自分自身という存在を知って自分の世話をすることを始めよう!

ペテロはイエスに言った。
「あなたは、私のことをよく分かっているとおっしゃいますが、自分のことを一番よく分かっているのは、この私です。そういうわけですから、あなたと一緒に死ななければならなくなっとしても、あなたを知らないなどとは決して言わないと断言できます。」
こうして、ペテロはイエスの言葉をはねのけた。[ マルコの福音書15章28節〜32節 ]

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1.自分のことを一番良く知っているのは誰か?

今日の聖書箇所はイエスがペテロに「あなたはわたしを裏切る」と予言された時に、ペテロが「あなたは私のことを知っているとお思いでしょうが、本当に私のことを一番良く知っているのは、この私です」とイエスに言い返した箇所です。

「誰が一番イエスに忠実か?」競争を弟子たちはいつも繰り広げていました。
このときも、いつもと同じように「誰が最後までイエスに忠実に従うか?」競争を繰り広げていました。
そのような時に、イエスに冷水を浴びせられたペテロがついカッとなって、イエスに言い返したのでした。

これはよく考えてみると誰もが持っている考えではないでしょうか?
「私が一番私のことを知っている」
こう思い込んでいるのです。
しかし次の質問でも同じように答えることが出来るでしょうか?
「あなたはもう一人のご自分である自分自身という存在を一番良く知っていますか?」
うっと返答に詰まる方が多いのではないでしょうか?

そうです。誰もが自分自身のことを知らないのです。
そして人生途上で起きる問題のほとんどが「自分が自分自身を知らない」ということが原因で起きているのです。

2.自分自身とはどういう存在か?

一番自分に近い存在は誰か、皆さんはご存知ですか?
親でもなく、配偶者でもなく、もちろん友人でもなく、恋人でさえありません。
自分に一番近い存在は、もう一人の自分、すなわち自分自身です。

では、自分自身とはどのような存在でしょうか?
ある人は、自分自身を潜在意識であると言います。
またある人は、インナーチャイルドであると言ったり、インナーアダルトであると言ったりします。
ありのパパの理解では、自分自身という概念にはこれらのものがみな含まれていると考えています。

しかし大切なことは「ふ〜ん。自分自身ってそういう存在なのか」と理解したところに留まっていてはならないということです。
更に進んで今まで存在すら気づかなかった自分自身という存在に気づき、「いままで無視していてゴメンね」とあやまり、謝った後は自分自身を常にケアすることです。

自分自身の存在に気づくところまでは、誰でもたどり着くことができます。
しかし次の段階である「自分自身をケアする」というところは案外多くの人がほったらかしにします。
理由は「自分自身の世話などしたことがない」からです。
経験がないこと、なれないことをやるのは気が進まないものです。
だけど気が進まないからと言って、ほったらかしのままでいるのは自分の人生をほったらかしにするのと同じことです。
そのようなことをしてはならないと分かっているなら、自分自身の世話をすることを始めようではありませんか。

3.自分自身の世話をするとはどういうことか?

①他人の世話をするのをやめる

自分自身の世話を始める前に、まず他人の世話をするのを止めなければなりません。
なぜなら、お世話するには2本の手が必要ですが、片手で他人を、もう片方の手で自分自身の世話をすることなど出来ないからです。
それに他人の世話をするというと聞こえはいいですが、実際は「余計なお世話」だったり、「病的な共依存」だったりするものだからです。
この病的な共依存状態から離脱しない限り、自分自身の世話などやろうと思ってもできるものではありません。
ですから、自分自身の世話をすることを始めようとするなら、他人の世話をするのを止めなければなりません。

