もしあなたの上司がキリストだったら?

「人の下で働く人は、キリストに従うように自分の上に立つ人に従いなさい」[エペソ教会への手紙6章5節]

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1.上司がキリストのような人でなかったら?

「キリストのような人だったら、従えるんだけどね」とおっしゃる方よ。

当然のことながらキリストのような上司など、この地上のどこを探してもおりません(笑)。

2.キリストがあなたの上司だったら?

皆さんに答えていただきたい質問は「もしキリストが本当にあなたの上司だったら、あなたは『キリストに従うように』従えますか?」です。

この質問のキモは「キリストのような人」ではなく「本物のキリストがあなたの上司だったら」というところにあります。

多くの人にとって「キリストのような人」というのは「自分にとって都合の良い存在」と同義語です。
自分が思ったように動いてくれると満足して「あの人はキリストのような人だ」と称賛するのです。

しかし、ここでの質問は「キリストのような人」ではなく、「本物のキリストがあなたの上司だったらどうするか?」です。

いかがでしょうか?

ありのパパは正直なところ自信がありません。

キリストは「空気をあえて読まない方」ですから、言いたいことをその場でぶっ放すところがおありです。

典型的な日本人であるありのパパは心の中で「もう少し気を使ってもバチは当たらない」とか「配慮不足ですね」と分かったようなことを言って、神の意志から迷い出てしまうのではないかと心配です。

ですから、かえって相手が「キリストのような人ではない」ほうが幸いだと思うのです。

3.ありのパパにとってキリストに従うように従うとは何を意味するか?

それは相手の方に「敬意をもって接してもらった」と感じていただくにはどうしたら良いかを全力で考える生き方です。

通り一遍でなく、嫌々やるのでもなく、表面的に形を整えるでもなく、他のことが心から追い出されるぐらい一生懸命に「どうやったら敬意をもって接することができるか?」を考えるのです。

この生き方は同時にありのパパの人生を窮地に追いやった性格上の欠点と正反対の生き方でもあります。
この新しい生き方に専心しているとき確かに「性格上の欠点が神によって取り除かれている」と言うことができるのです。

◎今日の聖書の御言葉は「相手がキリストのようでなくても、キリストに従うように従え」と命じています。
平安と祝福を祈っています。

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