アダルトチルドレンのための12ステップで統合作業を行う

アダルトチルドレンの13ないし14の問題リストの一番目の「私たちは人が恐い。そのゆえに人々から孤立するようになった」とある【人への恐れ】と、私たちの性格上の欠点である[恐れと不正直]はどのような関係にあるのでしょうか?

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1.自分の性格上の欠点がどこから来ているのかを知ってるのがAC

AC(アダルトチルドレン)が持っている「人が恐い」という特徴は養育者とのかかわりの中で受け取ったものです。

ありのパパの例で言えば、父親に突然殴られるという少年期の経験を通して成人してからも「他人は理由もなく自分を傷つけるかもしれない」という他者への恐れになりました。

また父の暴力から私をかばってくれなかった母に対しては「何故かばってくれないのか!」と聞きたかったのですが、子供心に聞いてはいけないような気がして聞くことが出来ませんでした。
この少年期の不正直さが成人してからは他者に対して自分の本音を語ることが出来ないという不正直さになりました。

2.性格上の欠点である『恐れ』と、ACの特徴である問題リストの『人が恐い』は同じものか?

ありのパパは同じものであると考えています。
そして性格上の欠点である『恐れ』が行動パターンとして固着したものが、ACの『人への恐れ』の本質であると理解しています。

要するにACの「人への恐れ」は強迫観念として他の依存症と同様に脳の報酬系に「快楽を強力に求めることを強制する回路」として存在しているのです。
ちょっと考えただけでは「快楽のために恐れを求める」なんておかしいと思えます。
しかしよくよく考えてみると、私たちACは人を恐れることによって利益なり快感なりを受け取っているのです。

たとえば、心が健康な人であればトラブルが起きれば、その人のところに行って「なぜ、あなたはこのようなことをするのか?」と問いただすことをします。
しかし人が恐いと、それが出来ません。
それで身勝手に「あの人は初めから、そういう人なんだから仕方ない」とか「人間なんてそんなものさ」などと、自分に言い訳をしてトラブルがなかった振りをします。

これはとてもラクチンな生き方ではあります。
なぜなら心の中だけで始末をつけて、現実の世界では何もなかったように振る舞うだけでよいのですから。

しかし、このような生き方を続けていくと、いずれは「私たちは自分の人生がどうにもならなくなった」ということになります。

3.統合作業の前に、性格上の欠点を明らかにする必要がある

12ステップの4と5で棚卸しをします。
そしてその結果、自分自身の性格上の欠点が何であるかが分かります。
そうして今度は神に性格上の欠点を取り除いてもらう祈りをします。
これをせずに、一足飛(いっそくと)びに統合作業に取り掛かろうとしても徒労に終わります。
なぜなら「(においは)元から絶たなきゃダメ!」だからです(笑)。

毎日の祈りと黙想で、短所を取り除いていただくと共に、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める時、新たな気づきを得ます。
それは強迫観念として自分の中に存在する『人が恐い』という思いです。

4.強迫観念とは何か?

強迫観念とは依存症における重要な概念です。
依存症には二つの問題があります。
一つは精神面での強迫観念であり、もう一つは肉体面での渇望現象です。

アルコール依存症で説明すると、「飲んではいけないと分かっているのに、どうしても飲んでしまう」ことを精神面での強迫観念と言います。
これが飲んではいけないと分かっているのに飲んでしまう真の理由なのです。
決して意志が弱いからでもなく、嘘つきなのでもありません。

肉体面の渇望現象とは「いったん飲み始めるとブラックアウトするまで飲み続けてしまう」ことです。
アルコール依存症者には一杯目を飲まない力は与えられているが、二杯目・三杯目を飲まない力は与えられていないと言われます。
これが「なぜ自分は他の人と同じように飲むことが出来ないのか?」という疑問への答えになります。

また他の依存症の「いったんスリップしてしまうと延々とやり続けてしまう」理由でもあります。

12ステップは霊的なプログラムであると言われており、精神面での強迫観念にのみ効果があります。
なぜなら霊的な力は精神にのみ効くからです。
そのようなわけで肉体面での渇望現象には効果がありません。
しかし一杯目さえ飲まなければ(スリップさえしなければ)、他の人と同じように健康な生活が送れるのですから問題はありません。

5.ACは渇望現象がなく、強迫観念だけがある

ACとは言ってみれば依存症の温床(おんしょう)のようなものです。
ACの生き方は生き辛い生き方そのものです。
これを放おっておくと、いつかは何らかの依存症になる危険があります。

しかし、依存症を持っていないACには渇望現象はなく強迫観念だけがあります。
これはどういうことかというと、依存症者ならばスリップしてしまえば延々と続けてしまうことであっても、依存症を持たないACはスリップはしても延々と続けることはないということです。
だからと言ってスリップし放題なわけではありません。
いい気になってスリップばかりしていると、気がついたときには立派な依存症者になっているということになりかねません。

6.具体的な統合作業のやり方

統合作業は、性格上の欠点を取り除いていただく作業と並行して行います。

『人が恐い。そのゆえに人々から孤立した』という問題をどのように扱えばよいでしょうか?
具体的には、お一人お一人みな異なります。

自分にとって「変えられないものは受け入れ、変えられるものは変えて」いきます。

ありのパパの例で言えば、孤独好きは変えられないものとして受け入れています。
また雑談が苦手であり、嫌いなのですが、これも変えられないものとして受け入れています(笑)。

では何を変えていくかというと、それは人々に奉仕をするという面です。
ラクをしたいと思う場面、苦痛から逃れたいと感じる場面で逃げずにとどまり、自分の責任を果たします。

7.すべての人に敬意をもって接することによって、恐れを乗り越えることが出来る

敬意をもって接することに全力を尽くせば尽くすほど、私たちの中にある恐れは小さくなっていきます。
恐れを克服しようとすると無力感ばかりを感じます。
なぜなら「ちっとも恐れがなくなっていない」と思わざるを得ないからです。
そうではなく、恐れを乗り越えようとするとうまく行きます。
なぜなら、恐れを乗り越えることで「今日も恐れを乗り越えることができた」と達成感を日々感じることが出来るからです。

天女(てんにょ)が羽衣(はごろも)で岩をこすって、その岩がこすれてなくなるほどの年月の後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が降臨すると仏教では言われています。

しかし現実は、何億年も待たなくてもいいのです。
何年か、あるいは数十年か、それは分かりません。
しかし一人の人が、その生涯を終えるまでには恐れが無効とされているのです。

◎平安と祝福を祈っています。

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