共依存という依存症の見分け方とスピリチュアルの正体

共依存は依存症の一種です。
共依存症は決して真面目な人が行き過ぎたのではなく、依存症の一つに過ぎません。
自分自身を依存症であると認めたときから共依存からの回復は始まります。

さて共依存は依存症ですから、依存症の特徴である強迫観念と渇望現象があります。
では共依存症における強迫観念はどのように働くのでしょうか?
おもに三つの領域で働きます。

        

1.人々を敵と味方に分ける

一番わかり易い共依存症の強迫観念は人々に対して働きます。
それは人々に対して病的なコントロール欲求という形で現れます。

自分の期待通りに動く人は味方であり、自分の期待に反した動きをする人は敵になります。

その結果、人間関係は緊張してギスギスしたものになります。

2.自分自身に対して

強迫観念は自分自身に対して最も強く働きます。
しかし自分と自分自身という関係は目に見えませんので、どんなにひどいことを強迫観念からくるコントロール欲求にされても気づきません。
その結果「私は出来そこないです」とか「私が全部悪いんです」と言うようになります。
これがアダルトチルドレンの問題リストの5番目の原因である場合もあります。

①高すぎる目標設定

強迫観念から出てくる病的なコントロール欲求は自分自身に対する高すぎる目標設定という形で現れることがあります。

周囲はなぜ到達不可能な目標を設定するのか皆目見当がつきません。
本人に聞いても意味不明のことばかりを言うので、周りの人は「この人は傲慢なのか、身の程知らずなのか、それとも頭のネジが外れているのではないか?」と受け取りがちです。

②細かすぎる実績の評価

実績を評価する際にも強迫観念から出てくる病的なコントロール欲求が現れます。
それは異常に細かすぎる実績の精査です。

何でもないところを取り上げて「ここがダメだから、あなたはダメ!」と言います。
これが他人から言われたことならば反論のしようもありますが、自分の中で自分自身に言われると反論のしようがなく、またそれが強迫観念から来ていることに気づいていないと、強迫観念が教えるウソにころりと騙されてしまいます。

③自己一致が失われる

自分自身という存在に対して正しい評価ができないと、自分自身に対する信頼感や親近感が失われます。

また自分が誰であるかわからなくなります。(アダルトチルドレンの問題リストの2番目)

        

3.神を自分の召使にする

「あなたは私のことを知っていると言われますが、私自身のことを一番良く知っているのは、この私です」[新約聖書マルコの福音書14章31節]

この聖書の言葉が言わんとしていることは「あなた(神)は黙って私の祈りに応えていればよいのだ」ということにほかなりません。

しかし神は人の言いなりになるような方ではありませんから、このように考えている限り不毛な人生を歩むことになります。

4.依存症に陥る間違った三つの生き方

①自己意志を我力で実践する

これは神を信じない人の典型的な生き方です。

自己意志は自己実現を求めますから、どうしても利己的振る舞いに陥りがちです。
そして利己的振る舞いは必ず人を傷つけます。
今度は傷つけた人を見て罪悪感に苦しむようになります。
罪悪感から逃れるために嗜癖に走るというお定まりの行動を取るようになります。

我力は有限なものですから、どうしても判断したり行動するさいに思慮が浅かったり配慮が不足したりします。
その結果間違った判断や行動をして、あとから「あの時ああすればよかった」と後悔するようになります。
後悔の感情は自己憐憫を生み出します。
そして不快感情から逃れるために嗜癖に走るというお定まりの行動をまたしても使います。

②自己意志を神の力で実現しようとする

これは宗教を信じている人に多く見られる生き方です。
「この神の力があったら、どんな夢もかない放題だ!」と有頂天になります。

しかしこれらの人々は大切なことを忘れています。
それは神の力が与えられるのは神の意志を実践しているときに限られるということです。

自己意志を放棄しない限り、決して神の力が与えられることはありません。
ですからこの生き方は必ず徒労に終わります。

実はこれがスピリチュアルとか『引き寄せの法則』とか言われるものの正体でもあります。

③神の意志を我力で実践しようとする

この生き方に陥っている12ステップを実践する人が多いと感じます。
この人々はあたかも神の意志を実践しようとしたら自動的に神の力が与えられるとでも思い込んでいるかのようです。

しかしそれが真実ならステップ11の文言は「私たちは神の意志を知ることを求め、そして神の意志を実践した」となっているでしょう。
しかしそうはならずに「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた」と書かれてあるのです。

これはありのパパの推測ですが1930年代の12ステッププログラムを作り上げた人々も同じ問題に直面したのではないでしょうか?

神の意志を知っただけでは不十分であり、それだけではなんにもならない。
神の意志を知ることの他に、神の意志を実践するための力を求める必要があるということを困難な経験の中から体得したのだと思います。

神の意志を祈りなしに我力で実践しようとしても結局のところ人生は1mmも変わりません。

神の力が与えられるのは神の意志を実践しようとしているときだけです。
また神の意志を知っていても、神の力を求めなければ自動的に神の力が与えられるわけではありません。

昔イスラエルの人々が朝早く起きて神の食物であるマナを集めたように私たちも今日一日分の神の力を求めて朝一番に祈ることが必要です。

5.依存症から根本的に決別する生き方は神の意志を神の力で実践すること

私たちはステップ3で自己意志を自分なりに理解した神に委ねました。
それがステップ11で神の意志として私たちに戻されます。

これを「ステップ3で捧げた自己意志がステップ11で神の意志として戻ってくる」と言われます。

間違った三つの生き方に別れを告げて、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める時、それまでは1mmも動かなかった人生の歯車が静かに動き始めます。

見ていると動いているように見えないのですが振り返ると人生が変わっているのです。
まるで「だるまさんがころんだ」のようです(笑)。
ですから定期的な振り返りは大切です。
一日ごとに、一週間ごとに、一ヶ月ごとに、四半期ごとに、一年ごとに振り返ると神が私たちの人生をどんなに変えてくださったかということに感謝が溢れます。

◎回復と平安を祈っています。

        

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