依存が止まらず苦しんでいる方へ。しへきの構造を理解するのが先決!

嗜癖(しへき)から解放されようとするなら、まず嗜癖する原因を知らなければなりません。
やみくもに頑張っても効果はありませんし、「自分の意志が弱い」とか「頑張りが足らない」とかの的はずれな分析ではダメです。
絶対に効果のある原因分析の方法をお知らせします。

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1.なぜ刺激に嗜癖するようになったのか?

①恐れから来る不安を感じないようにするため

安全本能の感情面での安全が傷つくと恐れの感情が暴走しやすくなります。
傷つくのは事実による場合もありますが、勝手な思い込みや妄想によって傷ついている場合がほとんどです。

感情面での安全本能が傷つくと、恐れの感情が暴走し、恐れの感情が暴走すると不安が生まれます。
(安全本能には他に物質面での安全があります)

ありのパパの場合は将来野心の感情面での安全が傷つくことがよくあります。
将来野心とは、共存・安全・性の本能を将来に渡って充足することを求める本能を指します。

②恨みから来る怒りを感じないようにするため

共存本能の中の自尊心が傷つくと、恨みの感情が暴走しやすくなります。
自尊心が高ければ傷つきようがなく、傷つくのは自尊心(セルフイメージ)が低いからにほかなりません。

自尊心が傷つくと、恨みの感情が暴走し、恨みの感情が暴走すると怒りの爆発に繋がります。
(共存本能には他に対人関係があります)

③罪責感・後悔を感じないようにするため

道徳的・倫理的な問題で自分を責める場合を罪責感と呼び、一般的な領域での己が判断の誤りを悔いることを後悔と呼びます。

この悔いる感情は言ってみれば自己憐憫です。
自己憐憫の情が起きる原因は、共存本能が傷つくことによります。

2.古い行動パターンは何かを知る

なぜ行動パターンを知る必要があるかを、風呂に例えてご説明します。

風呂釜をガンガン燃やして熱くてたまらないから、水を入れて冷やしているにもかかわらず、風呂釜のスイッチを切らない人がいたとします。
その人になぜそんなことをするのかと聞くと「冷めたら困るから」とか「一度消すと、次に火を付けようとする時なかなか火が付かないから」などと一見もっともらしいことを言います。

他人事であれば、すぐにおかしいと分かります。
しかしこれが自分のこととなると、なかなか気づけないのが私たちではないでしょうか?

古い行動パターンを見つけ出すとは、この例え話の中の風呂釜のスイッチを切ることに相当します。
「あっ、またやっちまった」と気づいた時に、自分の古い行動パターンを明確に把握していれば即座に次の行動に移れます。

しかし把握できていなければ即座の行動は難しいです。
そしてグズグズしているうちにスリップしてしまうということになりかねません。

3.新しい行動パターンは必ず古い行動パターンの対極になければならない

①感情面での安全本能を満たす

安全本能が傷つくのは、ほとんどが一人芝居か妄想によります。
しかし妄想ではあってもいったん安全本能が傷つくと、恐れの感情が暴走してしまい、そこから不安が生み出されます。

依存症者だけではありませんが、その不安を感じないために酒を飲んだり、ギャンブルをしたり、過食したり、不必要な買い物をしたりするのです。

ですから問題行動を止めようとするならば、どうしても不安感情が起きないようにする必要があります。
そのためには安全感情が傷つかないようにすることが必要ですが、どうしたらそんなことができるのでしょうか?

それは『神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める』ことに全力を尽くす生き方にあります。
そもそもなぜ不安を感じるかと言えば、それは自分の願望・計画を我力(がりき)で成し遂げようとするからです。
不安を感じて当たり前ですね。

だから自己意志を放棄して、私たちは「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める」生き方を始めるのです。
この生き方に全力を尽くしている時、不安を感じている暇はありません。

②恨みの感情を暴走させないために

恨みの感情が暴走するのは、共存本能の自尊心や対人関係が傷ついたときです。
ありのパパの場合は自尊心が傷つくと恨みの感情が暴走し、それが怒りの爆発につながりました。

ですから恨みの感情が暴走しやすい人は共存本能が傷つかないように対策する必要があります。

それは『すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす生き方』です。
この生き方をしていると自分の中にある恐れの感情を感じる暇がありません。
なぜなら相手に敬意をもって接することに全力を尽くしていますから。

③なぜ全力を尽くして実践すると不安や恐れを感じないのか?

人間の心とはうまくできており、同時に相反する感情を感じることはできないのです。
この人間の感情の仕組みを活用するのです。

ありのパパは相手に敬意をもって接することに全力を尽くしているときにだけ恐れを感じないことを日々の実践の中で知りました。
まさに『情けは人の為ならず』とは真実な言葉です。

4.自己意志を放棄するだけではダメ。神の意志を実践する

生活の中で自己意志を放棄するだけでは充分ではありません。
なぜダメかというと、それは第一に無責任の極みだからです。
「私、無力なの〜」なんてのたまう人がいたら、ありのパパならぶっ叩いてやります(ウソウソ)。

私たちは責任を持って神の意志を実践することが大切です。
そのためには神の意志が何かを知っていなければなりません。
そのために「祈りと黙想を通して自分なりに理解した神との意識的なふれあいを深める」のです。

ジョー・マキュー(中間施設向けの12ステッププログラムであるリカバリー・ダイナミクスを作った人)はすぐに神の意志が分からない時、どのように行動すべきかを述べています。

a.現場に出続ける。

b.責任を果たし続ける。

c.自分に出来ることをやり続ける。

このように行動し続ける時、しばらくしてから振り返ると、神がご自分の意志をある程度成し遂げてくださっているのを見ることが出来ると言っています。

◎回復と平安を祈っています。