サーヴァントへの道を聖書と12ステップに従ってたどろう

(今日の聖書箇所)
「この世の支配者たちは、人々の上に立ち、権力を振います。
それが彼らが考える『偉い人』なのです。
しかし、神の国に生きるあなたがたは、彼らの真似をしてはいけません。
偉くなりたいと願う人は、皆の者に喜んで仕える者になりなさい。リーダーになりたいと願う人は、喜んで皆の奴隷になりなさい。
ちょうど、わたし(イエス・キリスト)がこの世に来たのが、だれかに仕えてもらうためではなく、むしろ人々に仕えるためであったように。
わたしは多くの人々を救うために自分の命を犠牲として投げ出します。」
[マルコの福音書10章42節〜45節]

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1.自称神の国の国民ではいけない

神の国の国民となるために必要な条件は3つだけです。
自分の無力を認めることと、神への信仰と、神に自分の意志と生き方をゆだねることです。

①自分の無力を認めている

もし無力を認めていないなら、どんなに大きな信仰を持っていたとしても、そんなものは何の役にも立ちません。
もちろん信仰とは無力を認めた人だけが持つことのできるものであり、無力を認めていないのに信仰は持っているなどということは実際にはありえないことです。
もし無力を認めていないのに信仰は持っていると思っている人がいたら、その人は「自分は信仰を持っている」と錯覚しているのに過ぎません。

②無力と信仰はセットになっている

無力とは、自分はどんなに努力しても救われることが出来ないと、我力(がりき)で救われることをトコトン諦(あきら)めた人の心のありようです。

なぜ無力と信仰がセットになっているかというと、それは自分の力では絶対に救われることが出来ないと諦めきった人だけが「神は私を救ってくださる」と信じることができるからです。
そもそも、「私は自分を救うことができる」と思っている人が、どうして自分を超えた大きな力を信じようなどとするでしょうか?
それは、ありえないことです。
信仰とは、無力を認めるという基礎の上に据えられる土台のようなものです。

2.サーヴァントとは『仕える者』という意

無力と信仰を通して『神の国』の国民となった人は、仕える者として生きていけというのが、聖書の命令です。

では私たちには好きなように人生を生きていく自由はないのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
好きなように生きていってよいのです。
ただ、どのように好きなように生きるかが問題なのです。

神に従って生きていこうとするときに絶対に必要なことは、神と自分との間に障壁がないことです。
その障壁を取り除く作業が棚卸しです。

①ゆるすためには、棚卸し作業が絶対に必要

多くの人は「私はゆるしました」と言います。
なぜなら、ゆるさないと神とともに生きることが出来ないと教わるからです。
しかし、このような口で告白するだけの所作は悪影響しか生み出しません。
なぜなら「ゆるしました」と言うことによって、マイナス感情は心の奥底に抑圧されるようになるからです。
そしてそのマイナス感情からは時が至ると膿(うみ)が出てきます。
その膿が、その人の心と体に重大な影響を与えます。

そうならないためには定められた方法で処理していくことが大切です。
その定められた方法とは棚卸しという作業です。

② 棚卸しのやり方

恨み・怒り・恐れ・罪悪感・後悔などの感情を持っていると神とともに生きることは出来ません。
なぜなら神との間に障壁を作ってしまうことになるからです。

これらのマイナス感情は私たちの性格上の欠点から生み出されます。
性格上の欠点には、利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如の4つがあります。

マイナス感情と性格上の欠点の関係は通常は隠蔽(いんぺい)されています。
それらを明らかにするためには、どうしても棚卸し作業が必要になります。
棚卸し作業とは、人生の棚卸しであり、恨み・恐れ・性的振る舞い・その他の4つの領域に分けてやるものです。

具体的には、最初に(恨んでいる)人の名前だけを書きます。
それが終わったら、今度は「恨んでいる理由」だけを書きます。
次に、自分の本能(欲求)のどの部分が傷ついたので恨んだかを見ます。
本能には共存本能(自尊心・対人関係)、安全本能(物質面での安全・精神面での安全)、性本能(公認された性関係・秘密の性関係)、将来野心(共存・安全・性)があります。

どの欲求が傷ついたり暴走したのか分かったら、今度は自分の性格上の欠点に移ります。

③棚卸しの具体例(ビルという架空の人物の棚卸し例)

私は職場の上司であるジョンを恨んでいる。(恨んでいる人の名前)

なぜならジョンは私によそよそしく接するから。(恨んでいる理由)

ジョンは職場の上司なので、対人関係が脅かされ、物質面での安全も脅かされている。(どの本能が傷ついたか?)

