ステップ1を踏むとは強迫観念と渇望現象に対して無力を認めること

依存症から回復するするには三つのパーツが揃うことが必要です。
最初のパーツであるステップ1は「無力を認めます」と告白するだけでは十分ではありません。
ステップ1を本当に踏むためには「問題は何か?」「問題の本質は何か?」を理解する必要があります。

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1.認めること、信じること、委ねることの三つが揃ってはじめて回復する

ありのパパは18歳のときにキリスト教に入信しました。
その時の教会の説明は「信じれば救われる」というものでした。
これは「良い行いをすれば救われる」という偽りの教えに対して16世紀の宗教改革者マルチン・ルターが聖書に基づいて教えたことです。

しかし時代が移り変わるにつれて教えは変質していきました。
どういうことかと申しますと、確かに救われるためには信じるだけでよいのですが、しかし信じる前と、信じたあとに為すべきことがあるのです。
それらが全部忘れ去られてしまいました。

2.信じる前になすべきは無力を認めること

信じる前になすべきこととはキリスト教的に言うと「悔い改める」ということです。
12ステッププロクラムの視点で言うと「無力を認める」ということです。

これは言葉は違いますが、意味しているところは同じです。
今まで自分の力で何とかしようとしていたのを「自分の力では何ともならない」と認めます。

12ステッププログラムに徹底して取組む以前のありのパパはスリップすると「俺はなんてダメなやつなんだ」と無力を認めるのですが、少しうまくいくと「俺もなかなか大したもんだ」と我力(がりき)に頼るようになっていました。
このようにして何十年間も無力を認めることと我力に頼ることの間を行ったり来たりしていたのでした。

それが12ステッププログラムに徹底して取り組んだことにより、依存症は治らない病気であること、そして脳の報酬系に「快楽を求めることを強制的に命じる回路」が出来てしまうと死ぬまでなくならないことを知ったのでした。

3.スリップするのは誘惑されるからではなく、強迫観念による

自分が失敗する原因を本当に知ることができてからというもの、ありのパパは失敗しがちであったことを片っ端から無力を認めていくようにしました。
その結果どうなったかと言いますと、無力を認めたそれらのものは皆止まりました。
要するにスリップしなくなったということです。
これはキリスト教で言う実際的な聖い生活というものに該当します。

ありのパパはスリップしそうになると「サタンが私を誘惑している!」と受け止めていました。
それで「サタンよ、退け!」などと本気で祈りの中で命じていました。

しかし事実はそうではなく、脳の報酬系にある依存症回路が快楽を求めることを強制していたのに過ぎなかったのでした。
分かってみれば、なぁ〜んだということです。

4.強迫観念と渇望現象の正体

やったらいけないと分かっているのに、ついやってしまうのが強迫観念の働きです。
そしてやり始めたらブラックアウトするまで止めることが出来ないのは渇望現象の働きです。
この強迫観念と渇望現象が依存症の二つの問題と呼ばれています。

これはありのパパのような怒りの爆発という行為依存だけでなく、アルコール依存症などの物質依存や、思考習慣の依存症であるアダルトチルドレンや共依存症にも当てはめることが出来ます。

12ステッププログラムの勉強会に参加して、「ステップ1とステップ2はセットになっている」と教わりました。
それは問題の本質が実は自分の無力にあったと分かれば、当然のこととして解決は無力な自分を超えた大きな力にあるということになるからです。

これは自分では自動車を直せないと、自分の無力を認めたら、自動車の修理工場に持っていくのと同じことです。

ありのパパは、この無力という概念を理解することが出来ずに実に40年間もさまよっていたということになります。

5.無力を認めるのは、自分を超えた大きな力を信じるため

何らかの宗教を信じている人にとっては「信じる」という行為は容易いことです。
しかしいわゆる無神論者にとっても実は「信じる」ということは難しいことではありません。
難しく感じるのは案外自分の無力に気づいていないせいかもしれません。

ある方に「無力を認めたら、回復への強い意欲を持つようになります」と申し上げたところ、たいへん驚いた様子でした。
ただ無力を認めるだけなら、確かに回復への強い意欲を持つことは難しいでしょう。
しかし、自分を超えた大きな力を信じるというステップを踏むために無力を認めるのだと知れば話は違ってくるのではないでしょうか?

金輪際、自分の力に頼らない決心をし、神さまになら自分を回復させることができると信じるなら、だれでも「これなら回復できそう!」という強い期待を持つようになります。

そして次のステップ3ではこの解決策を自分のものにするために自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をします。

このステップの1から3までは(やろうと思うなら)一分間でできることです。
どうぞ、時間を掛けすぎることがありませんように。
「鉄は熱いうちに打て!」という言葉があります。
あまりに長い時間を掛けすぎると、肝心要の回復への意欲が薄まる危険があります。
標準で一ヶ月、長くて三ヶ月を目安にしたいものです。

無力を認めるとは自分は治らないということを受け入れることです。
これさえ認めることができれば、回復の歩みにおいて右往左往することはなくなります。

「依存症は治らない病気。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう!」という言葉は真実です。

◎回復と平安を祈っています。