霊的に目覚めるとは何に目覚めるのか?霊的な状態とはどんな状態か?

霊的に目覚めるとは今まで寝ていたのが目が覚めたというような文字通りの意味ではありません。
そうではなく視点の転換が起きたことを指して、その変化があまりにも大きいので「今の考え方と比べると以前の考え方はまるで眠っていたようだ」という比喩表現です。

霊的な状態とは、以前の考え方に逆戻りせずに、視点が変わった状態を維持し、さらに変わり続ける過程にあることを指しています。

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1.「状態をどう維持するか?」ではなく、「状況にどのように対処するか?」に焦点を当てる

フラットな心の状態・思いやり・心を開くことなどは自分でやろうと思ってできることではありません。
そうではなく日々の棚卸しを毎日続けた結果として、これらのものが賜物(プレゼント)として与えられるのです。

『なすべきことをなしていれば、状態は自ずと整えられる』

では何を行動するのでしょうか?

それは日々の棚卸しを行うのです。

①どの感情が暴走したのか?

②どの本能が傷ついたのか?

③この問題の自分の側の誤り・落ち度の正確な本質は何か?

④祈りと黙想を行ったか?

⑤埋め合わせする必要がある場合、どのような埋め合わせを行うか?

(日々の棚卸しの具体的なやり方は日々の棚卸しを習慣にしてしまうことが人生の鍵だと知っていますか?をお読みください)

2.霊的な状態って何だ?

霊的な状態とは「トラブルが起きる原因は他人にあると思い込んでいたのが、実は問題の原因が自分の中にあった」という事実に気づき続けている状態です。

問題は自分ではなく、他人の中にあると考えつつ、「他人への思いやり」をもっても、「心を広く持とうとしても」、「謙虚であろう」としても、それは全部自分のためではないでしょうか?

要するに自分の思ったとおりに人々に動いてもらうために、思いやりを示したり、心の広さをアピールしたり、謙虚さを見せびらかすのです。
これらは皆人々を自分の思い通り動かすための材料に過ぎないのではないでしょうか?

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3.共依存のこと

だれもが「『こうあらねばならない』と自分や他人を裁いてはならない」と言います。
しかし問題の核心はその先にあります。

ありのパパはつい最近気づかせてもらったことですが、「『こうあらねばならない』と言ってはならない」と考えていたのは、実はそのように言ったり、考えたりすることによって、自分自身や人々を自分の思い通りに動かすためでした。

病的な支配欲求から自由であるならば、「こうあらねばならない」と言ったり、考えたり、行動したりする人を見ても怒りは出てきません。
もし怒りが引き出されたとしたら、それはやはり「『自由に生きていいんだよ』と私が言ったら、そのとおりに生きてね」という病的な支配欲求が潜んでいると考えてよいでしょう。

4.やるっきゃない

どのようにしたら共依存(病的な支配欲求)から自由であることができるでしょうか?
それは日々の棚卸しをやり続ける以外にありません。

千回ほどやったら、自分の中にある病的な支配欲求に気づくかも知れません(笑)。

ありのパパ自身は日々の棚卸しを毎日やって三年たった時にこのような理解に達しました。
もちろんだからといって、すべての人が三年掛かるとか、そんなことをいうつもりは全くありません。
はじめから気づいており、そのことのために12ステップに取り組もうとする人々もおられるぐらいですから。

5.現実の有り様と自分の心の中をどのように分けて考えればよいのか?

12ステッププログラムに取り組むことにより自分自身の内面は全く新しく変わることができます。
しかしご自分が属する家庭・職場・地域などは全く変わらずそのままです。

ですから私たちが生きている限り、問題やトラブルから解放されるということはありえません。
一つの問題が解決したと思ったら、またすぐに新しいトラブルが降り掛かってきます。
人生はそのようなことの繰り返しです。

12ステップの前提は「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」というものです。
そして「他人は自分を傷つけたり、不機嫌にすることができない。傷ついたり、不機嫌になったりするのは大抵は自分自身の中にある性格上の欠点によるのだ」という理解です。

それでこういうことになります。
現実に問題は山積みだから私がトラブルから解放されるということはない。
しかし問題の只中(ただなか)にあって心に平安を持って生きていくことは可能。
なぜなら心の中の嵐というものは自分自身の性格上の欠点が作り出しているものに過ぎないからだ。

心の静けさ(セレニティー)をもって人生を生きるために、私たちはトラブルが起きるたびごとに日々の棚卸しを行います。
そうするといかに愚かな私たちであっても、「な〜んだ。自分が怒ったり恨んだり後悔したりしている原因は自分の外側にあるのではなく、自分の性格上の欠点にあったのたか!」ということに気づくことができます。

聖書には「私たちの肉体を殺すことができても、魂に指一本触れることもできないような人間を恐れてはなりません」とあります。
これを最初に読んだ時、ありのパパは「何とご無体なことをおっしゃるのですか?!」と感じました。
「怖い!」と感じるのが普通ではないかと考えたからです。

しかし聖書が言っていることの真意はそういうことではなかったのです。
聖書は文字通り「他人はあなたを傷つけることができない」ということを言っていたのです。

◎回復と平安を祈っています。

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