自分を大切にできない原因、それはセルフイメージが低いから。

「アネモネの花がどのようにして育つのか考えてみなさい。
自分のために服を作りはしません。
しかし栄華を窮めたソロモンでさえも、この一つの花ほど美しい服は持っていなかったのです。

今日は野にあっても明日は炉に投げ込まれてしまうかもしれない野の草にさえ、神はこれほどまでに美しい装いをお与えになられたのです。
まして人間であるあなたがたに、それ以上のことをしてくださらないわけがあるでしょうか?

ああ、あなたがたはなんと小さな信仰しか持っていなのか」[ ルカ12章27節〜32節 ]

私たちがあくせく頑張るのはなぜでしょうか?
それはセルフイメージが低いからです。
もしセルフイメージが高いなら、別の態度を取るでしょう。

この文章を読んで多くの方は「アホか?頑張ることは悪いことではない。自分自身や家族のために頑張るのは良いことである」と思われたでしょう。

しかし、この記事を読まれている今だけは別の視点を持っていただきたいのです。

たとえば、あなたが大金持ちの子どもだったとします。
そして成人式を迎えたら、全財産の生前贈与を受けることが決まっているとします。

さて、そこで質問です。
それでも、あなたはあくせく頑張って働きますか?
ほ〜ら、少しぐらついてきたでしょう(笑)。

12ステップの2には「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった」とあります。
しかし、ある方々は「神が私を回復させてくださるほどに自分が価値ある存在と思えない」と言われます。
このような考えを抱いていると、神の力がその人の心の中に流れ込む障壁になってしまいます。
それで今日は、間違ったセルフイメージについて考えます。

スポンサーリンク

1.セルフイメージとは何か?

実はセルフイメージに低いも高いもありません。
あるのは間違ったセルフイメージと正しいセルフイメージがあるだけです。

正しいセルフイメージとは、神が「あなたは高価で尊い」と言われるのだから、「私は文字通り高価で尊い存在である」と自分自身を受け止めることです。

間違ったセルフイメージとは「神がいくらそのように言われたとしても、私は自分を価値ある存在と思えない」と考えることです。

2.なぜ自分のことを高価で尊いと思えないのか?

自分のことを高価で尊いと思えない人に理由を聞くと「価値ある存在として親に育てられなかったから」とお答えになる方が多いです。
しかし、このような理解は致命的な誤りを含んでいると言わなければなりません。
なぜなら「あなたは親替えできる」という事実を見落としているからです。

あなたの親があなたに影響力を行使できたのは、あなたの子ども時代だけであり、大人になったあなた自身の親はあなたなのです。

この事実を見落として、依然として毒親があなた自身に影響力を行使するのをゆるすとしたら、それはあなたの責任です。

アダルトチルドレンの多くは、自分の中にいる毒親ロボットを実在の親と錯覚しています。
しかし、あなたを苦しめる毒親ロボットのスイッチを切ることが、あなたには可能なのです。

このスイッチを切らないで、セルフイメージだけを上げようとしても出来ることではありません。

毒親ロボットについて詳しくお知りになりたい方は「聖書が教える自分自身を愛するためのたった一つの方法とは?」の3.以降をお読みください。

3.小さな信仰とは、どんな信仰か?

小さな信仰とは「野の草を着飾ってくださる神が、それよりも優(まさ)った存在である私に良くしてくださらないわけがない」と考えないことを指しています。

多くの方々が「そのように信じたいのだが、信じることができないのだ」と言われます。
ありのパパも、この言葉に共感はいたします。
しかし、これは全く誤った自己理解です。

なぜなら私たちには「自分は価値ある存在である」と受け止めることが可能だからであり、そうしないのは自分の自由意志によって、そのように受け止めているからなのです。

4.毒親ロボットのスイッチの切り方

はじめに申し上げておきますが、毒親ロボットのスイッチを切るのは簡単な作業ではありません。
そこにあるスイッチを「ポチッとな」というわけにはいかないのです。

①12ステッププログラムに徹底して取り組む

12ステップの4と5の棚卸し表を書くことと、その棚卸し表を自分以外の信頼できる人に見てもらうことによって性格上の欠点とそれによって構成される行動パターンを見つけ出すことです。
この作業により、今まで自分の人生で起きたトラブルは親のせいだと思っていたのが実はそうではなく自分の短所が原因だったということに気づくことが出来ます。

「親が私に〜をした」という物事の受け止め方をそのままにしておくと、その物事の受け止め方は増殖してしまい、他の出来事に対しても同じ当てはめを繰り返すようになります。
「あの人が私に〜をしたので、私はこうなった」という感じです。

