12ステップを学ぶ目的は霊的目覚めを得るため。そして問題は解決する

標準的な12ステップを解説する書籍として最もおすすめできる「回復の『ステップ』」。
今回はステップ8から12までの部分をご紹介します。
この部分は12ステッププログラムが単に嗜癖を止めるだけのものではなく、人格を成長させ、人生をも変えてしまうものであることを明らかにしています。

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1.埋め合わせ(ステップ8,9)

中間施設の講師が言いました。
「ステップ4と5(棚卸し作業)をやって疲労困憊し、ステップ6と7(性格上の欠点を取り除く決心)をやって途方に暮れる。そしてステップ8と9(埋め合わせ)をやって、いい気になる」(笑)

①埋め合わせは私たちを罪責感と後悔から自由にする

埋め合わせすることによって、私たちは後悔と罪責感から自由になることができます。

しかし、いつまでも埋め合わせすべきことを後のばしにするなら、罪責感と後悔が戻ってきて、それが神と私たちとの障壁になり、再びスリップしてしまうかもしれません。

だから埋め合わせすることを後のばしにするべきではないのです。

②家族に対して、ことにパートナーに対して

よく聞く愚痴が「妻がガミガミとうるさい」というものです。
ここにも埋め合わせが可能です。

妻と対等だと思っているから、ガミガミ言う妻をうるさく感じるのです。
これが心の中で「自分の依存症のために妻を苦しめてしまった。申し訳ない」と思っていれば、妻がいくらガミガミ言っても何ともありません。
かえって「それで君の気が済むのだったら、もっとガミガミ言ってくれ」と感じようというものです。(ちょっと言い過ぎでしょうか?(笑))

ただし、謝罪は一度限りにします。
あとは遺憾の意を表し続けます。
たとえ相手が謝ることを強制しても、決して謝罪してはなりません。
謝罪癖(くせ)がつくと、双方にとって悪い結果をもたらします。

「お前は一体何回俺に謝らせれば気が済むんだ!」と怒鳴るご主人よ。
妻は「謝れ」などとは言っていません。
たとえ言ったとしても、それは本意ではありません。
妻の願いは、あなたが変わることです。

あなたが本当に変われば、誰もあなたに謝罪を要求などしません。
あなたがいつまでたっても変わらないから、周囲の人はじれったく感じているのです。
じれったく感じさせている張本人は、あなたです。

③埋め合わせの三原則

a.埋め合わせは直接する

ある人がスポンサーに「手紙で埋め合わせしてもいいですかね?」と聞いたところ、スポンサーは「いいよ、君が手紙で相手を傷つけたのならね」と答えたそうです。

埋め合わせは原則として直接する必要があります。
そうしなければ、あなたは埋め合わせをしても後悔や罪責感から解放されないのではないでしょうか?

b.機会があればどこででもやる

ジョー・マキューによれば、原語では「いつでもやる」ではなく「どこででもやる」となっているそうです。

例えば埋め合わせすべき人が、偶然同じ電車の車両に乗り合わせたときに、「今は電車の中だし、改めて訪問しよう」ではなく、「そうだ。埋め合わせは『どこででも』やる必要があるのだ。神が与えてくださった埋め合わせするチャンスを今こそ用いるべきときだ」と考えるのです。

c.進んでやろうとする気持ちになる

ジョー・マキューにも埋め合わせするのが困難なことがありました。
しかし、ジョーは仲間に「僕はいつかは必ず埋め合わせするつもりなんだ」と何回か語っているうちに、自分の中にあった自責の念から解放されているのに気づいたそうです。

