回復するに充分な人格の変化のため自分の問題に直面する勇気を持つ!

ミーティングに参加しても12ステップに取り組んでも自分の問題に直面する勇気を持つまでは回復するのに充分な人格の変化は得られません。
この記事では直面する勇気を持つために必要なことを解説しています。

        

1.自分の根源的な問題に直面するまでは回復しない

自分の問題

「自分の問題の根源と折り合いをつけようと試みたことはなかった」(ホワイトブック19頁19行目)

問題の根源とは自分の性格上の欠点からくる行動パターンのことです。
おもに二つあり、一つは恐れが動機となっての不正直行動です。
もう一つは利己的動機が原因の配慮不足です。
これらのどれもが人間関係のトラブルをもたらします。

私たちは「自分の問題の根源」となかなか向き合おうとしません。
これには理由がいくつかあります。
最も大きな理由は誰もそれが自分の根源的な問題であると教えてくれなかったからです。
現代はインスタントがもてはやされる時代であり、対症療法的なアプローチが好まれます。

感情が暴走すれば数え切れないぐらいのストレス解消法が紹介されます。
本能が傷つけば「なぜ傷ついたのか?」を問題にすることをしないで、ただ「これをすれば自尊心が爆上がり!」みたいなアプローチが勧められます。

このようにして私たちはアダルトチルドレンや共依存症、そのほかの依存症者となってしまいました。

しかしそのおかげで自分の問題の根源に直面する勇気が与えられました。

なぜなら依存症治療において唯一効果があるとされる12ステップには棚卸し作業が含まれており、これを避けてはプログラムに取り組んだとは認められないからです。

スポンサーも「いつ棚卸しをやるの?今でしょ!」とせっつくし、ミーティングに参加すれば「どのようにして12ステップに取り組んでいるか」の分かち合いがされますので、自分だけ何もしないわけにはいかない気持ちになるからです。

        

2.宗教的解決を否認として使うとはどういうことか?

否認
「宗教的な解決は否認の中でも最も狡猾な罠」(20頁11行目)

ここまで言うかという感じですが、いま自分自身を振り返ると「その通りです」と言わざるを得ません。
これは決して宗教を否定しているのではなく、自分の問題の根源に直面することによって解決を図ろうとしないのは否認でしかないということです。

宗教の責任は大きいです。
なぜなら性格上の欠点から来る行動パターンをそのままにしておくと必ず人生が思い通りに生きていけなくなることを教えるのは宗教の役割だからです。

しかし現代の宗教はその役割を放棄しているように見えます。
「信じていれば何とかなる」と教える宗教は偽りです。
信じるだけでは何ともならないというのが真実です。

ありのパパは40年間宗教を信じました。(今も信じています)
自分では決して宗教を否認の道具に使っているつもりはありませんでしたが、今から振り返ると明らかに否認の道具として使っていました。

まず「いったん信じたら実現するまで信じ続ける」と考えていましたが、後に「根拠もないのに『今度こそうまくいくかもしれない』と考えるのは依存症者特有の考え方ですよ」と教えられてギャフンとなりました。

そしてすべては対症療法的でした。
感情が暴走すれば「こんなことではいけない」と感情を否認しました。
本能が傷つけば「神が守ってくださる」と考え、本能を抑圧しました。
真実は神が守ってくださっていても、なすべきことをしないでいると本能は傷ついてしまいます。

宗教を信じる多くの方々がありのままブログを読んでくださっています。
そこでそのような方に質問があります。
あなたは宗教的解決を否認として使っていませんか?
どうぞ正直な心になってご自分の心を探られますように。

        

3.否認していると嗜癖を捨てることができない悪循環が続く

祈りの答え

自分の問題に直面することを避けている限り、嗜癖を捨てることができない悪循環に陥ります。

多くの人が「なぜ自分の祈りは聴かれないのだろうか?」と内心では訝(いぶか)しんでいます。
実は神は私たちの祈りにすでに答えられています。
私たちの祈りへの答えは私たちが自分の問題に直面することです。
しかしそれを避けたいので答えが与えられていることに気づけないのです。

神の答えを求めて遠くを探す必要はありません。
神の答えは既にあなたの足元に置かれています。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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