しかし事実はそうではありません。
真実は「そもそも私の中に短所があったので、あの人との関係で私はあのように振る舞ったのだ」というものです。
この理解をもつのは至難の業(わざ)です。
ただ12ステップに取り組むことによってのみ成し遂げることが出来ます。

身近に「もう一人の人(シェアリング・パートナー)」を見つけることができない方には、ありのパパがその役をやらせていただくことも可能です。
詳しくは「相談をご希望の方へ」の2.をお読みください。

②自助グループのミーティングに参加する

ミーティングに参加して、自分の話をし、仲間の話を聞かせてもらいます。
これによって、自分の中で否認・抑圧・合理化していた記憶の封印がとけます。

私たちの多くは否認しないと生きていけなかったのでそうしたのに過ぎません。
しかし問題は否認しないでよい環境になっても、依然として否認し続けていることです。
そして具合が悪いことに否認が強い人ほど「私、否認してないも〜ん」と思っています。
この否認の壁を打ち破るのも容易なことではありません。
ただ長期間にわたってミーティングに参加し、自分の話をし、仲間の話を聞かせてもらうことによってのみ成し遂げることが可能です。

スカイプを使ったミーティングがあります。顔と顔を合わすのは気後(きおく)れするという方もどうぞ。
ACoAスカイプミーティング
EAスカイプミーティング

5.正しいセルフイメージを持つときに起きること

・心の平安が訪れ、人に説明してもらわなくても、その意味を理解します。

・あくせく働くことがなくなり、神に目を留めて、神がどんな良いことをこの私にしてくださるだろうかと期待に胸を膨らませるようになります。

・自分自身の内的成長が手に取るように分かります。
かつてはできなかったことを神がしていてくださるのを気づくようになります。

・他の人々との間に健全な境界線を引くことが出来るようになります。
「私は私。人は人」という人間関係の原則を実践できるようになっているのを気づきます。

◎「あなたはわたしの目に高価で尊い」(イザヤ書43章4節)
回復と平安を祈っています。

コメント

  1. きさらぎ より:

    こんばんは、はじめまして、きさらぎと申します。
    私は米軍基地の近くに住み、その関係者であるアフリカ系米国人牧師の教会に通う、クリスチャンに成りたての者です。

    ありのパパさんのおっしゃることは正しいと思います。
    確かに過去の人間関係のトラブルは避けようと思えば避けられました。
    その意味で私の短所が原因というのは正しいです。

    しかし、あえて言わせていただけるなら、相手にも全く落ち度が無かったとは言えません。

    例えば私の祖母は、私に対してだけではなく誰彼かまわず悪口を言い、ニュースの犯罪被害者に対してすらも、冷酷な言葉を吐く人でした。

    今では彼女自身が愛に飢えている上に恐れを抱くことが多かったからだと理解し赦しますが、私にだけ短所があったから喧嘩していたとも思えません。

    大抵の人間関係のトラブルは、双方に原因があるものではないでしょうか?

    お忙しいところ申し訳ありませんが 、このことについてご意見をうかがいたいです。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、きさらぎさん。
      初めてのコメントをありがとうございます。

      当記事は「神があなたのことを大切に思っていてくださるのだから、自分もまた自分自身を大切な存在としよう」というものです。
      それに対して、きさらぎさんのご質問は「大抵の人間関係のトラブルは双方に原因があるのではないか?」というものです。

      この二つに何の関係があるのでしょうか?
      何の関係もありません。
      どうぞ、コメントしてくださるときは、当該記事に関するものに限ってくださるようにお願いします。

      しかしながら、ご質問の内容は大変重要な意味を持っており、他のアダルトチルドレンにとってもこの問題を考えることは有益ですので、今回に限り、質問を受付させていただきます。
      ご質問へのお答えは2017年7月21日に掲載する予定です。
      よろしくお願いします。

  2. きさらぎ より:

    ありのパパさん、お返事をありがとうございます。
    分かりにくい書き方をしてしまったことをお詫びします。
    そしてお答えいただけるとのこと感謝します。

    なぜこのような質問をしたのかというと「12ステップの1に徹底して取り組む」の「この作業により」から、「真実は『そもそも私の中に短所があったので、あの人との関係で私はあのように振る舞った』というものです」というところへの質問のつもりでした。

    繰り返しですが、分かりにくい書き方をしてしまったことをお詫びします。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、きさらぎさん。
      コメントをありがとうございます。

      よく理解することができました。ありがとうございます。
      しかしながら、はじめの質問に対応したお答えをすでに書いてしまいした。
      それで申し訳ありませんが、ブログ記事の最後に二回目のコメントに対応した記事を追加させていただきますね。

      よろしくお願いします。

  3. きさらぎ より:

    ありのパパさん、ありがとうございます。お手数お掛けして申し訳ありませんでした。
    今後は引用などして分かりやすくします。