アダルトチルドレンが低い自己評価を嗜癖として使うことからの解放!

「自分は自己評価が低い」という方はおられませんか?
この記事ではその原因が自分を厳しく裁くことにあるのを明らかにし、低い自己評価を嗜癖として使うことから解放されるための方法を解説しています。

        

1.アダルトチルドレンの自尊心がズタズタになる理由

自尊心

アダルトチルドレン(AC)にとって自分を厳しく裁くのは短所であり、低い自己評価は嗜癖として使っています。
この二つが合わさると「私たちは自分を厳しく裁き、低い自己評価を嗜癖として使う」というACの問題の11番目となります。

ちなみに「アダルトチルドレンの問題行動」と呼ばれるリストの多くが、前半で性格上の欠点を記し、後半で嗜癖として使っているものを記すという順番になっています。

ACが自分を厳しく裁くのはある意味では当然のことです。
別にACが自分に厳しいのは良心的に生きているせいではありません。
そうではなく自分の中にいるもう一人の自分、すなわち自分自身という存在が私たちの行為を正確にジャッジした結果に過ぎません。

どういうことかというと、ACの特徴の一つに「私たちは人が怖いので、人々から孤立することを嗜癖として使う」というのがあります。

私たちはほとんど無意識に孤立という手を使うのですが、自分の中にいる自分自身という存在はそのような行為を見て、「おまえは本当に臆病な奴だな。お前は本当に卑怯な奴だな。お前は生きている価値のない人間のクズだ」と言うのです。

そのため私たちの自尊心はずたずたになります。
ここでいう自尊心とは12ステップが教える自尊心であり、共存本能の一部です。

        

2.アダルトチルドレンは低い自己評価を嗜癖として使う

低い自己評価

共存本能が傷つくと恨みの感情が暴走し、不快感情から逃れるために嗜癖を使わざるを得なくなります。

不快感情から逃れるためにACが使う嗜癖が「自分を低く評価する」という行為です。

多くのACや依存症の人は「私は低い自己評価を嗜癖としてなんか使ってない!」と言われます。
「私の自己評価が低いのは生育歴が原因です」と真顔で仰る方もいます。
そうすると意地の悪いありのパパはお腹の中で「否認だな」とボソっとつぶやきます。

人が否認するのはそのことで利益を得られるからです。
これを疾病利得(しっぺいりとく)と言います。

そのような方々にお願いしたいのは「ご自分を低く評価するたびに、今のは嗜癖として使っていなかったか?」と自分自身に問いかけていただきたいということです。
もちろんその結果、「嗜癖ではない」となればそれで結構ですが、しかし多くの場合に自分自身に問い続けていくと「今のは嗜癖として使っていた」と認めるときがやってくるものです。

ACのための12のステップという書籍には「(ACは)もう一方の靴が無くなるのを待っている」(73頁13行目)と書かれてあります。
これの意味するところは「いつか靴が無くなるに違いない」と予想し、現実に無くなると「ほらやっぱり無くなった。私には両足分の靴が揃っていてはいけないのだ」と妙に悦に入るのです。

これを低い自己評価を嗜癖として使うと言います。

ありのパパも人生の多くの場面において低い自己評価を嗜癖として使ってきました。
振り返ってみて最も印象的なのは失敗したときでした。
他の人たちは悔しがっているのですが、ありのパパは少しも悔しさを感じませんでした。
口では「神様におまかせします」などと言うのですが、自分でもなぜ悔しさがないのか訝(いぶか)っていました。

今ではその理由を明確に知っています。
それは失敗すると無意識の領域で「ほらやっぱり失敗した。私には成功よりも失敗がお似合いだ」と感じていたということです。
これが低い自己評価を嗜癖として使うということです。

        

3.アダルトチルドレンが嗜癖を使わなくなる方法

回復と成長

ACの回復は一択です。
それは12ステップの4・5に取り組み、自分の人生を支配するカラクリである古い行動パターンを知ることです。
そして対極にある新しい行動パターンを全力で実践することです。

新しい行動パターンを全力で生きると、しばらくすると自分自身が以前とは全く異なるセリフを自分に向かって言ってくれるようになります。

「お前は良くやっているよ。お前は偉いよ!」

絶対にウソをつかない自分自身という存在にこんなに誉めてもらうと自尊心はバク上がりせざるを得ません。
そして本能が傷つかなくなると感情の暴走も止まりますから、不快感情から逃れるために嗜癖を使う必要もなくなります。

ACのための12のステップには次のように約束されています。

「前には可能だとは夢にも思わなかったことが気がついてみたらできている」(74頁6行目)

これ以外にはACが回復する方法はないと、ありのパパは考えています。
このように断言するとありのパパの心の中に「何もそんなに強く書くことはないではないか。読者を傷つける可能性を考慮せよ」という声が聞こえてきます。

しかしそのような声を遮(さえぎ)って、強い調子で書き記すのは理由があります。
もしこの記事を読んでおられる方がカウンセリングや信仰によって少しでも回復の兆(きざ)しを見ることができているなら、それで良いのです。
このブログをすぐに閉じて、そのカウンセリングなり信仰なりに邁進してください。

しかし「これでよくなるはずだ」と思いつつも、心のどこかで「ちっとも良くなってないじゃないか」と感じておられるなら、12ステップが提供する回復の道を進んでいただきたいのです。
「これかな、それともあれかな」というどっちつかずが一番やってはならないことです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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