底つきとは何か?

今日は皆さんとご一緒に、底つき体験について考えてみます。

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1.底つき体験とは何か?

依存症の世界では「底つき」という言葉は良く使われているようです。
しかし、ありのパパはこの言葉に対して懐疑的です。
どういうことかと申しますと「底つきなんかないよ。そんなこと言ってると死んでしまうよ」ということです(笑)。

底つき体験の正しい定義は「自分自身の努力ではどうにもならなくなった」ことを認める体験です。
そうです。これは12ステップの「私たちは〇〇に対して無力であり、思い通りに生きていけなくなったことを認めた」というステップの1と同じ内容を指しています。

だったら自分勝手な意味付けをしてしまう危険がある「底つき」という言葉を使わず、意味が確定している「無力を認める」を使ったほうが良いのではないかと思うわけです。

2.「底つき体験」の間違った使われ方

①援助職にある人々の間違った使われ方

回復施設の指導者の方が言われたことですが、以前は福祉や保健関係者によって「あの人は底つきを経験するまでは我々が何をしても無駄だ」などということが言われていたようです。

しかし、これは完全な間違いです。
責任をもって援助すべき者たちが、自分たちが何もしない言い訳に「底つき」という言葉を使ってはなりません。

②親の子供への間違った対応

犯罪をおかした未成年者の裁判を担当することが多い弁護士が言われていました。

そのような子供たちの親はみな例外なく「言わなくても分かると思った」と言うのだそうです。

その弁護士は「言わなくても分かることなど、この世界にはひとつもない」と言われます。
ありのパパもこの言葉に全く同意いたします。

③共依存と援助

家族に依存症者を持つ人々の自助グループがあります。
そのようなところに行くと良く言われることがあります。
「あなたのその行為がお子さんを依存症に走らせているのよ」

これは果たして正しい指摘でしょうか?

これは確かに微妙な問題ではあります。
しかしひとつ確かなことは親には子供に対する養育責任があるということです。

問題はこの養育責任をどのような形で果たすかということであり、養育責任を放棄してしまうことではありません。

親は自らの共依存を克服しつつ、子供に接していくという困難さを伴う作業をこなしていく必要があります。

3.ありのパパにとって底つきとは何を意味するか?

ありのパパにとっての底つきとはACの13の強迫観念や怒りの爆発が「一生治らない」ものであると認めたことでした。

治らないということを認めたとき、真に回復を目指す歩みが始まりました。

それまでは「治る」ということと「回復する」ということの違いが良く分かっていませんでした。
それでやみくもに良くなることを求めていました。

今でも日常生活の中で、最初の一杯の狂気と呼ばれる強迫観念が襲ってくるたびに、心の中で「やっぱり治ってなかったのね」と確認しています(笑)。
そういう意味では日々の生活の中で底つきを味わっているということも言えます。

◎底つき体験という言葉の意味を間違って理解して、人生を無駄に過ごすことのないようにしたいものです。
平安と祝福を祈っています。

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