アダルトチルドレンが回復するための確かな方法(問題リスト5,6,7,8)

多くの人がアダルトチルドレンの回復について語ります。
しかし殆どのものが効果がないか不明のものです。

しかし、実践するならば必ず効果があるという確かな方法があります。
それを皆さんにご紹介します。

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問題リスト5「 (私たちは人が恐いという自覚を持っているゆえに)自分の人生を被害者の視点で生きている」

そもそも「人が怖い」という感情は、自分が被害者でない限り持つことがない感情です。
なぜなら人が恐いというのは、人が自分を傷つけることへの恐れですから、これは自分を被害者の立場においていなければ起きようがない感情であるからです。

翻(ひるがえ)って実際の生活を見てみると、自分もまた他者を傷つけることが多かったというのが現実ではないでしょうか?
しかし被害者の視点で生きていると、自分のことで一杯になりますから(自己憐憫)、他者のことまで気持ちが及びません。
そうすると、これが原因となり他者への共感的理解・肯定的配慮の欠如という欠陥のある人間関係しか作れなくなります。

ですから豊かな人間関係を作り上げていこうとするなら、どうしても被害者の視点で生きることを止めなければなりません。
とは言っても、他の問題リストと同様に、被害者の視点で生きるという思考習慣のパターンに対して否認・抑圧・合理化していますので、これを変えるのは容易ではありません。

ありのパパには以下のようなことがあります。
それは気がつくと、心の中で自分が被害者になったストーリーの物語が進行しているのです。
(これは妄想傾向があるという言い方も出来ます)

これへの対処法は、妄想していることに気づいた時点で、はっと顔を上げ、「私は自分の人生を犠牲者の視点で生きることを拒否する」と宣言することです。

被害者の視点・犠牲者の視点で生きるほうが楽に決まっています。
しかし、これらの視点で生きていくと、人生は必ず行き詰まります。
行き詰まるのが嫌なら、被害者の視点で生きる生き方を放棄するほかはありません。

統合作業のやり方

「今日一日の出来事の中で、被害者意識が引き出されたことはなかったか?」
「今日一日の行動で、被害者意識を持って見つめている出来事はないか?」

このチェックを半年間行います。
そして少なくとも一ヶ月間はノートに感想を書き込むようにします。

問題リスト6「私たちは自分の性格上の欠点を見ないために、自分の世話をしないで他人の世話をする。それは表面的には行き過ぎた責任感として現れる」

問題リストの6はまさしく共依存症者の行動を言い当てています。
私たちは「人が恐い」という自分の短所に直面する勇気がないために、他者の世話に逃げます。

なぜなら他人の世話に明け暮れていれば、自分の性格上の欠点を見ないですむからです。

しかし、このような生き方は遠からず行き詰まりを迎えます。
なぜなら、世話をしている自分も、そして大抵は世話をされている人も、どちらも病的だからです。

心が健康な人は、限度を超えた世話焼きを拒否するものです。
ただ心が病的な人だけが、病的な世話焼きを心地よく感じ、それを必要不可欠と思うのです。

なぜ他人の世話をするかと言えば、それは「世話をするから、私の思ったとおりの人間になってね。私が思ったとおりに動いてね」という病的な他者へのコントロール欲求が背後に潜んでいるからです。

しかし、自分の思ったような人を完璧に演じてくれる人は、この世に一人もいませんから、このような生き方は必ず失望に終わります。
その時でさえ、自分が失望したのは自分の誤った動機にあるのではなく、自分の期待に添えない相手にあると信じて疑わないのですから、これは悲劇を通り越して喜劇になっていると言わなければなりません。

さあ、他人の世話をすることをやめて、自分自身の世話をすることを始めようではありませんか!

統合作業のやり方

「今日一日の行動の中に、他人の世話を焼きすぎたことはなかったか?」
「今日一日の中で、行き過ぎた責任感を発揮してしまったことはなかったか?」

一日の終わりに、または気づいたときすぐに、自分の行動を省(かえり)みます。
「また、やっちゃった!(笑)」と思ったときは、「神さま、私の中にある『自分の世話をしないで他人の世話をする』回路のスイッチを入れないで生きていけるように助けてください」と祈ります。

問題リスト7「私たちは『人が恐い』ので、他者の意向を考慮せずに自分の意見を述べると、偽りの罪悪感を感じる」

初めは威勢がいいのに、ちょっと論破されたりすると途端にヘナっとなってしまうことはないでしょうか?