それでジョーは進んでやろうとする意欲を持つだけでも、私たちは罪責感と後悔から解放されると言っています。

④ステップ9まで来ると、約束のものを得ることができる

ビッグブックやジョー・マキューによれば、ステップ9を踏み終わると霊的目覚めが与えられるとしています。

12ステッププログラムに取り組む理由は一つだけです。
それは霊的目覚めを得ることです。
霊的目覚めこそ、依存症から回復するための唯一の解決策です。

ですから、何とかステップ9まで頑張っていただきたいのです。

2.メンテナンス・ステップ10「霊的な状態をきちんと維持する」

ステップの4から9までが行動のステップとなります。
後のステップ10から12までは「続ける」ステップです。
4から9は生涯でただ一度だけ行うものです。
10は4から9でやったことを、生涯かけて続けていくステップです。

ステップ4と5で私たちは最初の変化を経験し、次にステップ8と9でも変化を体験します。
そしてついにステップ10で四次元の世界に入ります。

これは驚くべき変化です。

ジョー・マキューは人が変わるのは行動のプログラムである4から9をやった後であって、ステップ1から3までではないと何回も本書において述べています。

我が国の12ステップ共同体では「ステップ1から3まではやったが、それ以降はやっていない」という人がとても多いように感じます。

しかしジョー流に言うならば、ステップ1は認めることであり、ステップ2は信じることであり、ステップ3は決心することです。
これらはやろうと思うなら瞬時に出来ることであり、時間をかけることではありません。

また1から3をやっても変化は起きません。
ここに時間をかけすぎることは、致命的な問題につながります。
それはステップに取り組んでいる人のやる気がなくなってしまうということです。
あげくのはてにミーティングに来なくなり、仲間たちは「あんなに熱心だったのに、どうしたのか?」といぶかるのです。

ステップ10でやることは、ステップの4から9までを感情に変化があったときに、その都度やることです。

ジョーは「寝る前にその一日に抱えた感情を棚卸しするのではなく、感情に変化があったときにすぐに棚卸しをやる」と書いています。
また「私たちは肉体に異変が起きると、即座に対応するものだが、感情に異変が起きても、そのままにしておきがちだ」とも書いています。

ステップ10をやり続けると、私たちは四次元の世界に入ります。
(ペンテコステ派クリスチャンは、この言葉に注意する必要があります。これはチョー・ヨンギ博士が提唱したものとは全く関係がありません)

3.ステップ3の決心を実行に移す(ステップ11)

12ステップはドミノ倒しのような構造になっています。
ステップ1で問題が何か分からなければステップ2の解決策には進めないし、二つの問題と二つの解決策が理解できなければ、ステップ3で自分の意志と生き方を神の配慮に委ねる決心は出来ないというように。

ステップの4から10を経た結果、神と私たちを隔てる障害物は取り除かれました。
今や、ここに来て私たちはステップ3で行った「神の配慮に委ねる」という決心を実行できるところまで来ました。
「祈りと黙想を通して」神の意志とそれを実践する力を受け取ることが出来るのです。

これが「ステップ3で委ねた『自分の意志』が、ステップ11で『神の意志』として還(かえ)ってくる」と言われている所以(ゆえん)です。

①ビルが推奨する「夜に行う瞑想」

一日の終わりに振り返りを行う。
そして自分の生き方の中で、神の意志がどれだけはたらくようになったかを確認する。

夜ごとに「小さな振り返り」をするだけでも、私たちの人生はすっかり変わることが出来る。

②朝の瞑想

自分に課せられた今日一日の責任を自分に言い聞かせるために「今日一日を導いてください」と求める。
これはステップ3の決心ではない。

朝の身支度にかける時間を心にも掛けたら、人生はどれほど良くなるだろうか?
車のメンテナンスを忘れない人も、生き方のメンテナンスには無頓着である。

夜と朝、併せて10分間でよい。
この10分間が、あなたの人生を変える。

③決められないとき

大切なことは、答えを出せない自分自身に気づくこと。
それだけでよい。
これさえ出来れば、あとは「私には答えを出すことが出来ません」と言って、神に委ねるができる。

そうしたら、無駄にフラストレーションをためることはなくなる。
もちろん、これでは問題は解決しない。
しかし解決はしないが、その代わりに他のことに手を付ける余裕が生まれる。
そしてそのうちに、神に委ねた問題はやがて答えが与えられるのである。

