アダルトチルドレンや依存症の回復には真に無力を認めることが必須!

無力を認めることは一筋縄(ひとすじなわ)ではいきません。
なぜなら単に「私は無力を認めます」と告白すればよいわけではないからです。
ではどこらへんに気をつければ真に無力を認めたということが出来るのでしょうか?

スポンサーリンク

1.一つの建物で表門と裏門にかかっている看板が違う

無力をいい加減にしか認めてない人の「自分を超えた大きな力」は曲者(くせもの)です。

表門には「自分を超えた大きな力」という看板がかかっているのですが、裏門に回ってみるとそこにかかっている看板には「自分」と書かれてあるのです。

このように自分の無力を真に認めていない人の神概念は自分自身と混じり合っています。

そのため初めは謙遜に無力を認めてスタートしても、少しうまく行くと「私も大したもんではないか!私もやればできる!」とうぬぼれます。

しかし神の力は無力を認めているところにしか流れ込んできませんから、その人はやがてスリップする羽目に陥ります。
そして自分ではなぜスリップしたかの原因が分からず途方に暮れるのです。

2.神とは自分以外の存在

ありのパパも自分の人生になぜこのようなことが繰り返し起きるのか理由が分からなかったうちの1人です。

しかし12ステッププログラムに取り組んでみて原因と解決策が分かりました。

原因は二つあります。

一つは信じている自分を超えた大きな力が自分とつながっているのです。
どういうことかと言うと、自分の延長線上に神があるのです。
しかしその神は偽物(イミテーション)です。

本物の神はあなたと断絶した存在でなければなりません。
すなわち無力なあなた以外の、あなたを超えた存在でなければなりません。

もう一つは無力を認めるということは治らないのを認めることです。
「もう治ったのではないか?」と定期的に自分のことを錯覚する人がいますが、その人は本当の意味で無力を認めているとは言えません。

なぜなら無力を認めるとは治らないということを認めたということにほかならないからです。

スポンサーリンク

3.治らないと認め、回復に専心する

解決策も二つあります。

一つは自分は治らないということをはっきり認めることです。
ありのパパのことを言えば本当は綺麗サッパリ治りたかったのです。
過去の出来事など何もなかったように涼しい顔で振る舞いたかったのです。

しかし何もなかったことにはできないのです。

それで自分は一生治らないと認め、しかし回復は可能だから回復に専心しようということになります。

治らないと認めることが事実を間違って認識しないための最大の防御壁になります。
治らないと認めてからは、調子がいくら良くても有頂天になることがなくなりました。
それはいつでもスリップ可能であり、回復しているのに過ぎないと心底理解しているからです。
これが無力を認めるということの実態です。

もう一つは問題の本質は自分自身の無力にあると認め、解決はその無力な自分以外の、自分を超えた大きな力であると信じることです。

問題の本質がどこにあるかというと自分自身の無力にあります。
他の誰でもない自分自身が無力だということが問題の本質なのです。

この理解を持たない限り、神の力と我力(がりき)が混ざり合います。
実際には混ざり合うことはなく、我力が流れ込んでくると神の力は止まってしまうのですが。

「問題の本質は自分自身の無力。だから解決はその無力な自分以外の、自分を超えた大きな力」という理解がどの程度お腹にストンと落ちているかどうかがカギです。

この理解がしっかりしている限り、うまく行ったりうまく行かなかったりのシーソー人生に陥ることはありません。

必ず回復の軌道に乗ることができ、人生は変わります。

◎回復と平安を祈っています。

スポンサーリンク

どうぞコメントをお残しください。初めてコメントなさる方は必ず自己紹介をお願いします。自己紹介のないコメントを承認することはありません。詳しくはメニューの「コメントしてくださる方へ」をご覧ください。