標準的な12ステップはないかとお探しのあなたへ「回復のステップ」

標準的な12テッププログラムに取り組もうとするときに最も信頼でき、手に入りやすい書物として「回復の『ステップ』」(ジョー・マキュー著)があります。

この書籍のステップの1から3までの内容をご紹介します。

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1.問題は何か?(ステップ1)

著者は「ステップ1は非常にシンプルである」と言います。
なぜなら「自分には解決できない」と認めさえすればいいのだからです。

①この本は共依存症についても語っている!

ありのパパがはじめてこの本を読んだときには見落としていたことがあるのに気づきました。
それはジョー・マキューは1ページ目から共依存症について語っているということです。
もう、びっくりです(笑)。

「私たちは自分以外の人間に対して無力であるが、それにもかかわらず同僚を変えてやろうとするなら、大きな損失を被ることになるかも知れない。しかし自分が他の人に対して無力であることを認めるなら、まわりの状況は良くなっていく」(p15)

著者は共依存症とアルコール依存症を同列に並べて論じているのです。

②うまく行かない解決法を放棄する決心

著者はテントを張るときに使うペグの方向を間違えると、いくら金づちで叩いてもペグは地中に沈んでいかないことをたとえとして「間違った行動に固執している限り、解決には至らない」と言います。

「やみくもに頑張っても、やり方が間違っていれば解決には至らない」

やみくもに頑張る理由として、ジョーは私たちのコントロール欲求が原因であると述べます。
そのためには「ステップ1で私たちは自分の力だけで何とかしようとする生き方を手放す」(p17)必要があります。

ある状況に対する自分の無力に気がつけば、自分を超えた力の源泉を探すことが出来ます。

自分が無力であることが分かれば、おのずと解決は「自分を超えた大きな力」にあると理解できるようになります。

③12ステップはすべての問題に応用可能

この本を改めて読んで、ありのパパの理解の中に間違いがあるのに気づきました。

それは今までは人々に「12ステッププログラムが効果があるのは依存症と、擬似依存症と言われるアダルトチルドレンだけ」と言ってきたのです。

しかしジョー・マキューは「その力を使えばどんな問題でもーどんな問題でもだ!ー解決することが出来る」と書いています。
また「アルコールや他のアディクションに対して降伏という道具を使った後でも、『この降伏するという道具』は捨てるべきでない。なぜなら毎日の生活に使える、強力で役に立つ道具だからだ」と述べています。

要するに12ステッププログラムはすべての問題を解決することが出来ると言っているのです。

④受け入れるべきものと変えるべきものの区別が重要

すべてのことは二つに分類できます。
すなわち、受け入れるべきものと、変えるべきものです。

無力を認めるとは「変えられない」と受け入れることです。

しかし変える必要があるのに受け入れようとするなら、事態はますます悪化するだけです。

ジョーは平安の祈りにおいて最も重要な部分は「二つのものを見分ける賢さを」の部分であると言います。

今なお苦しんでいる人々と、すでに回復の軌道に乗っている人々の違いは、ステップ1を踏む「賢さ」が与えられたかどうかという点にあります。

この「賢さ」は平安の祈りの「二つのものを見分ける」『賢さ』と同じものです。

○ステップ1は100%受け入れなければならない。他のステップは最初は不完全でもプログラムはうまくはたらく。しかし、ステップ1だけは100%認めなければならない。

2.自分の力を超えた解決策(ステップ2)

「健康な心、つまり正気とは、真実がわかるということである。真実がわかれば、問題から解放される」

自分の力で車を修理できないと思えば、修理工場に修理を依頼するように、自分の力では解決できないとわかれば、自分を超えた大きな力に解決を依頼するようになる。

そしてそれは同時に依頼した先が「修理できる」と信じることでもある。

「ずっと神を信じてきたが、自分の人生はめちゃくちゃだ」という人に、著者が返す言葉は「悪魔だって神を信じているよ」ということです(笑)。

信じる時、自分のやり方を放棄していなければなりません(ステップ1の降伏)。
それなしでは、いくら信じても効果が現れることはありません。

また信じるだけで、それに基づく新しい行動が伴わなければやはり効果が現れるはずがないのは当然です。

「行いの伴わない信仰は死んだ信仰です」(聖書)

