霊的祝福とキリストの証印とは何か?

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1.霊的祝福とは何か?

霊的祝福は三つあります。 (エペソ教会への手紙1章4節)

①神がこの世界を造られる前から、キリストを信じるように私たちを選んでいてくださったという祝福

これはキリストを信じることによって全世界が救われるようにと神が定めてくださったということです。

②愛において聖くしてくださるという祝福

純粋な愛を持てるようにしてくださるということです。

なになに?もうすでに持っていますって?
あなたは傲慢です(笑)。

なになに?自分はそのような素晴らしいものが与えられるような価値ある存在ではないって?
あなたは卑屈です(笑)。

ACのための12ステッププログラムに取り組み、神の祝福を受けるのにふさわしくないという間違った思い込みを統合作業によって軽減を図りましょう。

③何一つ欠けのない者としてくださるという祝福

生涯を通して成長する恵みを神が注いでくださいます。
私たちは気落ちしがちな者ですが、そのたびごとに神を見上げて、何一つ欠けのない者としてくださるという神の約束に目を止めます。

2.恵みの祝福が溢れるとどうなるか?

「あらゆる知恵と思慮分別が私たちに与えられるようになります。」 (エペソ教会への手紙1章8節)

その結果、全世界を支配しておられる神の雄大な計画の全貌を知ることができるようになる。

自分の人生に起きたことも、これから起きることも、世界中で起きていることも、私たちはその目的を本当には知ることができません。

しかし光の中を神と共に歩むとき「あれはこれと結び付き、これはあれのために起きた」ということが少しずつ分かってきます。

もちろん全部わかるのは天に移されてからになります。

3.キリストのものであるという印とは何か?

「それは聖霊によって押されたものである。
その聖霊は私たちが神の国を継ぐという保証である。
この世の終わり(再臨)にクリスチャンたちの救いが完成し、神の偉大さをほめたたえるためである。」 (エペソ教会への手紙1章13,14節)

初代教会の人々は「聖霊を受けた」とか「聖霊によって押された証印」ということを良く口にしました。

これは教理がどうだとかの話ではなく、実際に体験していたからと考えるのが自然です。
ではその体験とはどのようなものだったのでしょうか?
その肝心の部分が聖書を読む限りにおいては明確には描かれていませんので、想像するほかはありません。

ではありのパパの想像はどうかと言いますと、以下のようになります。
彼らはキリストを信じることによって明確に罪から救われたので「これは聖霊なる神が内に宿ってくださったのに違いない。そうでなければこのような奇蹟が起きるはずはない」と考えました。

それで「あなたがたが信じたとき、あなたがたは聖霊を受けた」とか「あなたがたは聖霊の証印を押された神の宮である」との言葉が自然に出てきたのではないかと考えています。

初代教会の特徴は後になって与えられるものを待ち望む信仰であり、現代キリスト教の特徴は今すぐに与えられることを求める信仰です。
私たちは賢い人となって、今与えられるべきものと、そうでないものとの違いを見分けたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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