ライフハックをやってみて効果がなかった人が読むべき記事はこれ!

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1.我力(がりき)で生きている人は決して自分の無力を認めない

問題の原因が何かを理解できたら、解決したも同然です。
しかし問題の原因が自己の万能感を傷つける可能性がある場合、人はなかなかそれを認めようとはしません。

世間ではライフハックが盛んです。
でもライフハックが有効な人はどのくらいいるでしょうか?
確かに、よく効く方もおられるでしょう。

しかし問題の本質(原因)が自分の無力にある場合は、ライフハックは何の役にも立ちません。

〇ライフハックのほとんどは解決の鍵は自分にあると教えます。
しかし、問題の原因が自分の無力にあるとしたら、ライフハックが言っていることは実行不可能ということになってしまうからです。

2.問題の本質は自分が無力ということ

問題の本質は「自分の無力にある」ということを認めることが出来たら、問題は半分解決したようなものです。

肺癌であるのに肺結核であると誤診して治療するなら病気はいつまで経っても治りません。

しかし、問題の原因は肺結核ではなく肺癌であると分かれば、病気が治る可能性が出てきます。

これと同じように人生がうまくいかない原因がどこにあるとするのかは極めて大きな問題です。

ありのパパは「人生がうまくいかない原因は自分が無力であるということにある」と考えています。

さて、皆さんはいかがお考えでしょうか?

3.無力を認めた次にすべきこと

①無力とは何もしないことではない

日本的な感覚で言えば「無力を認めたのだから、あなたは何もすることは出来ない。なぜなら無力なのだから」と考えがちです。

しかし、これは詭弁(きべん)に過ぎません。

問題の原因を特定したのは自分の人生が良くなるためです。
ですから、その線に沿って行動をしていくことが絶対に必要です。

②次の段階は問題の原因に対応した『解決』を見つけ出すこと

問題の原因(本質)は何だったでしょうか?
そうです。自分が無力だということです。

では問題の本質にジャストフィットする解決とは何でしょうか?
それは「自分を超えた大きな力」です。

これはある意味では当然のことです。
なぜなら、問題の本質が『自分の無力』にあるなら、解決は『無力である自分』を超えた大きな力ということになるからです。

〇この「自分を超えた大きな力」とは「自分なりに理解した神」を指しています。

4.神の力が自分の人生に流れ込んでくるにはどうしたら良いか?

神の力が自分の人生に流れ込んでくるための方法を『解決策』と言います。
解決策には二つあります。

①『霊的目覚め』

霊的目覚めとは宗教的な経験を指していません。
霊的目覚めとは回復(人生が良くなること)するのに十分な人格の変化を指しています。

そうです。人格の変化そのものが霊的目覚めなのです。
では人格の変化とは何でしょうか?
それは性格上の欠点・短所が取り除かれた人生を生きることです。

そのために12ステッププログラムというものに取り組み、人生の棚卸しを行います。
このプログラムに取り組みさえするなら、霊的目覚めは必ず与えられると約束されています。

②『共同体から受ける助け』

私たちは一人では霊的目覚めを得ることができませんし、また霊的目覚めを得てもそれを維持することが出来ません。
どうしても仲間が必要です。

これは聖人同士の集まりではありません。
いいえ、どちらかと言うと薄汚い罪人の集まりと言った方がよいかもしれません。

「いやだわ~、私はそんな人たちとご一緒するのは御免被(ごめんこうむ)るわ」と言う人よ。
あなたが「私は無力であることを認めます」と言われたのはお芝居だったのですか?(笑)

5.セキュラー(世俗:せぞく)のプログラムと霊的なプログラムのちがい

それは世俗的なプログラムは回復する力は自分の中にあると教えることです。
これに対して霊的プログラムは、私たちは無力であり、回復する力は自分を超えた大きな力であると教えます。

世俗的なプログラムを信奉する人々から次のような反論をいただくことがあります。
すなわち「その『自分を超えた大きな力』は自分の中にあるのだから、回復する力は自分であると言ってもよいのではないか」という主張です。

しかしこれは破綻(はたん)した論理です。
なぜならうまく行っていないときは自分は無力な状態ですが、うまく行き始めると途端(とたん)に『有力な自分』ということになってしまいます。
結局、そのような教えを受け入れてしまうと、生きている間ずっと無力と有力の間を行ったり来たりするフラフラの人生を生きることになります。
このような人生を送ってはなりません。

6.霊的プログラムと宗教的プログラムの違いはどこにある?

それは宗教的プログラムが特定の『神』を押し付けるのに対して、霊的プログラムは『自分なりに理解した神』で良いとする点です。

この記事を書いている「ありのパパ」はクリスチャンです。
それでお腹のなかでは「みんなクリスチャンにならないかな~」と妄想しているのです(笑)。
しかし、その本音を共同体のなかで人に押し付けることを決してしないし口にもしません。

◎我力で生きる生き方に別れを告げて、自分の無力を認め、自分を超えた大きな力が私の人生を良くしてくれると信じる生き方を始めようではありませんか!
平安と祝福を祈っています。

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