親を変えたいという欲求が自分の生き方に影響を与えているのに気づく

自分の中に病的な支配欲求があることに気づくまでは、自分自身が毒親の支配下にあることを本当には気づくことができません。
気づくことができたら、次の作業は日々の生活の中でどんなところで病的な支配欲求が現れているかに気づいていくことです。

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1.病的な支配欲求が自分のうちにあることに気づく

「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」
この言葉にはほとんどの方が同意されると思います。
しかし実は同意するだけでは何の意味もありません。
この言葉が意味のあるものになるためには、二つの気付きが必要です。

①親を変えたいと自分が願っていることに気づく

ありのパパは「親を変えてやりたい」という病的な渇望感に苛(さいな)まれて人生を生きてきました。

②自分の中にある「人を変えてやりたい」欲求に気づく

ACoAに来てからはじめて、親を変えてやりたという思いが「人を変えてやりたい欲求」の元になっているという事実に気づくことが出来ました。

2.病的な支配欲求を手放す

まさしく「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」なのですから、他人への病的な支配欲求を手放す必要があります。

①病的な支配欲求はいまだに毒親の支配下にある証拠

病的な支配欲求に気づき、そこから離れるのと、毒親の影響から逃れるのとは正比例します。
自分が他者への病的な支配欲求をもっていることを気づかないうちは、毒親の支配から逃れることは出来ません。

ただ、他者への病的な支配欲求を手放す営みを通して、毒親に心の外へ出ていってもらうことが可能になります。

②メッセージを運ぶことはできるが、その後は神にお任せする

12ステップグループの仲間の中には「人を変えてやりたい」欲求が活動の動機になっているように見える人々がおります。

健全さと不健全さの線引きはある面ではグレーゾーンであると言えます。
だれも100%純真な気持ちでメッセージ活動をやっている人はいないし、反対に100%病的な支配欲求に基づいてメッセージ活動をやっている人もいないということです。

私たちはメッセージを運ぶところまでが自分の責任範囲であり、相手の回復については神にお任せしなければなりません。
また「この人の回復のお手伝いをしたい」と自分が願ったとしても、それも神に委ねる必要があります。

3.自分自身をしつける

自分自身をしつけるとは、認知領域を拡大していくことです。
認知領域とは、自分がどんなことに対して病的な支配欲求をもっているかに気づいていくことです。

アダルトチルドレンの問題リストの6番目の「行き過ぎた責任感」も案外、病的な支配欲求から来ている場合もあります。
(これは皆がそうだと言っているのではありません。例えばありのパパの行き過ぎた責任感は問題リストの12番目の病的な見捨てられ不安から来ていました)

気づかなければ、振り回されるままです。
気づくことができてはじめて「何とかしよう」ということになります。

日々の生活の中で注意深く自分の心を見つめます。
祈りと黙想を通して、日々の棚卸しを通して、共同体の人間関係を通して、気づいていくチャンネルはいくつもあります。
そのチャンネルを人をさばくために使うのではなく、自分自身が気づきを得るための道具として使うのです。

どんな領域に気づいていけばよいのかは、アダルトチルドレンの問題リストが参考になります。どうぞ、お読みください。

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4.変えられないものを受け入れ、変えられるものは変えていく

なぜありのパパがこんなに病的な支配欲求に詳しいかというと、ありのパパ自身が病的な支配欲求の持ち主だからです(笑)。

共依存症者やアダルトチルドレンにとって病的な支配欲求は依存症そのものです。
依存症そのものとは治らないということです。

しかし「治らないけれど、回復は可能。だから回復に専心しよう!」ということになります。

回復の作業は具体的である必要があります。
たとえばありのパパはミーティングの司会を決してやりません。
なぜなら司会をやると病的な支配欲求が噴出してしまい、心の平安を持てなくなってしまうからです。

そういうわけで共同体の運営に加わることはできませんが、メッセージを運ぶことはできます。
このブログもその活動の一つです。

5.無限に回復・成長していくために親への怨みを手放す

親への怨みとは具体的に言うと「今のような自分になってしまったのは親のせいだ」という自己認識です。

この自己認識は間違っています。
一般的に言って、親と同居するのは18歳ぐらいまでです。
それ以降は自立するだけでなく、自分が自分自身の愛ある親になる必要があったのです。
それをそうせずに、ずっと無自覚に人生を生き、そして人生が思い通りに生きていけなくなってしまいました。

厳しいことを書きますが、こうなってしまった遠因は毒親にありますが、直接的な原因は親替えをせずにここまで来てしまった自分にあるのです。

確かに愛された経験の乏しい人は「自分が自分自身を愛する」と言っても何を言っているのか分からず皆目見当がつきません。
それで何回同じことを聴いても右の耳から左の耳へ通り過ぎてしまうのです。

しかしそれでもなお、こうなってしまった直接的な原因は親替えをしなかった自分にあると頭で理解できれば(心で理解できなくとも)、「親のことをああだ、こうだと言っている場合ではない」ということになり、毒親のことなんかどうでも良くなります。

お断りしておきますが、これは「親をゆるす」ことではありません。
毒親に心の中から出ていってもらった後でも「お前がやったことは終生ゆるさんからな!」と心の中で言っても良いのです。
そう言ったとしても、回復にはなんの差し障りもありません。
どうぞ、ご安心ください(笑)。

◎回復と平安を祈っています

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