今、過食と適応障害で通院中です。

今日は読者の方からのご相談にお答えします。
皆さんも「自分はどうか?」とご自分に当てはめながらお読みいただければ幸いです。

…………ここからご相談本文…………

今、過食と適応障害で通院中です。
自分の無力を痛感しています。
それで神に乗り越える力をいただきたいと思っています。

ただ、私はクリスチャンではありません。
正確に言うとクリスチャンをやめています。
神様がいるとは思います。

神のために生きていない私が神様に祈り助けてほしいと思うのはただのワガママなのかなと。
そんな都合のいい事はできないのかなと。

聖書の原則は今でも正しいと思っています。
ただ、とても厳格な宗派のため私は全てに従う事が出来ずに離れてしまいました。

自分にできる範囲で原則は当てはめています。
ただ、このできる範囲というのも自分の都合のいい事だけやっている気がして罪悪感があるのです。

今は、どの教会にも所属していません。
「個人的に神を信じ、神に祈る」というやり方は神には届きませんか?

…………ご相談はここまで…………

こんにちは、まいさん。
ご相談をくださり、ありがとうございます。
一つ一つ丁寧に考えてみましょう。

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1.無力を認めるとはどういうことか?

聖書が教える無力とは「自分の力では決して救いに到達し得ない」のを認めることです。

12ステップが教える無力とは「健康な心に戻れない最大・唯一の原因は自分自身の無力さにある」のを認めることです。

2.聖書の原則とは何か?

聖書が教える原則は「律法(戒め)を守ることによっては誰一人として神の合格点を得ることはできない」ということです。

さて、この点から見て、まいさんの仰ることは正しいと言えるでしょうか?
決して言えないと思います。

まいさんは片方では「自分の無力を痛感する」と言いつつ、もう片方では「自分のできる範囲で原則を当てはめています」と言われます。
これは甚(はなは)だしい自己矛盾ではないでしょうか?

〇聖書は「原則を自分に当てはめることによっては決して救いにも回復にも届かない」と教えています。

3.ためらわず神のふところに飛び込め!

では私たちはどうしたら良いのでしょうか?
それは「原則を守れない自分のままで良い」と神が言われていることを真実とすることです。

「そんなあなたではダメだ!」と誰かが言ったら、「神がそう言われているのだ。なんか文句あっか!」と言い返せばよいのです。

4.神信仰と神概念

教会に行っておらず、個人的に神を信じるというやり方で大丈夫かというご質問です。

12ステップを作ったビル・Wも同じ質問をしました。
それに対する答えは「君が信じれる神ならなんでもよい」というものでした。
その結果、ビル・Wをはじめたとした数限りない依存症者やAC(アダルトチルドレン)が回復を果たしました。

もちろん回復が進むにしたがって、私たちが持っている神概念もまた変化・成長していく必要があります。
いつまでたっても、自分をいじめるばかりの神という概念であってはなりません。

5.人が癒されていくとはどういうことか?

①「治る」と「回復する」は違うこと

治るとは症状が消えるだけでなく原因もなくなることです。
これにたいして回復とは症状はなくなるが、依然として原因そのものは残っていることです。

肉体の病気にも治る病気と回復する病気があります。
例えば風邪は治る病気ですが、糖尿病は回復する病気です。

「依存症は治らない病気、しかし回復は可能、だから回復に専心しよう」というのが依存症のスローガンです。

②回復しても無力のまま

まいさんはご相談の一番最初のところで「乗り越える力を神に求めている」とお書きになりました。
これが「無力な私」が「有力な私」になるために神の力を借りようとしているのではないことを願います。

回復したとしても私たちは無力なままです。
少しも変わりはしません。
その無力なままの私で良いと神が言われています。
そしてその無力のままの私で良いと思えている分だけ神の力が信じる人の心と人生に流れ込んできます。
ですから、ある意味では神の力が流れ込んでくるかどうかは、私たちが持っている自己イメージに掛かっているということが言えます。

◎平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. まい より:

    まいです。ありがとうございます。
    初めてコメントした者の質問に丁寧に聖書から答えてくださってありがとうございます。

    私は無条件で愛されるという感覚がわからないためどうしても何かしなければ相手に愛されないと思いこんでいます。
    神がそんな方のはずはありませんね。
    無力から有力になりたいと思っていないかという事でしたが、、思っています(笑)
    できる自分になれば自信がつくのではないかと思っていました。
    しかし、本当の自信は私は無力だけれど最強の方が私を絶対に見捨てず味方についてくださっているという事ですね。
    神の喜ぶ事が出来ずにいる自分を責めてばかりいましたが、もう一度自分を委ねてみようと思います。

    ありがとうございます。

    • ありのパパ より:

      おはようございます、まいさん。
      コメントをありがとうございます。

      そうですね。仰るとおり「無条件で愛される」という体験がないと、どうしても完全になることによって神の承認を得ようとします。
      しかし長い人生航路を歩むにつれて、人は回復・成長していきます。
      必ず、まいさんにも無条件の神の愛を体験的に知るときがやって来ます。
      いやもう既に(神の愛を無条件に体験させようとする)神のご計画の中におられるようです。

      平安と祝福を祈っています。
      またコメントしてください。お待ちしています。