聖書が教える道徳的無力とはどういうことか?

「罪の中で道徳的に無力になっていた私たちを、キリストの復活の力によって生かし、キリストとともに勝利者としてくださった」(エペソ教会への手紙2章5節)

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1.道徳的無力とは具体的には何を指しているのか?

それはさまざまな嗜癖・依存から逃れられないことを指しています。

たとえばアルコールの問題があります。
お酒で一度でもブラックアウトした経験のある人はアルコール依存症を疑ってみなければならないと言われています。
多くの人は「いや~、飲み過ぎちゃって~」などと弁解します。
しかし、実は自分の力でコントロール可能であると思い込んでいます。
その思い込みが間違いでなければ良いのですが。

2.様々なあらわれ、嗜癖(しへき)・依存症

聖書は教えています。
私たちは「道徳的無力」の状態にあると。
もちろん、この道徳的無力があらわれる領域は人によって異なります。

道徳的無力がギャンブルに現れる人もいるし、性的領域に現れる人もいます。

ありのパパのように感情と情緒の面に現れる人もいます。

「僕は瞬間沸騰器って言われているんですよ」と自慢げに話す方がおられます。
これはご自分がまかり間違っても「怒り依存症」だとは思っておられないのです。
本当にお笑い種です(笑)。

3.乙武洋匡(おとたけひろただ)さんのこと

乙武さんの行為があれほど話題になるのは、世間は「乙武さんは自分をコントロールできて当たり前」と思っているからです。
本人自身も「自分の弱さをきっぱり断ち切りたい」と言われていることを考えると、ご本人もまた「自分の問題はコントロール可能」であると考えておられるようです。

ありのパパは乙武さんが性依存症であるならば「自分の弱さを断ち切る」ことは不可能であると考えています。

◎どなたにとっても「自分にとっての道徳的無力はどの面に現れているか?」と考えるのは決して無駄になりません。
問題がはっきりすれば、解決策もまた自(おの)ずと明らかになるからです。
平安と祝福を祈っています。

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