依存症回復プログラムの「自分なりに理解した神」概念の発端をご紹介

ステップ2で自分を超えた大きな力を信じます。
これは自分が信じれるものなら何でも良いとされます。
一見、ご都合主義のようにも思えます。
この記事ではこの概念の出所を紹介し、信じる前に無力を認める必要があるのを解説しています。

        

1.あなたが信じられる神なら何でも良い

宗教はどんな神を信じるべきかを問題にします。
霊的プログラムはあなたが信じることのできる神なら何でも良いとします。

なぜでしょうか?
それはAAが成立した1930年代のアメリカの宗教事情が背景にあります。
当時のアメリカ福音派教会は熱烈な伝道を繰り広げていました。
各派がまるで営業会社のように獲得会員数を競っていたのです。
このような時に起きることは容易に想像がつきます。

それは宗教がもっている武器を、使ってはならない方法で使うという禁じ手です。
たとえば信じないと「地獄に落ちるぞ」という脅かしです。

聖書に書かれてあるのは「神を信じたら救われる」というメッセージです。
もちろんこれをひっくり返せば「神を信じなければ地獄行き」というメッセージを作り出すことも可能です。
しかしそのようなことをする宗教者は偽り者であり、神の意志を行ってはいません。

ビル・ウィルソンもその父親も、当時の教会のあり方に違和感を覚え、その人生のどこかで教会に傷つけられるということがあったようです。

それでビルは自分自身が死にかかっている絶体絶命のピンチにさえも、その教会が教える神を信じることを躊躇しました。

このような時に友人のエビー・サッチャーが助け舟を出したというわけです。
これが「自分で理解できる神の概念を選べばいい」という言葉になりました。

この瞬間が12ステッププログラムが宗教的プログラムから霊的プログラムへと変貌した瞬間であると言われています。

ありのパパは初めのうちはこの物語を聞いても理解することができませんでした。
なぜならありのパパは健康な教会に育ったからです。

しかしこの問題をACと親との関係に置き換えて理解するなら、ビルの気持ちに共感することができます。

アダルトチルドレンが大人になってから様々な事情のために子供時代に虐待を受けた親と同居したりするのは、ある意味では傷つけられた教会の教える神を信じるのに等しい行為ではあります。

いくら自分がピンチでも、自分を傷つけた教会(家)に戻るのは再び自分の虐待をゆるす環境に自らを置くようなものだからです。

        

2.無力を認めるのは客観的事実にもとづく

自助グループでミーティングに参加すると、多くのメンバーがいかに自分がダメだったかを話します。
それで誤解しがちなのは「ダメだったから無力なのだ」という理解に陥ることです。

真実はそうではなく、脳の報酬系に依存症回路ができ、そこから強迫観念と渇望現象が発せられるから無力なのです。

これがしっかりと分かっていないと大変なことになります。
なぜなら回復がある程度進み、しらふの期間が長くなるとダメではなくなり、「ダメでない自分は無力ではない」となってしまうからです。

そうすると必然的にスリップを繰り返すことになります。
スリップした直後は「ダメな自分は無力」ですが、再びしらふの期間が長くなるとまたもや「ダメでない自分は無力ではない」となってしまいます。
そして心の深いところでの無力の否認は当然のことながらスリップに繋がります。

ですから大切なことは主観的に無力を認めることではなく、客観的な事実にもとづいて自分の無力を認めることです。

        

3.無力を認めても無力でなくなるわけではない

「無力を認めないと回復できない」という言葉は間違って受け取られる恐れがあります。
それは「無力を認めれば回復できる」という受け止めです。
もちろんここまでなら間違ってはいないのですが、この受け止め方は次の段階に進んでしまいがちです。

それは「無力を認めれば回復できるのなら、無力を徹底して認めることができれば無力ではなくなる」という理解です。

「そんなバカな!」と皆さんは思われるかもしれません。
実はこの記事を書いているありのパパ自身が無意識にそのように誤解していました。
それで「日々無力を徹底して認めるのだ!」と力み返っていたところがありました。

しかし真実は無力を認めようが認めまいが、無力であり続けます。
では無力を認めた人と、認めていない人の違いは何かというと、無力を認めた人だけが自分を超えた大きな力を信じることができます。

無力を認めていない人も自分を超えた大きな力を信じるふりはできますが、信じたなりの効果が現れません。
「あれ?おかしいな?なんでかな?」という感じです。

本当に無力を認めているかどうかの印があります。
それは絶望しているかどうかです。
本当に無力を認めている人は日々絶望します。
「あぁ、治ってないんだな」という事実への確認です。
絶望している人だけが「神様、お願いします!助けてください」と叫ぶことができます。

そうではない人は「無力を認めたら、助けてくれるんだろう?よ〜よ〜助けてくれよ〜」ってなもんです。お前は甘えん坊か!(笑)

どうやら問題の核心は「どんな神を信じるか?」ではなく、「どのように神を信じるか!」にあるようです。

◎回復と平安を祈っています。

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