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アダルトチルドレン ステップ10

日々の棚卸しは失敗した時にやるのではなく感情が暴走したときに行う

「日々の棚卸しは自分が失敗した時にやるもの」と考えていると、日々の棚卸しに取り組むことが難しくなります。この記事では日々の棚卸しはどんな時にやるものなのかを明らかにし、ACの棚卸しのかんどころを解説します。

        

1.自分が間違ったときに日々の棚卸しをすると思っていると「その時」は永遠に来ない

多くの方が日々の棚卸しを行うのは自分が判断や行動において誤った時に行うものと勘違いされています。
そうではなく日々の棚卸しは感情が暴走した時に行うものです。
「結局同じじゃないか?」という声も聞こえてきそうですが、ここには微妙な違いがあり、その違いは本質的な違いです。

人間というものはそんなに簡単に自らの誤りを認めることができる存在ではありません。
もしそんなに簡単に誤りを認めることができるなら何も問題は起きなかったはずです。

日々の棚卸しで「自分の側における過ちの正確な本質」を問題にするのは最後の最後です。
その前に「感情が暴走したのか。それは辛かったね」と自分自身の感情をいたわります。
次に「感情が暴走したのは本能が傷ついたからだと思うが、どの本能が傷ついたのかな?共存本能?安全本能?性本能?将来野心?」と自分自身に尋ねてあげます。
そうすると自分自身という存在が「〜の本能が傷ついた」と正直に教えてくれるようになります。

このような話をしていると、アダルトチルドレンの中には「私は自分の親にそんなことをしてもらったことがないから出来ない」と当たり前のように言う人がいます。
しかしそうではありません。
あなたがあなた自身の愛ある親にならなくて一体誰があなたの愛ある親の役目を果たすというのでしょうか?
寝言は寝ているときに言ってもらいたいものです(笑)。

感情を受容し、本能(自分自身)を思いやってはじめて「自分の側の過ちの本質」を見ていく準備が整います。
やみくもに第4列に飛んではなりません。(日々の棚卸し表は第4列に「自分の側の過ちの正確な本質」が書かれている)

        

2.感情が暴走したときは自分の側に過ちがあるとき

第4列までやってきたときでさえ、本心は「私が悪いはずはない。あいつが悪いに決まっている」と思っているものです。
それで良いのです。
「でも万が一にもちょっとは自分にも問題があるかもしれないから、第4列も見てみよう」という感じです。

「利己的ではなかったか?不正直ではなかったか?動機に恐れと身勝手さはなかったか?配慮の欠如はなかったか?」

一つ一つ自分に当てはめていくと必ず思い当たるフシがあるものです。
そうすると「なぁ〜んだ。今回もやっぱり自分の側に問題があったのか!他者は私を傷つけることが出来ないというのは本当だ。自分を傷つけているのはいつだって自分の性格上の欠点からくる行動パターンなのだ」ということを合点します。

このような営みを何百回・何千回と続けていくうちに深い自己理解に到達するようになります。
これは生きている限り続く営みです。

        

3.不快感情というダムを決壊させないために

アダルトチルドレンや依存症者でなくても心の中に不快感情が溜まっているのは気持ちの良いものではありません。

会社で上司に口答えできなくて、仕事帰りに同僚と上司の悪口を酒の肴に一杯やっても、不快感情を麻痺させることは出来ても無くすことは出来ません。

同様に自分の言うことを聞かない夫に対して不快感情を感じ、それから逃れようとして病的なコントロールという嗜癖を使っても不快感情そのものがなくなることはありません。

これらはみな麻痺させるだけであり、本質的な解決策ではありません。
また使えば使うほど症状は重篤になります。

では心が健康な人々と私たちACや依存症者の違いはどこにあるかというと、それは耐性という部分にあります。

怒りの爆発ということを例にすると、何回も何回も怒りを爆発させていると簡単に怒りが爆発するようになり、それは次第に自分でコントロールできなくなります。

何回も何回もダムが決壊し、そのたびに応急処置を繰り返しているうちにダムの構造そのものが脆弱化してしまうのです。
もうこうなったら手の打ちようがありません。
ただ一つの解決策はダムに不快感情という名の水を貯めないことだけです。
空っぽのダムならば、構造が脆弱化していても他の人々と同じように生きていくことが可能です。

よく聞く話に「あの人は酒さえ飲まなければ良い人なんだけねぇ」というのがあります。
しかし、これは間違った理解です。
そうではなく「不快感情さえ溜まらなければ良い人として生きていける」というのが正しい理解であり、すべての人にとっての本質的な解決策なのです。

        

4.神が私を見放さないから、私も私自身を見放さない

12ステップはある意味ではおかしなプログラムです。
それは私達に治らないことを認めさせ、その上で治らないけど回復は可能ということを納得させます。
そして回復するための行動のプログラムに徹底して取り組むことを求めます。

誰だって「あなたも私もスッキリ・ハッキリ・これっきり!」みたいなインスタントにできる根本的な解決策を得たいのです。
しかしこの地上にそのようなものは存在しません。
私たち依存症者やアダルトチルドレンはどちらかといえばそのような労なく快だけを得ようとした結果、人生が思い通りにならなくなったのではないでしょうか?

私達の生物学上の親は養育放棄をしたり虐待をしたり、または過干渉であったりしました。
「あんたはなんて面倒くさい子供なの!」と親から言われた方はいないでしょうか。
それをそのまま大人になっても自分自身に対して「そんな面倒くさいことしなくてもイッペンにパッパッと出来ないかな?」と言っている人はいませんか?

そんなお得で手軽な誰にでもできるみたいなものはどこにも存在しません。
生きている限り、自分の感情が暴走するたびに「よっしゃ、どっからでも掛かってこい!全部まとめて面倒見てやる!」という意気込みで日々の棚卸しをやるのです。

その代価を払った報酬は心の静けさ(心の平安)です。

◎回復と平安を祈っています。

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