無力と無気力のちがい

ミーティングの後で「無気力と無力のちがいについてブログに書いてほしい」とリクエストをいただきました。
それで今日は皆さんとご一緒に、無力と無気力のちがいについて考えます。
(実は私のほうから厚かましくも「なんかブログに書いてほしいことない?」とお伺いしたのです)

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1.無気力と無力のちがい

①無気力とは何もする気が起きないこと

あるところで、Aさんが「頑張って12ステップに取り組みたいと思います」と言ったところ、Bさんが「無力なのに一体何を頑張るのですか?」と返しました。

このような会話は案外いろいろなところでなされているのではないでしょうか?
しかし、残念ながらBさんのおっしゃったことは間違いです。
なぜなら無力と無気力は異なるものだからです。

無気力とは「何もやる気が起きない」ことです。
しかし、12ステッププログラムに取り組むには相当のやる気を必要とします。

アルコール依存症者や薬物依存症者ならば「絶対に死にたくない」「絶対に刑務所に行きたくない」という「やる気」が必要です。

アダルトチルドレンや感情に問題を持つ人々ならば、「何としても回復したい」という強い願いです。

これは無気力な人には決して持つことのできないものです。

②無力とは何か?

無力を認めるとは問題の原因が自分にあり、自分ではその問題を解決できないのを認めることです。

12ステップが教える「無力を認める」とは「自分の中には良くなるための力がない。だから(無力である)自分を超えた大きな力があなたを回復してくださることを信じなさい」という意味です。

このように無力を認めることと、自分を超えた大きな力を信じることはセットになっています。

よくあるのが「私は無力を認めることはできますが、自分を超えた大きな力を信じることができません」という意見です。

このような方が少なくないのを存じ上げていますが、あえて言わせていただくなら、これはおかしな言い草ではあります。

なぜなら、やる気を持って真剣に回復に取り組んでいる人が、自分の問題は「自分が無力である」と分かったら、喜び勇んで「解決」を手に入れようとしないでしょうか?

その「解決」とは「(無力である)自分を超えた大きな力」です。

これを信じることができないというのは、本当におかしな話です。

もちろん「あのな、キリスト教の神さんを信じんとあかんのやで」と言われるなら、それは難しい話になります。
しかし、そうではなく「自分なりに理解した」神でいいのです。
要するに「あなたが信じれる神なら、何でも良い」のです。

これでもまだ「神を信じるのが難しい」と言われるでしょうか?

2.問題は何か?問題の本質は何か?はっきりさせよう

ミーティングに出席して、その場で読まれる僅かな文章に接するのが、自分が12ステッププログラムに接する全てであるとしたら、実際には回復は到底おぼつかないでしょう。

回復したいと願うなら、どうしても個人的に12ステッププログラムに徹底して取り組む必要があります。

12ステップを作り上げたビル・ウィルソンは「私たちと同じように徹底してプログラムに取り組んだ人で回復しなかった人を、私はほとんど知らない」とビッグブックの中で述べています。

12ステッププログラムに取り組むときに肝心なことは「かたまりとして捉える」ことです。
「このところで言わんとしていることは何なのか」という視点を持って取り組むのです。

①問題は何か?

問題は2つあります。

一つは「精神面での脅迫観念」であり、もう一つは「肉体面での渇望現象」です。

精神面での強迫観念とは、アルコールで言えば「飲んではいけないと分かっているのに、それでもどうしても飲んでしまう」病的な飲酒欲求です。

肉体面で渇望現象とは、一杯目を飲んだら「二杯目を飲め!」という強い渇望が起きることです。
そしてブラックアウトするまで渇望現象は続きます。

癇癪持ちで言えば、怒りを爆発させてはいけないと分かっているにもかかわらず、次の瞬間には怒りを爆発させていることです(精神面での強迫観念)。

そしていったん怒りが爆発すると、噴火は続きます(肉体面での渇望現象)。
途中で止めることは不可能です。

アダルトチルドレンは、渇望現象がなく、強迫観念だけがある依存症と言われます。
とは言っても(依存症になる危険が他の人々よりも格段に高いことを考えても)渇望現象がまったくないとは言い切れないと、ありのパパは個人的には考えています。

②問題の本質は何か?

