聖書が教える「不可能を可能にする方法」とは?

(今日の聖書箇所)
「イエスは答えて言われた。『神様を信じることです。よく言っておきますが、確かに、信仰さえあれば、このようなことができます。たとい不可能と思われることでも、主は可能にしてくださいます。
ですから、よく聞きなさい。あなたがたが祈る時、信じて求めるなら、何でも頂くことができます。
また、祈りの時に、だれかに対してどんなことでも恨み事があったら、赦してあげることです。そうすれば、天におられるあなたがたのお父様も、あなたがたの罪を赦してくださいます。』」[マルコの福音書11章22節〜25節](現代語訳聖書)

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1.神を信じるとはどういうことか?

①さまざまな信じ方

「神を信じる」という言葉ぐらい、語る人によって異なる意味で用いられている告白はありません。
ある人は「神を信じてやる」という何とも謙遜なのか傲慢なのかわからない告白をします。
またある人は「神も信じている」という、神さまだけではなく、人にも頼るし、自分にも頼るし、そんな多くのチョイス(選択肢)の一つとして神を信じます。

しかし、もうすでにおわかりのように、このような「神を信じる」はどんな効果も信じる人にもたらすことはありません。

では信じたら信じたなりの効果がある信じ方とはどのようなものでしょうか?

②自己への絶望が前提にある信じ方

それは「神にしか頼ることが出来ない」という信じ方です。
あの人にも頼れないし、この人にも頼れない。
自分自身はと言えば、一番頼りにならない存在であるという絶体絶命の大ピンチ!
このような自己認識をもったうえで信じる信仰は大きな効果を発揮します。

③効果のある信じ方のためには自己の無力を認めていること

12ステップでは、無力を認めることが一番目のステップとなっています。
その次に神を信じるステップが来ます。
「私はクリスチャンだから、ステップ1を飛ばしてステップの2から行くわ」ということは出来ません。
すべての人がステップの1から始める必要があります。
そして大切なことは、自分が無力であるということが本当に分かってお腹にストンと落ちる経験をしなければならないということです。

わかったつもりではいけませんし、だいたい分かった(almost)というのでも不十分です。
「本当にわかった!」という体験をする必要があります。

依存症からの回復を目指す施設(中間施設と呼ばれる)で講師の方から言われたことは「12ステップの他のステップは完全に分からなくても良いし、完全にできるということなどありえません。しかしステップの1だけは完全に分かる必要があります。そうしないと本当の意味で次のステップに進むことが出来ません」と切々と訴えられたのを昨日のことのように覚えています。

2.恨みの感情があると、神の力が届かない

①告白だけでは不十分

「ゆるします」と告白するのは実際はゆるしてないのと同じです。
本当にゆるすためには棚卸しをする必要があります。
「そんな面倒くさいことをせずとも、一言『ゆるします』と言えばいいじゃないか」と思われるかもしれません。
しかし、それでは一人芝居になってしまいます。
そして時が至ると、本当はゆるしてないにもかかわらずゆるしたふりをしたところから膿(うみ)が出てくるようになります。
そして、その膿が心と身体に悪影響を及ぼします。

②ゆるしには存在への赦しと行為に対する許しがある

ゆるしには、存在に対する赦しと、行為に対する許しの二種類があります。
存在に対する赦しとは「生きてていいよ」という承認を相手に与えることです。
コレの反対語は「殺すぞ!」ですね(笑)。

行為に対する許しには注意が必要です。
一つ目は「あったことを無かったことには出来ない」ということです。
許しとは「水に流すこと」ではなく「そうせざるを得ない理由があったのだろう」と察することです。

二つ目は相手に焦点があたっている状態では、まだ相手を許すことはできないということです。
自分自身の性格上の欠点に焦点があたっているときだけが相手を許すことができるときです。

どういうことかと言いますと、「いままでは相手が悪いとばかり思い込んでいたが、実は自分自身の性格上の欠点が理由で自分が勝手にあたかも一人芝居のように相手を恨むという御門違(おかどちが)いのことをしていたのだ」ということに気づくと、相手への恨みが消えてしまうのです。

③虐待経験やレイプなどの経験は許しの対象外

旧態依然たるカウンセリングを振り回す人々の中には「許さない限り、あなたに平安はない」などと偽り事を述べる人がいますが、そんなことは全然ありません。

これらの偽り事を述べる人々のいうことを鵜呑(うの)みにしてしまうと、回復が一向に進まなくなりますから、気をつけておく必要があります。

3.恨み・怒り・恐れ・罪悪感・後悔がない心に、神の力は存分に降り注ぐ

①日々の棚卸し

日常生活の中で、怒ったり、恨んだり、恐れたり、罪責感に苦しんだり、後悔の念をもったりすると、神と共に生きることができなくなります。
ですから、そうならないためにマイナス感情を持つたびに「日々の棚卸し」を行います。
聖書には「あなたの心を力の限り見張っていなさい」と命じられています。

②アダルトチルドレンの日々の棚卸しはどうするか?

アダルトチルドレンには感情を感じないという問題(否認・抑圧)があります。
それで真顔で「私は怒ったりしないんですよ」などと言う方がおられます。
しかし、それは真実ではありません。
実は怒りの感情を感じたら、それを感じさせなくするシステムが無意識の領域で自動的に発動しているのです。
その時の特徴は顔面から表情がなくなる(能面顔)ということです。
また自分でもこころが真空状態になったのが分かる時があります。
そうなったら日々の棚卸しをするときです。

③ステップの6は古いやり口を使わない決心、ステップの7は新しいやり口を使う決心

恨みなどのマイナス感情は私たちの性格上の欠点から生み出されます。
ですから毎日の祈りと黙想の時間に「神さま、私の性格上の欠点を取り除いてください」と祈ります。
そして[今日一日だけ]使いなれた古いやり口を使わず、神から与えられた新しいやり口を使う決心をし、実践する力を神に求めます。

新しいやり口とは、どんな行動パターンでしょうか?
それは「すべての人に敬意をもって接する」生き方です。
敬意をもって接することに全力を尽くしている時、恐れを感じている暇がありません。
恐れを感じないと不正直な対応に陥ることもありません。

「人を恐れ、その恐れのゆえに不正直な対応をし、その対応のゆえにトラブルが起きたにもかかわらず、トラブルが起きた人々を一方的に恨む」という行動パターンから解放されるための新しい行動パターンは[すべての人に敬意をもって接する]生き方です。

◎平安と祝福を祈っています。