3.ステップ3

決心は行動に先立つ。
どんな人も、どんな行動をするときでも、何らかの決心をしているものだ。
そして決心をするときは、正しい決心をするために出来るだけ多くの情報を集める。
私たちは一つの決心をした。
それは『霊的に生きる』という決心である。

ジョー・マキューはステップ3においても、ステップ1で言ったことと同じことを言っています。
それはステップ3の原則はアディクションだけに適用されるものではなく、人生全体に適用すべき原理であるということです。

①間違った決心・不十分な決心

必要な情報を集めず、あわててする決心は後で必ず不都合が生じるものです。

反対に必要な情報はすでに集め終わっているにもかかわらず決断できない人は、初めの頃に集めた情報がすでに古くなっているので、その決断に基づいた行動には問題が起きやすくなります。

○大切なことは、チャンスを捉えるということ。ベストタイミングで決断すること。

②自己意志とは何か?

ステップ4で有効な棚卸しをするためには、意志の意味を理解できていなければなりません。
地球上には二つの知性的存在しかいない。
それは神と人間です。
これは人間の特権であり、同時に災いの種ともなってきました。

聖書には「神はご自身に似せて人をおつくりになった」とあります。
たぶん神に似せてとは、意志を持つ存在としてお造りになったという意味でしょう。

エデンの園の物語は神に自己意志を与えられた人間が、その自己意志を神に服従させていくべきであるのに、そうしないで本能が暴走するのを放置した初めての物語です。

③本能について

自己意志の役割は神に与えられた本能を適切にコントロールすることにあります。
しかし本能は原子炉のような存在であり、暴走しがちです。
この暴れ馬を自己意志だけでコントロールすることは不可能であり、自己意志を神の意志に服従させて生きていくときだけ、本能のコントロールは可能なのです。

本能には共存本能(職族欲求・名声・自尊心・プライド・対人関係)、安全本能(物質面・感情面の安全)、性本能(公認された性関係・秘密の性関係)、そして将来野心(これは独立した本能と捉えることも出来るし、各本能に付随するものとして捉えることも可能)があります。

4.ありのパパの経験

ありのパパは18歳の時に、キリスト教に入信しました。
そのときに教えられたことは「神に従え」ということでした。
この教えには前提があります。
それは「従うことが出来ない自分」が神の恵みによって従うことが出来るようになるということです。

しかし若かったありのパパはそんな神学的な背景を理解することが出来ませんでした。
それで文字通りの意味として「神に従う」ということを受け取りました。

その結果、何が起きたかというと、それは本能の抑圧でした。
要するに本能をなかったことにするのです。
それでというか、そのためにというか、断食を異常にやりました。
これは「食欲なんか、私にありません」という意思表明でもあり、何とかして本能をなかったことにする作業でもありました。

12ステップが教えることも、聖書が教えているのも、本能を抑圧することではなく、コントロールすることです。
問題の核心は、本能は暴走しやすく、自己意志だけではコントロールできず、神の力によらなければならないということです。

それをありのパパは「本能をないことにして生きていく」という手を使いました。
この結果、何が起きたかというと本能の暴走でした。

それはそうです。監視すべき自己意志は「僕に本能なんかないも~ん」とうそぶいているのです。
この状態は、自己意志が本能の監視を放棄している状態です。
「ないも~ん」と言っているものを監視したり、コントロールできたりするわけはありません。
それで本能は「いまだ!」とばかりに暴走を始めたというわけです。

ありのパパはこの本のステップ1から3までの説明を呼んで、原因が分からなかった自分自身の暴走の理由を明確に理解することができました。

この記事を読まれているみなさんのなかにも、ありのパパと同じく本能をなかったことにしている方はおられませんでしょうか?
もし、あなたがそうだとしたら、一刻も早く自分自身のなかにある本能を認め、その本能を神の力と協力してコントロールすることを始めるようにとお勧めします。

◎回復と平安を祈っています。

(二回目)委ねる決心をしても委ねたことにはならない。委ねるための手段がある

(三回目)12ステップを学ぶ目的は霊的目覚めを得るため。そして問題は解決する