埋め合わせ作業には素敵なプレゼント(霊的目覚め)がもれなく付いてくる!

埋め合わせ作業に抵抗を感じる方はいないでしょうか?
この記事では埋め合わせの目的は自分のためであることを明らかにし、取り組んだ結果どんな素晴らしいことが起きるかについて解説しています。

        

1.埋め合わせは自分が赦(ゆる)されたのを実感するためにやる

埋め合わせ作業に取り組むと自分の中にある罪悪感と後悔という不快感情が消え去ります。
これが埋め合わせを行う真の目的です。

罪悪感と後悔という不快感情がなくなると「自分は赦されている」という実感を持つようになります。
これが心の平安を連れてきます。

クリスチャンの方々で自分は赦されていると思いながらも依然として心の中に罪悪感と後悔を持ち続けているなら、それは口だけの赦しであり、少なくとも地上生涯においては何の意味もありません。

四つある不快感情のうちの恨みと恐れはステップ4・5の棚卸し作業によって、間違った思い込みによると分かって既に解消しています。

残った罪悪感と後悔の不快感情を解消するのが埋め合わせ作業の真の目的です。
これらの作業によりご自分の中から不快感情がすべてなくなると心の平安が訪れます。
正確には訪れるというよりはもともとあったのですが、不快感情により心の平安を感じることができなくなっていたのです。
それで不快感情をなくすことによりもともとあった心の平安が再び蘇(よみがえ)ったというわけです。

機能不全家庭で育った人々は霧が晴れた日というものを経験したことがありませんから、霧が一杯で一寸先も見えないのがデファクトスタンダードです。
しかし真実は霧で一杯の状態は通常ではなく、実は晴れているのが通常の状態なのです。

このような人々が埋め合わせ作業に取り組むことによる効果は劇的なものがあります。
「えっ、人生ってこんなに平安に満ちたものだったの?!」という感じです。

        

2.この扉を開けると霊的目覚めが待ち受けている

12ステッププログラムの教科書的存在であるビッグブックには「この工程(埋め合わせ作業)を労を惜しまずに念入りにやっていると、半分も終わらないうちにあなたはびっくりすくことになる」(120頁)と書かれてあります。
このびっくりすることとは「12の約束」とか「ステップ9の約束」と呼ばれているものが取り組む人のうちに実現するということです。

この12の約束は霊的に目覚めることを指しています。
そうです。ビッグブックがステップ9の途中で霊的目覚めを体験することになると約束しているのです。

こんなに素晴らしい報酬が約束されているのですから取り組まない手はないと思いますが、いかがでしょうか?

12ステップに取り組む目的は依存症やアダルトチルドレン・共依存症から回復するためです。
ではプログラムに取り組む目標は何かというと、それは霊的に目覚めることです。

老婆心ながら申し上げると多くの仲間はステップに取り組む目的と目標がごっちゃになっていると感じます。
もしステップに取り組む目標が回復することだと、残念ながらいつまでたっても回復することはありません。
なぜならステップに取り組む目標は霊的目覚めを獲得することだからです。

AA(アルコール依存症者の自助グループ)の初めの百人と呼ばれる人々はみながこぞって霊的に目覚めることを目標にしてプログラムに取り組みました。
しかしいつの頃からか「霊的に目覚めたら回復できる」が「ステップに取り組んだら回復できる」にすり替わってしまいました。

12ステッププログラムは明確に共同体から受ける助けと支え、霊的に目覚めることが二つの解決策であると言っています。

        

3.すべてのことは相働(あいはたら)きて益(えき)となる

失敗は失敗で終わらず、後悔は後悔のままで終わりません。
ただそのためには条件があります。
それは12ステップに取り組んで霊的に目覚めることです。
ここが宗教的プログラムと異なる点です。

宗教的プログラムは「認めて、信じて、お委ね」すれば、あとはこちらがすることは何もありません。
しかし多くの場合に何も起こらず、人生は1mmも変わりません。

霊的プログラムは「認めて」「信じる」ところまでは宗教的プログラムと同じですが、三番目の「お委ねする」の解釈が異なります。
12ステップの「お委ねする」とは神の配慮に委ねることであり、神の配慮とはステップ4から9までの行動のプログラムに取り組むならば必ず霊的に目覚めることが出来るという全ての人に与えられた約束を指しています。
ですから神の配慮に委ねる決心とは行動のプログラムに取り組む決心にほかなりません。

では霊的プログラムが世俗的プログラムと異なる点はどこにあるでしょうか?
それは我力(がりき)では行動のプログラムに取り組むことは出来ないということです。
私には出来ない(ステップ1)、しかし神には何でもできるからである(ステップ2)というステップを踏まないで行動のプログラムに取り組むことは不可能です。

しかし「私は無力を認めることが不十分だし、神を信じることも不十分だから行動のプログラムに取り組むのは時期尚早だ」と仰いませんように。
一人として完全に無力を認めることができる人はいませんし、完全に信じ切ることができる人もこの地上にはおりません。

ただ重い腰を上げて「無力を認め、神の力を信じて、いっちょうやったるか!」と「なんだ坂、こんな坂、エッチラオッチラ」とコツコツと取り組むのです。
そうしたら「えっ、もう終わっちゃったの?」という時が必ずやってきます。

心の平安が与えられるとすべてのことが符合するようになります。
符合するとは「起きた出来事で無駄なものは一つもなかった。すべては今の心の状態になるために計画されていたのだ」ということです。

◎回復と平安を祈っています

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