問題の核心は何かを明らかにすることから始めよう!

今日は「アドラー心理学入門」(岸見一郎著)をご紹介する三回目です。

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1.欠くことができない三要素、それは自己受容・他者信頼・他者貢献

①自己受容

自己受容できるためには他者に貢献できることが条件になります。
他者に貢献できるような自分であるからこそ、自分自身を受け入れることができるというわけです。

(これはありのパパの理解とは異なっています。たとえ自分でさえも自分自身を受け入れられなくても、神が「あなたは私の目に効果で尊い」と言ってくださる故に自分を受け入れることができると、ありのパパは考え信じています。)

②他者受容(他者信頼)と他者貢献

他者貢献できるためには他者を信頼できていなければなりません。
なぜなら信頼できない人に貢献しようとは思わないからです。

ですから次のように言うことができます。

他者貢献は人のためならず。他者貢献は自分自身を受容するための必須の条件なのですから。

③他者に貢献できなくなった自分は価値のない存在か?

そうではありません。
なぜなら、かつて他者貢献できていたという事実が、現在の自分を受容する根拠になり得るからです。

そうならない場合(たとえば引退などして意気消沈しているような場合)、どこかに事実の見落としがあります。

たとえば引退したり、病気になったりして自分は他者貢献できないというような場合でも、祈ることは可能です。

キリスト者でないと祈ることの重要性を認識することはないかもしれません。
しかし「祈りの母の子は滅びない」という言葉が教会では昔から言われてきました。

ありのパパもすべてのなかで祈りが最も重要であると認識しています。
祈ることはどんなに年老いても生きている限りできる仕事です。

2.子供を甘やかす親が、甘やかされた子供を育てるのではない

甘やかすという親の行為が自分にとって利用価値があると、子供自身が考えたとき、子供は「甘やかされた子供」になるのだとアドラーは考えます。

①まず課題を分離する

課題を分離するとは、最終的に責任を負うのは誰かを考えるということです。

勉強しないと困るのは子供ですから、親が子供に対してイライラするのは的外れということになります。

これは「誰の課題か?」ということが明確になっていないときに起きることです。

②共同の課題とは何か?

「勉強しないで困るのはあなたであって、親の私ではない」という言葉が、親の本音から出ていることはとても少ないようです。

しかし、子供の力だけでは解決できない問題の場合はどうしたらよいでしょうか?
これを「共同の課題」と呼びます。

たとえばリビングに付けっぱなしのテレビが置いてある場合に、「そのテレビを見るという誘惑に勝てないのはあなたの問題である」と言えるでしょうか?

問題の本質は、そのテレビを管理できていない親にあると思うのです。

大体においてテレビを見すぎる子供の親御さんもまた、テレビを見すぎている場合が多いようです。

これが課題を分けるということの意味です。

3.アダルトチルドレンはどうか?

いつまでたっても回復しないアダルトチルドレンは、病床利得(びょうしょうりとく)を得るという目的のために自ら回復を拒んでいるのかもしれません。

病床利得とは、病気でいるほうが自分にとって得だから、無意識のうちに病気のままでいることを選び取っている状態を指しています。

しかし回復しようとする意志が明確であるなら、時間は掛かったとしても必ず回復します。

アダルトチルドレンにとっての回復とは、子供時代を生き抜くための手段であった「使い慣れたやり口」を手放すほうが自分にとって得であると、自分自身を納得させていくことでもあります。

4.言葉による問題解決

人と人は分かり合えないという前提があるから、話し合うほかはないということになるのです。

決して「話し合っても、わかりあえるはずはない」と諦めてしまうのではありません。

○縦の人間関係は人の心の健康を損なう最大の原因

○横の人間関係が最も健康的な人間関係

人は水平面に生きています。
優劣はなく、ただ先を行っている人と、後を行っている人がいるだけであり、その皆が協力して全体として進んでいくのです。

これは12ステップ共同体の有り様を示してもいます。

◎平安と祝福を祈っています。

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