アドラーの人生論的アプローチは回復に有益

「アドラー心理学入門」(岸見一郎著)をご紹介する五回目最終回です。

今日はアドラー心理学の真骨頂でもある人生論的アプローチの部分を取り上げます。

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1.人生の意味は自分で決める

世間から見て及第点の幸せを目指す生き方は、死を前にして色あせます。
出来るなら死を前にして気がつくのではなく、元気なときに気がつきたいものです。

究極的なことを言えば、人生の意味はありません。
生きているから、生きるのです。
いや、もっと言うと、生かされている限りは、生きなければならないのです。

生まれてくることと、死んでいくことの二つは人間が決められないことです。(安楽死や尊厳死の問題はまた別の問題です)

2.他人を気にしない

すべての人が自分を気に入るなどということはあり得ないことです。

逆に言うと、敵がいない人は非常に窮屈な生き方をしているということが出来ます。

なぜなら普通に生きていれば必ず敵が出来るものなのに、それにもかかわらず敵がいないということは敵ができないように全力を振り絞って八方美人を演じているであろうからです。

3.失敗を恐れない

人の期待に添って生きていると、機敏に動くことが出来なくなります。
それは人の期待を背負っており、人を失望させることを恐れるからです。

「やれば出来るのにやらない子」がいます。
これは「やればできる」という可能性を残しておきたいのです。

逆に言えば、親から「出来ない子」と思われることを恐れていると言えます。

さて、子供を恐れるようにさせたのは、どこのどなたでしょうか?(笑)

4.私は他人の期待を満たすために生きているのではない

微妙な問題ですが、どなたかが入院したとします。

入院した人のためにお見舞いに行くのか、自分自身がとにかくお見舞いに行きたいと思うのか?

「自分が来たいから来た」という人のほうが入院患者にとってもありがたいのです。

「来ないといけないから来た」というような人になど、本当は会いたくはないのが人の心というものです。

5.今したいことをしているか

将来の進路を強制する親に向かって、あるお嬢さんは次のように言いました。
「私がお父さんの意見に従って、この大学に行ったとして、四年後にこんな大学行かなければ良かった、と私が思ったら、そのときお父さんは私に一生恨まれることになりますが、それでもいいですか?」

この話を読んで、ありのパパは二つのことを思いました。
ひとつは毒親なら、こんなことを言われても自分の意見を翻さないだろう。
もうひとつは子供がアダルトチルドレンなら、反論できるということさえ考えつかないだろうということです。

しかし、どのような境遇にあったとしても回復の道を歩み、ついには自立した人間として自律的行動の出来る人になりたいものです。

6.責任について

自由に生きるならば、その結果についても引き受けなければなりません。

自由な生き方をするあなたを嫌う人が出てきても、それを自分の自由な生き方の結果として受け入れる必要があります。

しかし、案外私たちは自由には生きたいが、責任を引き受けるのはいやだと真顔で言いがちです。

これを指してアドラーは人生の嘘と呼びました。

7.他の人は私の期待を満たすために生きているのではない

自分が人のために生きないとしたら、他の人もまた私のために生きているのではないということを認める必要があります。

ありのパパが人に親切をして、それに対してその人が「ありがとう」を返さないとき「むっ!」とする期間がありました。

その期間をどうやって乗り切ったかというと、「むっ」とするたびごとに自分自身に向かって「私が私のために生きているように、この人もまた自分のために生きているのであり、私のために生きているわけではないのだ」と言い聞かせるようにしました。

このような営みを繰り返すことによって、知らぬ間に人に親切にしても相手の反応を全く気にしない自分になっていました。

8.言葉を重視する

助けて欲しいときは言葉にする必要があります。
相手が察して当然だとする考え方は人間関係のトラブルの原因になります。

①分からないと思って付き合う

人はわかりあえないと思っているからこそ、言葉が重要になります。

人はわかりあえると思っていると、「なぜ分かってくれないのか?」という不満を持つことになります。

②恐れと不正直の問題

自分の心の中に恐れがあると相手に対して不正直な対応をしがちです。

それは相手が自分を傷つけるのではないかという恐れが、私たちをがんじがらめにして身動きできないようにするからです。

9.自分が人生を創っている

人は自分が意味づけした世界を生きています。
ある面では、自分自身が世界を不断に創造しているということが言えます。

「いつか捨てられる」という考えを持っていれば、相手の何気ない行動をそのフィルターを通して見てしまいますから、いつかはその思った通りの現実が自分の世界になります。

ではどうしたらよいかと言えば、世界は自分が創っているのだという事実に気づいていくことです。
そして不毛な一人芝居をやめることです。

10.楽観主義と楽天主義

楽天主義とは何が起こっても大丈夫、悪いようにはならないと考えることです。

楽観主義は現実を見据え、現実をありのままに見て、そこから出発します。

自分の子供を見ると大丈夫でない現実があるとします。
楽天主義とは、大丈夫何とかなると考え、結局何もしないことです。

お子さんの問題でカウンセリングをしていて、親御さんの最後のせりふが「分かりました。様子を見てみます」であることがあります。

このようなとき、ありのパパは心の中で失望します。

なぜなら「様子を見てみます」で終わるカウンセリングは失敗であると言われているからです。

アドラーは楽天的な人は間違いなく悲観主義者であると言っています。

それは「あらかじめ決まっている」と考え、何もしないのは自分をそのように見せかけているだけだからです。

11.真剣なのと深刻なのは違うこと

人生を楽しもうと思うなら、真剣である必要があります。
しかし、深刻でありすぎると、人生を楽しむことが出来なくなります。
トランプのゲームをしていて、自分が不利になったら「ごめん、今のなしにして」と言ったら、ゲームの楽しみはなくなります。

12.出来ることから始めよう

他者のために生きる秘訣は、全世界のためとか、世のため人のためとか気張らないで、目の前にいる一人のために生きることです。

自分にとって出来ることは一人一人みなちがいます。

そしてそれは誰かに強制されることにはよりません。
なぜなら強制される世界に自由はないからです。
あくまでも自覚的に自分自身が選び取ることが必要です。
ここでも「人生の嘘」を用いて、自分が選び取ることの出来ない言い訳をすることも可能です。

◎さて、私たちはどちらの生き方を選び取るべきでしょうか?
平安と祝福を祈っています。

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