④祈り

問題をかかえている人は大抵の場合において祈りが効果的に出来ていない。

効果的でない祈りとは、神に「ああせい、こうせい」と命じる祈りです。
私たちは神に命じられるべき存在であって、決してその反対ではありません。
ジョーは自分が苦しんでいたとき、してはならない祈りをしていたと述懐しています。

祈りとは本来、神に導きを求めるものです。
しかし「神を導く生き方」から、「神に導かれる生き方」への180度の方向転換はむずかしいことです。

サンタさんにプレゼントをお願いするような祈りではなく、神の導きとそれを実践する力だけを求めよう。
サンタにお願いする祈りをしている限り、あなたの祈りが神に聴かれることはありません。

他の人が幸せになるために必要なものが、自分にも必要とは限りません。
自分が幸せになるために必要なのは、神の意志を知ることと、それを実践する力だけであるのを知るようになります。

人々はよく「どんなふうにしたら、そんなにうまくいくのですか?」と質問する。
どんなふうにしたら、うまくいくことができるのかを知っていたら、その人は神様ということになる。
しかし私(ジョー)は思う。「柳の下に二匹目のドジョウがいるとは限らない」と。

大切なことは結果をコントロールしようとしないことです。
結果がどうなるか分からなくても「私が行きます」と言えるかどうか。
ここに鍵があります。
結果がどうなるか分からなくても、現場に行き続け、責任を果たし続け、出来ることをやり続ける。
そうしたら、神が責任をとってくださるであろう。

4.メッセージを伝える(ステップ12)

私たちには人に出来ないことができる。
自分と同じような問題を抱えている人に「私も同じでした」と話そう。
私たちたちの経験は、人種、宗教、そのほかどんな種類のバリアーも乗り越えることが出来る。
そうやって、共感という特別な意味深い方法で互いに理解し合うのである。

私たちがこの世に提供できるものは、依存症を克服する過程をとおして得たものだけです。
しかし、これこそが私たちの宝物なのです。

私たちに出来ることは、メッセージを伝えることだけです。
回復させる力は私たちにはありません。
もし、私たちが人を回復させようとするコントロール欲求を捨てないならば、私たちはフラストレーションでダメになってしまうでしょう。

私たちはメッセージを伝える人を選ぶことも出来ません。
もし、私たちが選ぶことが出来るとしたら、この私が選ばれなかったかもしれないのです。
私たちが誰を選ぶというのでもなく、経験と力と希望を分かち合いつつ、一つとなっていくのは何と素晴らしいことだろう!

ジョー・マキューにはアルコール依存症のお兄さんがいたそうです。
ジョーが酒をやめた同じ年のクリスマス直前に、そのお兄さんは亡くなりました。

ジョーは「たくさんの人の手助けをしてきたが、兄を助ける機会は与えられなかった。自分に分からないことはたくさんあるが、これもその一つである」と述べています。

続けてジョーは家族についても述べます。
誰でも家族を救いたいと強く思うものだが、私たちに家族を救う力はない。
この「自分に人を変える力はない」ということをどうしても認める必要がある。

ステップの1から11まで、私たちはずっと「受けて」きました。
しかしステップの12では私たちは「与える」側に回ります。
ジョーは「振り返ってみると、1から11のステップで与えられたものよりも、ステップの12で与えたことによって成長できた部分のほうがはるかに大きい」と言います。

私たちも神の憐れみの故に12ステッププログラムに出会うことが出来ました。
そして出会うだけでなく、徹底して取り組むことによって霊的に目覚めることが出来ました。
この経験と力と希望を生きている限り、一人でも多くの方々に伝えていきたいものです。

◎回復と平安を祈っています。

(一回目)標準的な12ステップはないかとお探しのあなたへ「回復のステップ」

(二回目)委ねる決心をしても委ねたことにはならない。委ねるための手段がある