心が健康な人は自分が正しいと思っていても自信満々には振る舞わないものですし、たとえ論破されたとしても「それがどうかしましたか?」的な対応をします。

アダルトチルドレンが自律的に自分の意見を言おうとすると、罪悪感を感じるのはひと言で言えば「自分はそのままでいい」と思っていないからです。
存在と行為が一体になっているのです。(分離しすぎていても別の不具合が生じます)

そのようなわけで、自分の意見が間違っているかも知れないと考えると、それが存在の価値にまで及びます。
それで罪悪感を感じるというわけです。

ありのままの自分でいいと思っていれば、自分の意見が間違っていようが、反論されようが、そんなことは自分の存在価値には影響しないことを知っていますから、罪悪感を感じないのです。

私たちアダルトチルドレンは「自分はこれでいい」というありのままの存在を受け入れられずに育ちました。
それで自分の存在に確信がないのを、親のせいにしているACも多いのですが、本当の原因は別のところにあります。

それは自分が自分自身のありのままを受け入れていないということです。

問題リスト7に書かれていることから回復しようとするなら、どうしても自分が自分自身のありのままを受け入れることが必要です。
これを自己受容と言います。

肉親には自分の心から出ていってもらい、自分が自分自身の愛ある親になるのです。(親替え)

統合作業のやり方

「私が私自身の親になり、自分を愛し、ありのままを受け入れ、常に自分自身を励まします」と毎日の祈りと黙想の時間に祈ります。

そして一日の終わりには「今日一日の中で、自分の意見をいうときに恐れたかどうか」を点検します。
恐れたときは自分自身に向かって「恐れがあるにもかかわらず、あなたはよくやった。私はあなたを誇りに思う」と言ってあげます。

これを半年間、意識的に行います。

問題リスト8「私たちは(人が恐いと感じる)自分自身を見ないですむために刺激に嗜癖するようになった」

多くのアダルトチルドレンは依存症には罹患していません。
しかし、片っ端から刺激に嗜癖します(笑)。

何を隠そうありのパパも刺激に嗜癖している人の一人です。
テレビを見始めると何時間でも見てしまうために、何十年か前にテレビを捨ててしまいました。

最近ではネットフリックスやフールーなどのドラマや映画の見放題サービスが始まりましたが、これもだめでした。
内心では「ひょっとして治ってんじゃね?」みたいに思うところがあったのですが、深夜まで見続けてしまいました。
それで見放題・読み放題のたぐいのものは全部解約してしまいました。

効果が現れるのに時間がかかるものに嗜癖する人はいません。
短時間で、インスタントに効果が現れるものに嗜癖します。

たとえば数分間で結果が分かる競馬・競輪に嗜癖する人は多くおりますが、練習まで含めると膨大な時間がかかるマラソンに嗜癖する人はおりません。
これは効果が現れるのに時間がかかりすぎるために、嗜癖対象から外れるためです。

この「刺激に嗜癖する」ことからの回復はどのようなものでしょうか?

もちろんお一人お一人、回復の形は異なると思います。
ただ、刺激に嗜癖することから自由になるのは生きている間はないと、個人的には考えています。
アダルトチルドレンが出来ることは、刺激に嗜癖しないようにすることではなく、刺激を近づけない努力であると思っています。

統合作業のやり方

「これは嗜癖しているな」と思うものがあれば、嗜癖している刺激を手放すことが出来るように、神に祈ります。

また「神さま、自分でも気づかないうちに刺激に嗜癖してしまっていることはないでしょうか?もしあれば気づかせてください」と祈ります。

統合作業のやり方は一つの項目について半年間続けます。
そしてはじめの一ヶ月は、その項目について黙想し、覚書をノートに書き込みます。
あとの五ヶ月はチェックだけで構いません。
このやり方ですと、1年半ですべての統合作業をやり終えることができます。
そしてこれを繰り返すことも有益です。

◎回復と平安を祈っています。

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