私はジョンの妻と不倫関係にあるため、ジョンがそのことに気づくのではないかと恐れている。(性格上の欠点の「恐れ」)
そしてその恐れのゆえに職場の上司であるジョンに心を開くことが出来ない。(性格上の欠点の「不正直」)

棚卸表をもう一人の人にお見せしながら、互いに検討していく時、「なんだ!自分に原因があったのか!」という気づきに導かれていきます。
そして「自分の人生を振り返ってみると、自分はずっと同じ手を使っていた。すなわち『恐れが動機となって不正直な対応をなし、不正直な対応が原因となってトラブルが起き、自分の側に落ち度があるにもかかわらずトラブルが起きた相手を一方的に恨むという極めて利己的な生き方』をしてきた」という理解です。

3.どうしたら人々に仕える者になれるか?

①人々の必要に気づく

どんな生き方をすれば、利己的な生き方と正反対の生き方になるでしょうか?
それは「すべての人に敬意をもって接する」生き方です。

敬意をもって接する生き方とは「わし、敬意をもって接したから。よろしく!」みたいな生き方ではもちろんありません(笑)。
そうではなく、相手に「この人は自分に敬意をもって接してくれている」と感じていただけるように全力を尽くす生き方です。

このような生き方を続けていくと、人々の必要が見えてくるようになり、そしてそれを満たすためにはどうしたら良いかがわかるようになります。

②人々と信頼関係を結ぶ

ある精神科医は「依存症は人を信頼できない病」であると言いました。
しかし、これは依存症者だけでなく、ある程度はすべての人に言えることではないでしょうか?

親御さんたちのお話をお聞きしていて「なぜ私の子供は私を頼ってくれないのでしょうか?」と真顔でおっしゃる方がおられます。
その理由は簡単です。
それは「頼られるほどの信頼関係を構築してこなかった」からです。

親御さんはお子さんの専属カウンセラーです。
ですからお子さんに「お母さん。話があるんだけど」と言われたら、それを拒む権利は親にはありません。
いつでも、どんなときでも「なあに?いつでも私の耳はあなたに向かって開いているわよ」と応(こた)えます。

同様にご主人は奥様専用のカウンセラーです。
「うちの妻は忙しいときに限って話しかける」というご主人がおられたら、奥様にこう応えましょう。
「僕は君の専属カウンセラーだよ。いつでも、どんなときでも、君の話を聞く準備ができているよ!」

相手の話を聞くことに専心するときにだけ、人々との信頼関係を築くことが出来ます。
私たちお互いは励みたいものです。

③人々を救うために自分の命を差し出す

ここまで書いてきたことは我力では到底出来ないことばかりです。
我力でやろうとすると、口では「あなたをありのままに受け入れる」と言いつつ、心では「殺すぞ!」とつぶやくようになります(笑)。

そうならないためには、新しい生き方を実践するために神の力に頼ることです。
毎朝の祈りと黙想の時間に「神さま、私には良いことをする力がありません。どうぞ今日一日だけ御心(神の意志)を行うために神の力を与えてください」と祈ります。
そうしたら必ず神の力が過不足なくちょうどよい分だけ与えられるようになります。

「命を差し出す」とは何も死ぬことだけを意味しているのではありません。
真の「命を投げ出す」とは、人々の必要に気づき、それを満たし、そして信頼関係を築いていくという営(いとな)みを毎日繰り返していくことです。
これは一度限り死ぬことよりも、よほどやりがいのある作業であるということが出来ます。

◎平安と祝福を祈っています。