
それは本能が傷つかないようにすることです。
本能には共存・安全・性・将来野心の四つがあります。

本能が傷つくのは自分の短所によってです。
性格上の欠点も同じく四つあり、利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如です。
これらの性格上の欠点から来る行動パターンが本能を傷つけた張本人です。

たとえば人が怖いので自分の本心が言えず不正直な対応をしたとします。
その結果当然のこととして人間関係のトラブルに見舞われます。
このときに「なんてダメな自分なんだ」と思う人はまれです。
大多数の人は「私はあの人を恨む」となります。
もちろんこれは無意識の領域で起きることであり、顕在意識の領域では建前ばかりのやりとりがなされています。

恨みの感情が暴走したのは共存本能が傷ついたからです。
共存本能とは周りとうまくやっていきたいと願う本能なので、これが傷つくと自尊心が傷つき「よくも俺を私を傷つけてくれたな~」というわけで恨みの感情が暴走するというわけです。

同様に安全本能とは自分が生きる環境を安心・安全に保ちたいと願う本能なので、これが傷つくと恐れの感情が暴走します。

ありのパパは恨みの感情が暴走したときには怒りの爆発という嗜癖を使いがちであり、恐れの感情が暴走したときには性的領域の嗜癖を使いがちでした。

皆さんも「私の場合はどうだろうか?どのようなケースでどの短所がどの本能を傷つけ、どの感情が暴走し、どの嗜癖を使っているだろうか?」と自分自身の良きマネージャーとなってくださいますように。

ところで一人の人がもっている性格上の欠点から来る行動パターンはそんなに多くありません。
多くて二つか三つです。
ですからあらかじめ自分の短所を知っておけば、自分をコントロールすることが容易になります。
このようにして自分の心という存在がブラックボックスからガラス張りの箱へと変わっていきます。
このような営みが霊的に目覚めるということです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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