②常に話しかける

常に自分自身に話しかけていると、自分と自分自身の関係が回復・成長していきます。

ところで、「妻がうるさくてかなわない」という夫が時々おられます。
その原因が自分にあるとも知らずに、よく言うものです。
原因は夫が妻に話しかけていないというところにあります。
妻が「うるさい!ちょっと黙っていて」というぐらい普段から話しかけていれば「妻がうるさい」という問題は起きないのです。
もっとも今度は「夫がうるさい」という問題が起きるのかもしれませんが(笑)。

人格的交流としての夫婦間の話し合いができない場合は、夫の側も妻の側も各々の[自分自身を無視している]という問題を考えてみる必要があります。

③傾聴する

ず〜と話しかけていればよいわけでもありません。
そんなもん、うるさくてかないません(笑)。
ときには「あなたはどう思う?」と聴いてみます。
そうしたらしばらくの沈黙の後、自分自身が話し出します。
この「しばらくの間、黙る」ということが出来ない人がおられるようです。
なにを隠そう、ありのパパ自身がそうです。
とにかく「じれったい」のです。
しかし成長しようと願うのなら、じれったさに耐える必要があります。

④思ったように生きる

この「思ったように生きる」とは、あなたが好きなように生きるということでは全然ありません。
ここでいう「思ったように生きる」とは、あなたのうちなる自分自身が欲するように生きてみるということです。

4.思ったように生きる前にやることがある

自分自身が欲するように生きてみると言っても現実には注意が必要です。
なぜなら、たとえば依存的人格の持ち主なら「思ったように生きる」はいとも容易に「自分が心酔する人に操(あやつ)られる生き方」へと堕して行きます。

また、脳の報酬系に強力に快楽を求める回路ができている人、すなわち何らかの依存症に陥っている人も注意が必要です。
なぜなら自分自身が真に願っていることと、脳の報酬系の依存症回路が命令を発していることの区別は簡単ではないからです。
これらの人々は12ステッププログラムに取り組み、性格上の欠点を神に取り除いていただくステップの6と7を踏む必要があります。

回復途上にある人が回復施設の職員に「僕、ここを出たら偉大なことを成し遂げようと思うんです」と話しました。
そうすると施設職員は「そうだね。でもね、偉大なことをなす前に無賃乗車するのをやめようね。タバコをポイ捨てするのをやめようね」と答えたそうです。
そうすると、言われた依存症者は「しょぼ〜ん」(笑)。

ここには大切な真理が隠されています。
それは「使いなれたやり口を使って楽に生きていきたい」という私たちの人生を行き詰まらせた真犯人である「古い行動パターン」を持ったままでは、 思ったように生きてみることはできないということです。

どうしても「思ったように生きる」前に、神によって性格上の欠点が取り除かれ、古い行動パターンを使わない決心、新しい行動パターンを使う決心と実践が必要です。
これさえ出来ていれば、新しい人生は日一日とあなたの中に入ってきます。

「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなったのである」(聖書)

◎回復と平安を祈っています。

コメント

  1. ニャンコ より:

    始めまして。ACのスカイプで何度かお耳に触れた「にゃんこです」。

    自分の中の何がしかの傷が痛むことを自覚したのは高校生の時でした。
    今は年金を頂いているような年齢ですが、自分の内面と向き合わなければ前に進めないと奮闘中です。
    本を読んだり、AC,PTSDについて・・・自助会に参加したり、カウンセリングを受けたり・・です。

    ありのパパのブログも時折拝見させて頂いております。
    主語のない専門書のようなBRB(ビッグレッドブック)は難しすぎて困っておりましたので、ありのパパのブログがとても参考になり、心から感謝しております。

    本日の記事にはとても共感いたしました。
    信仰には母の悪影響でアレルギー感覚です・・恐怖感も感じています。
    でも見えない力を感じる事は否定しておりません。
    ハイヤーパワーに対する見解は検討中です。

    言いたい事がまとまりませんが・・有難い気持ちです。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、にゃんこさん。
      はじめてのコメントをありがとうございます。

      これからもよろしくお願いします。
      またコメントしてください。お待ちしています。