神を信じるのと、神が健康な心に戻してくれると信じるのは別のこと

宗教と霊的プログラムの違いは特定の神を信じなくてもよいというだけではありません。
宗教と霊的プログラムには根本的な違いがあります。
この記事ではその異なる点を三つの部分に分けて解説しています。

        

1.神を信じるのと、神が健康な心に戻してくれると信じるのは別のこと

神を信じるだけなら、それは宗教であり、12ステッププログラムとは何の関係もありません。
12ステップは「神が『この私』を健康な心に戻してくれると信じ」、そのために必要な作業を人間の側で行うプログラムです。

この話をミーティングでしたときに、仲間から「不親切な神様だね〜」という感想がありました。
実はありのパパもお腹の中でそう思っていたのですが、ひた隠しにしていました。
自分の話をし、仲間の話を聴かせてもらうことによって自分の本音が明らかになることもあります。

宗教と霊的プログラムの違いはどこにあるかというと、宗教は「すべて神様にお任せ」であるのに対して、霊的プログラムは「確かに解決は神によるが、そのためにあなたがなすべき重要なことがある」とします。

その重要なこととは、棚卸し作業・古い行動パターンを使わない決心と新しい行動パターンを使って生きていく決心と実践・埋め合わせ作業の三つです。

私たちが神を信じるだけで、ミーティングに出席し「あとは神にお任せ」とふんぞり返るなら、いつまで経っても神の奇跡を経験することはないでしょう。

私たちが神を信じるだけでなく、健康な心に戻してくれると信じるのなら、どうしても行動が必要です。

        

2.信仰は量ではなく質

信仰における量とは長い時間をかけて神に祈ったり、12ステップ関連の書籍を長時間読んだり、一週間に何回もミーティングに参加することを指しています。

しかし多くの12ステップ本には「信仰は量ではなく質である」と書かれてあります。
これはどういう意味でしょうか?
ありのパパの理解するところによると、それは単なる神頼みではなく、神と協働で回復の作業に取り組むことを指しています。

自分だけで、自分の力だけで自分の回復に取り組むのは世俗的プログラムの特徴です。
宗教的プログラムの特徴は自分でできることは何もなく、ただ神にお任せというものです。

この二者の中間的位置にあるのが霊的プログラムです。
確かに解決のための力は自分のうちにないとする点では宗教的プログラムと共通していますが、しかし回復するために私たちの側でなすべきことがあるとする点では世俗的プログラムと共通点があります。

ミーティングに多く参加することは大変有益です。
しかしそれだけでは回復は見込めません。
どうしても12ステップの行動のプログラムと呼ばれるステップ4から12に徹底して取り組む必要があります。

        

3.神を信じていながら、神が私を助けてくださると信じていないこともある


自分では「神に助けてほしい」と願っていると思っているにもかかわらず、実際の行動はそれと相反している場合が多いのが私たち人間の特徴です。

たとえば「誘惑から助けてほしい」と願いながら、自分から誘惑のある場所にのこのこでかけていくのはなぜでしょうか?
もちろん仕方なくそうする必要がある場合もたまにはあるでしょう。
しかし胸に手を当てて正直な心になって顧(かえり)みていただきたいのですが、「仕方なく〜」というのは見え透いた言い訳ではないですか?(笑)

神は私たちの建前を見るのではなく、私たちの隠された本音をご覧になられます。
「おっかしい〜な。神様のやつ、いつまで経っても私の願いを聞いてくれないぞ!」とご立腹なさる前に、「果たして私はそれがかなえられることを本当に願っているだろうか?」と自らに聞いてみる必要があります。
ありのパパを含めた多くの人にとっての真実は「あれも欲しいが、これも欲しい」というものではないでしょうか?

たとえば怒りを爆発させたくないという気持ちの反対側には「怒鳴ってスカッとしたいぜ!」という気持ちがありはしないでしょうか?

この場合であれば正直な心になって「神様、私の中には二つの願いがあります。しかし私の人生は怒りの爆発のためにどうにもならなくなりました。ありのままの姿であなたの前に出ております。どうぞ、私を助けてください」と祈ることです。

自分の本音に蓋をして、建前で神に助けを求めてもそれは虚しいことです。
何も起きません。すっからかんです。
しかし自分の本音に気づいて、そのままの姿で神に祈るとき神は答えを与えてくださいます。

◎回復と平安を祈っています。

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