共依存は克服できない病気。でも回復は可能。だから回復に専心する!

御自分の夫やお子さんが依存症になり、ご苦労しておられるご家族が多くおられます。
このような方々が罹患しやすい病気が共依存症です。
この記事では共依存症とは何かを知り、そこから回復していく方法を述べました。

        

1.共依存は嗜癖であることに気づく

まず大切なことは共依存が他の依存症と同じく嗜癖であると気づくことです。
アルコール依存症の家族の方が幾度となく「今の今まで依存症なのは夫であるとばかり思っていたのに、援助していたつもりのこの私が『共依存症』という名の依存症者であったとは!」と仰るのを聞きました。

共依存の本質は自分以外のものを自分の思い通りに動かそうとするところにあります。
これを「病的なコントロール欲求」と呼びます。

        

2.病的なコントロール欲求が及ぶ範囲は三つある

一つ目はパートナー・家族・職場の同僚などの他者に。

二つ目は自分自身に。

皆さんは自分と自分自身の区別がついておられますか?
実はありのパパもよく分かっていません(笑)。
ただなんとなく自分とは別のもう一人の自分が自分の中にいることを感じています。

自分の中にもう一人の自分がいるのは解離性人格障害(いわゆる多重人格)の人だけではありません。
すべての人のなかに「もう一人の人」がいるのです。
このもう一人の人のことを自分自身と呼びます。

私たちはこの自分自身の良きマネージャーである必要があります。
アダルトチルドレン&共依存症や依存症者を見ていると、自分自身との関係があまりよくないというか、関係そのものが希薄な人が多いように感じます。

他者や自分自身との関係が希薄だったり、うまくいかなかったりしたので依存症になったという面があるのかもしれません。

三つ目は神に対してです。

共依存症者には神に従うということが本当には分かりません。
とうしたって神を自分に従わせようとするのです。
要するに自分が神であり、自分にとっての神はアラジンの魔法使いのような存在に過ぎません。
要するに神は自己実現のための道具なのです。

しかし神を自己実現の道具にしている限り、神の力が与えられることはありません。
それで「おかしいな?なぜいつまで経っても神の力が与えられないのか?」と訝しんでいるのです。

人生のどこかで「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める」決心をする必要があります。
そうするまでは人生の歯車は空回りするばかりであり、一歩も前に進むことができません。

        

3.この嗜癖は克服できない病気。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう!

共依存症という病気は他の依存症と同じく治らない病気です。
その理由は依存症回路が脳の報酬系に出来たことによります。

この依存症回路から強迫観念と渇望現象が出てきます。
そして依存症回路がいったんできると、それは死ぬまでなくなることはないと言われています。

共依存症者にとって可能なのはスリップしないことだけです。
脇が甘くなったときがスリップするときです。

そうは言っても感情の暴走が止まった状態での強迫観念と渇望現象はまるで昼間に出てくるお化けのようです。
お化けが怖いのは深夜に出てくるからであり、真っ昼間に出てくるお化けは怖くとも何ともないのです。

そういうわけで共依存症にとっての回復とは感情の暴走を止めることにほかなりません。

4.感情・情緒面でスリップしたときは日々の棚卸し

感情の暴走が止まり、対処すべき相手が強迫観念だけになったとしても安心ができないのが、この病気です。

利己的考えが本能を傷つけ、感情を暴走させます。
この利己的考えを何とかするのが日々の棚卸しをやる目的です。

私たちには本当の意味での失敗はありません。
なぜなら感情が暴走したら、そのときは日々の棚卸しをやる材料が与えられたと感謝すればいいだけだからです。

感情が暴走せず、その結果として共依存という嗜癖に陥らない日々が続いたならば大感謝を神にささげればよいのです。

5.手放すのと無関心は違う。過剰な世話焼きと健全な世話も違う

共依存とは相手に過度に関わることです。
これを間違って受け取り、相手に何もしないことが回復だと考えてはなりません。

残念なことですがこのような誤りを頻繁に見ることができます。
自分の夫や子供の依存症などを何とかしようとして家族会などに参加します。
そこで「そのあなたの関わり方が夫や子供を回復できなくしている原因である」と言われて茫然自失となります。

しかし不健全な過度な関わりの反対語は何もしないことではありません。
家族には本人が回復するためにすべきことが多くあります。
これが医療に携わる人々の現在の見解です。

私たちは神に手放すことと無関心の違いをわきまえ、また過剰な世話焼きと健全な世話の違いについてもわきまえておきたいものです。

「変えられないものは受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えていく勇気を」(平安の祈り)

◎回復と平安を祈っています。

        

どうぞコメントをお残しください。初めてコメントなさる方は必ず自己紹介をお願いします。自己紹介のないコメントを承認することはありません。詳しくは[お知らせ]の[コメントしてくださる方へ]をご覧ください。