利己的動機から罪悪感が生まれ、罪悪感から怒りが出てくることもある

日々の棚卸しをやると不快感情から解放されるだけでなく、真に人生が変わります。この記事では介護施設でご厄介になっている母と面会した時に感じたありのパパの怒りを棚卸ししたことを材料にして棚卸しの具体的やり方を解説しています。

        

1.不快感情がなくなるのでなければ日々の棚卸しをする意味はない


日々の棚卸しをやっても自分の中から不快感情が無くならないので仲間に相談することがあります。
その際に大体の場合、その仲間には問題が見えています。
しかしその仲間が聡明な人である場合には「問題はこれなんじゃないの?」とは言いません。
なぜなら「うん、そうだね」と言ったところで、それが腑に落ちない限り、腹にストンと落ちる経験をしない限り何の意味もないからです。
かえって闇が深くなるばかりです。
なぜなら自分では分かったつもりになっているのですが、実は分かっていないということに気づいていないだけだからです。

本当に分かっているかどうかの印があります。
それは本当に分かっている場合は不快感情がなくなります。
そして笑いさえ出てきます。「俺って、私ってバカだなぁ!」という感じです。

        

2.棚卸しの具体的やり方

①不快感情の見つけ方

怒りの感情は通常は恨みの感情から出てきます。
しかしそうでない場合もあります。
そのような場合には「怒りは恨みからしか出てこないから、恨みで間違いない!」と決めつけないことです。
どうもしっくり来ないときはしっくり来るまで自分自身に問い掛けます。
「ねぇ、暴走した感情は何かな?恨み?それとも罪悪感?または恐れ?それとも後悔?」

そうすると自分自身という存在が重たい口を開くときがやってきます。
「罪悪感」

②傷ついた本能の見つけ方

「なんで罪悪感を感じたのか?」を考える前に(犯人探しをする前に)自分自身のどの本能が傷ついたのかを考えます。

「共存本能の自尊心?それとも対人関係?」

「安全本能の感情面での安全?それとも物質面での安全?」

「性本能の秘密の性関係?それとも公認の性関係?」

「それとも将来野心のどれか?」

そうするとこれも自分自身という存在が教えてくれます。
それはそうです。自分自身と本能は同一の存在ですから。
コツはバァーっとやらないで、ひとつひとつ丁寧に見ていくことです。

「共存本能の対人関係が傷ついた」

ありのパパは自尊心と感情面での安全が傷つくことはあっても他の本能が傷つくことを意識したことはなかったので意外に思いました。

傷ついた本能を特定できたら今度は自分の側の過ちの正確な本質を見ていきます。
この経過を辿らずにいきなり自分の側の過ちの正確な本質を見てしまうと単に自分自身を厳しく裁くことにしかなりません。(ACの問題の11番目)

そのような危険を避けるためにも[不快感情を特定する⇒傷ついた本能を特定する⇒自分の側の過ちの正確な本質を見つける]の順番でやっていくことをおすすめします。

        

3.罪悪感を感じるのは利己的だから[自分の側の過ちの正確な本質]

性格上の欠点には四つあります。
利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如です。
これを一つ一つ見ていきます。

ありのパパの古い行動パターンは「恐れが動機となって不正直な行動をする」というものでしたので、今回もこのパターンかなと考えましたが、そうではなかったです。
自分自身が「そうだ!」と言わないのです。

それで初めから丁寧に見ていくことにしました。
「利己的?」「ピンポーン!」「えっ?」という感じです。
ありのパパは自分のことを真面目で誠実な人間だと思っており(そう思っていること自体が既に利己的ですが)、今までの棚卸しで「利己的」が該当したことがなかったので意外でした。
しかしなぜ自分自身が「利己的」と言ったのかすぐに分かりました。

それはありのパパの目の前で自分に問題があるなどとは全く考えずに一心不乱に他人様の悪口を言っている母を見て、「私はこの人を救ってあげることができなかった」と感じたのでした。
これは罪悪感そのものの感情であり、この不快感情から逃れるために「怒りに嗜癖する」という手を使ったのでした。

ではなぜ罪悪感を感じたのでしょうか?
それは私が回復のための情報を提供をしたら、相手の方はそれに応える義務があり、当然のこととして回復すべきであると思い込んでいたからです。
真実はそうではありません。
ありのパパが回復のための情報を提供しても、相手の方がそれを受け取るかどうかは相手の自由意志に任されており、その領域にありのパパが踏み込むことはできないというのが真実です。

この真実が見えなくなるのが病的なコントロール欲求であり、これを共依存症と言います。

自分が利己的だったので対人関係が傷つき罪悪感が暴走したという全体の構図が見えた時に怒りの感情は消えてなくなってしまいました。
そして心の平安が戻ってきました。
このようにして私たちは残りの地上生涯を全き平安をもって生きていくことが可能です。

◎回復と平安を祈っています。

メール登録をお願いします!

新しい記事を見逃したくない方はメール登録をどうぞ!新記事をメールでお知らせします。

こちらの記事もどうぞ