自分なりに理解した神とは何か?

今日はみなさんとご一緒に「自分なりに理解した神」とは何を意味しているのかを考えます。

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1.ステップの1と2はセットになっている

ステップの1は「殊勝(しゅしょう)に自分が無力なのを認める」ということでは全然ありません。
そうではなく問題の原因が自分にあり、更に言えば問題の本質は自分が無力であることを認めることです。

この二つの違いは何でしょうか?
本質的には全く異なる心の態度なのですが、人の目には違いが中々わかりにくいものです。

しかし、どちらの心の態度かをはっきりと示すリトマス試験紙があります。
それは、その人の口から愚痴がでてくるかどうかです。
殊勝に自分の無力を認めているだけの人からは「あ~あ、私も頑張ったのだが。何がいけなかったのか?」という泣き言とも愚痴ともつかぬ嘆きが止めどもなく出てきます。

しかし、そもそも問題の原因は自分にあり、問題の本質は問題解決にあたるべき自分自身の無力さにあることをしっかり気づいた人の口からは愚痴は一切出てきません。
その人は問題の本質は自分の無力にあるのだから、解決は無力な自分を超えた大きな力にあると信じるようになります。

要するにいつまでも同じところに止まっていません。
愚痴や泣き言を言う人はいつまでも同じところに止まっている人です。

2.それは自分を超えた大きな力

「神」を信じることに抵抗がある人々がおられます。
その理由は宗教に対する拒絶感ではなく、実は自分の無力が本当にはよくわかっていないことが真の原因の場合があります。

ステップの1と2はセットになっていますので、自分の無力がわからない限り、神を信じる必要感は出てきません。
それで「自分は神を信じることに抵抗がある」などという言葉が出てきます。

おなかの空いてない人にご飯を食べさせることは出来ません。
ご飯を自分から食べようとする人はお腹が空いているのを自覚している人だけです。

みなさんはいかがでしょうか?

3.それは自分なりに理解した神

宗教に対して何らかの理由で拒絶感を持っており、それゆえに神を信じることが出来ないという方々も確かにおられます。

12ステップを作ったビル・Wもその一人でした。
キリスト教会に傷つけられた過去を持っていたためキリスト教の「神」をどうしても受け入れられないと逡巡(しゅんじゅん)するビルに、親友で同じアル中のエビーは、思わずこう口走ります。

「君が信じれる神なら何でもいいんだ!」

これが12ステッププログラムが宗教から解放され、霊的プログラムとして生まれ変わった瞬間でした。
(この当時のステップは8ステップでした。そしてこの8ステップはオックスフォード運動が宣べ伝えていました)

このような訳で、宗教に対して拒絶感を持つ人々のために、12ステッププログラムは「あなたが信じれる神なら何でも良い」とします。

その故に「どんな人の心の奥底にも神がおられる」のですから、ご自分が今の時点で信じることの出来る神(ハイヤーパワー)を信じればよいのです。

◎自分の無力を認める、自分を超えた大きな力を信じる、それは自分なりに理解した神である。
これはまるでホップ・ステップ・ジャンプのようですね。
私たちも回復を目指してホップ・ステップ・ジャンプしたいものです。
平安と祝福を祈っています。

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