問題の本質は「自分が無力」だということです。

精神面での強迫観念にも、肉体面での渇望現象に対しても全く無力であるということです。

無力ではあるとは「治らない」ということでもあります。
「依存症は治らない病気。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう!」とはありのパパがよく使うスローガンです。

「霊的なプログラム」と呼ばれる12ステップが効果があるのは人間の精神的な部分です。
肉体的な部分には効きません。
そのようなわけで、12ステップに取り組んで変化するのは精神面での強迫観念だけです。

ですからいくら回復したとしても「最初の一杯」を飲んでしまえば元の木阿弥(もとのもくあみ)です。
怒り依存症者も、いったん怒ってしまえば、すぐにも怒りの爆発が続きます。

3.依存症から回復する唯一の道は「霊的目覚め」を得ること

①霊的目覚めとは何か?

「霊的目覚め」は12ステップに徹底して取り組むことによって与えられます。

霊的目覚めとは、回復するのに十分な人格の変化を指しています。

アダルトチルドレンにとってはACの特徴と言われるランドリーリストの統合作業を行う際のエンジンとなるものです。

ありのパパも霊的目覚めが与えられました。
ある日「なにかおかしい」と感じつつ、日を過ごしました。
午後になって気が付きました。
それは今までのノイズにあふれていた日常から、雑音が全くなくなっていたのでした。
そして予定通りにタスクを消化していきました。
かつて「予定通りにタスクをやり遂げる」ことなどなかったことです。
あたかも氷上の競技であるカーリングのストーンが音もなく氷の上を滑っていくように感じました。
はじめは「精神の病気に掛かったのか?」とも思いましたが、すぐに「これが霊的目覚めだ!」と気が付きました。

②依存症は掛かる前より、回復した後の人生が素晴らしくなる唯一の病気

霊的目覚めを得ると、ただ単に依存症から回復するとか、ACの症状が軽減すると言うにとどまらない効果があります。
それは人生そのものが激変してしまうのです。

当時の多くのキリスト教関係者がビル・ウィルソンに「依存症でない人々にも、このプログラムを紹介してはどうか?」と誘いました。
しかし、ビルは一笑に付して、相手にしませんでした。

皆さんは、なぜだと思われますか?

ありのパパは以下のように考えます。
確かに霊的目覚めを得ることは魅力的なことではあります。
しかし、もし自分自身に「回復しないと死んでしまう」もしくは「回復しないと死んだも同然」という困難な問題がなかったとしたら、果たして自分は12ステップに取り組んだだろうかと思うのです。
実際にありのパパが12ステップに真剣に徹底して取り組んだのは、怒りの問題が手に負えなくなってからでした。

自分に問題を抱えていない人が、こんな面倒くさいプログラムに徹底して取り組むということは現実の問題としては考えにくいことです。
逆の視点から言うと、依存症になった人々は幸運な人であるということが言えます。
なぜなら、あなたは霊的目覚めを得て、実に素晴らしい人生を生きることが約束されているからです。

◎あなたの抱えておられる困難は、あなたの宝物になります。
あなたの問題は必ず解決します。
平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. くま より:

    今日の記事もありがとうございました。
    最後の項目
    ②依存症は掛かる前より、回復した後の人生が素晴らしくなる唯一の病気

    本当に希望が持てました。
    最近、また対人関係で苦しいです。
    人への恐れが大きくて、もう私、今の仕事からおりないといけないんじゃないかと思っていた数週間でした。
    自分に絶望し、人の視線が苦しいです。(多分思い込みだと分かっているのですが)
    涙が出る位、この記事に出会えてよかったです。

    全てのことを働かせて、益としてくださる神様にもっとよりたのみます。

    あまり元気がありませんが、絶対によくなりたいと思う気持ちだけは無くならないように祈ります。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、くまさん。
      コメントをありがとうございます。

      「苦しみに出会ったことは、私にとって良いことでした。なぜなら、それで私はあなたのおきてを学ぶことができたからです」詩篇119篇71節

      またコメントしてください。お待ちしています。