感情と本能の関係を知り、短所を特定することによって人生を変える!

「自分は棚卸しをやったし、日々の棚卸しもしているが効果があるように思えない」という方はおられないでしょうか?
効果的な棚卸しのためには感情と本能の関係性を理解すること、そしてどの短所が原因なのかを特定する方法を知っていることが重要です。

        

1.感情と本能には一定の関係がある

なぜ感情が暴走するかというと本能が傷ついたことを私たちに知らせてくれるためです。
ですからお腹がすいているときに「のどが渇いた」とは言わないように、傷ついた本能と暴走した感情には一定の関係性があります。

①共存本能が傷つくと恨みが暴走する

共存本能は「人々とうまくやっていきたい」と願う本能ですから、これが傷つくと「私ってダメな人間だな」と感じ、自尊心や対人関係が傷つきます。
その結果は「俺はうまくやろうとしているのに。そうだ、うまくいかないのはきっと相手のせいだ!」というわけで相手を恨むようになります。
このようなわけで共存本能が傷ついたときには大概の場合において恨みの感情が暴走します。

②安全本能が傷つくと恐れの感情が暴走する

安全本能は「自分が生きていく環境を安全・安心の状態に保ちたい」と願う本能です。
ですからこれが傷つくと恐れの感情が暴走します。
これは分かりやすいと思います。

もちろんいつもそうであるとは限りません。
だいたいの場合において以上のようなことが言い得るということです。

③感情の否認の問題

どの感情が暴走したのかが分からないという方もおられます。
ありのパパがそうでした。
後から分かったことは感情が暴走したのが分からなかったのは感情を否認していたからでした。
それで日々の棚卸しをするのは感情が暴走したときではなく、感情がなくなったときにやっていました。
そうやって日々の棚卸しを続けていると感情の否認が徐々に解除されていきました。
今では感情がなくなることはなくなり、ちゃんと感情が暴走したのを感じ取ることが出来るようになりました。

        

2.短所を特定できないと行動を変えることが出来ない

次にどの短所を使ったので本能が傷ついたのかを見ていきましょう。

短所と本能の関係は感情と本能の関係のようには明確ではありません。
というかあまり関係ないと言えます。

しかしどの短所を使ったのかを自分で分かっていないと、新しい行動パターンを使うことが出来ませんから問題はいつまで経っても解決しないままです。

①不正直の後には嘘と偽りが出てくる

不正直な対応をするというのは要するに自分の本心に嘘をつくということです。
それで不正直行動の結果トラブルが起きた場合の弁解も嘘と偽りが出てきます。

トラブルへの弁解としてこの場合は言い訳は出てきません。
言い訳できる場合というのは、言い訳できる材料がなければなりません。
しかしこの場合、恐れが動機となって自分の本心に反した言動をしているのですから、言い訳など考えもつかないということになります。

これはありのパパの行動パターンでもあります。
あまりに嘘をつきすぎて、自分でも整合性がとれなくなるほどでした。

内心では「これでは嘘をつかない生き方のほうがよっぽど楽だ」と思っていたのですが、どうしたら不正直な行動を止めることが出来るかはおろか、自分の人生がどうにもならなくなっている真の原因が「恐れが動機となって人々に対して不正直な対応をする」行動パターンにあることさえ気づいていませんでしたので、延々と間違った生き方を続けるほかはありませんでした。

②利己的振る舞いの後には言い訳が出てくる

利己的とは要するに自分さえ良ければ他人のことはお構いなしという考え方であり、生き方です。
ですから利己的振る舞いの後には必ず配慮の欠如が後に続きます。
自分さえ良ければ後はどうなってもいいと考えているときに相手に配慮をすることは不可能です。

利己的振る舞いが原因でトラブルが起きたときに出てくるのは言い訳に次ぐ言い訳です。
「仕方なかったのだ」とか「私は悪くない」とか「こういう事情があるのよ」と自分の都合を延々と説明したりします。

ありのパパはこのような人を見ると「なんと厚かましいのだろう!」と呆れていました。
しかし後になって「自分は言い訳の代わりに嘘・偽りを使っていた。同じ穴の狢(むじな)だね」と思うようになりました。

利己的動機が原因の場合に弁解として嘘・偽りは出てきません。
なぜなら言い訳できる材料がたくさんありますから。
というか言い訳できる材料を集めながら利己的振る舞いを続けていると言ったほうがいいかもしれません。

以上見てきたように、トラブルへの対応としてどのような言葉が出てくるかでどの短所を使ったが分かります。
嘘・偽りが出てきたときには不正直という短所を使っている場合が多いです。
同様に言い訳が次から次へと出てくる場合には利己的振る舞いという短所を使ったことが明らかということになります。

        

3.どんな新しい行動パターンを使えばいいか?

①恐れが動機となっている場合

すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くすことです。
そうしたら、その時だけ私たちの中から人への恐れが締め出されます。
人への恐れが締め出されれば自然に不正直行動をしなくなります。
そしてそのような状態では自分でも驚くほど厳しいことを相手にいったりします。
しかし不思議なことにトラブルにはなりません。

かつてありのパパは人が怖いという人への恐れに満たされて、しかし「これだけは言わねばならない」という切羽詰まった思いで相手に一言言っただけで大きなトラブルに発展したことが何回もありました。

このことからありのパパが理解したことは人が怒り出すのは私が言った言葉によるのではなく、私の中にある動機を見て怒り出したのだということです。
「自分の動機が相手に見えるのですか?そんなこと信じられません」という方もおられるでしょう。
ありのパパもそのように考えていました。
しかしどうやら人には相手の心が見えるようです。

②利己的振る舞いが動機となっている場合

利己的動機に基づいて行動するパターンの場合はどうでしょうか?
配慮を充実させていくことでしょうか。
そうですね。でも配慮を充実させようとする前にやるべきことがあります。

それは自分では誠実に生きているつもりでも、実は現実に対して逃げ腰であることに気づくことです。
戦争や災害の真っ最中には利己的振る舞いは当然のことです。
なぜかというと人間はそのように元々造られているからです。

しかし平和なときに、家庭や職場・学校や友人・親戚の間で利己的に振る舞うとトラブルが起きます。

ではどうしたらいいかというと、それは相手と対等の立場に立つことです。
言い訳が出てくるときは、自分と相手の関係は対等ではあり得ません。
相手が上で、自分が下です。
本人は「下手に出てやっている」と思っていますが、このような態度は相手を怒らせるに充分です。

なぜなら相手はあなたが下手に出ることなど願っていないからです。
期待していることはあなたと対等な立場になって問題を解決することです。
それを出来なかった言い訳を延々と述べられては堪忍袋の緒も切れるというものです。

ではどうしたらいいのでしょうか?
それは「あぁ、そうか。私は今の今までこれでいいと思って生きてきたが、考えてみればこれは大変利己的な生き方だった」と気づき、二度と決して下手に出ない、相手と対等な立場に立つと決心なさることです。

その上でどのようなことに気をつけるべきかはお一人お一人皆ちがいます。
ご自分の置かれた状況を勘案して、ご自分で考えなさることです。
なぜならご自分の人生なのですから。

◎回復と平安を祈っています。

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