命にいたる悔い改めと死にいたる後悔と

「神の御心に沿って悲しむなら満足すべき悔い改めに至るが、世俗的な悲しみは命の死をもたらす」〔コリント教会への手紙第二07:10〕

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1.命にいたる悔い改めとは何か?

①問題がない振りをしない

問題がない振りをすることは簡単です。
もっとも良い解決法は問題が小さいうちに芽を摘むことです。
しかし問題がない振りをしていると、あとから大変な目に会うことになります。

②合理的な解決方法を採用する

合理的な解決法とはトライ&エラーを繰り返して神の意志に到達することです。
決して神がかりになって御宣託(ごせんたく)を述べることではありません。

御宣託を述べる人の特徴は今までやってみてうまく行かないと分かっていることを何の根拠もなく「いや、信じて行うなら必ずうまくいく」と強弁することです。

これはあたかも依存症者が同じやり方ではうまく行かないと分かっていることを「今度こそ、うまく行くかもしれない」と強迫的に考える思考パターンと類似性があります。

トライ&エラーとは「これをやってうまく行かなかったから、今度はあれをやってみよう」と考え実行することです。
そうやって遂にうまく行く方法すなわち神の意志に到達します。

2.死に至る後悔とは何か?

①何にでも絆創膏(ばんそうこう)を貼ること

ありのパパもついやってしまうことです。
なぜなら面倒くさいからです。
「絆創膏を貼っとけば、いつかは治る」と高をくくります。

②人任せにすること

「あの人が言っているから、まちがいない」とは良く話です。
しかし、同時に「近いうちに泣き言を聞くことになるだろうな」とも思います。
そして大体、その通りになります。

自由意志は神から与えられたものです。
ですから、その自由意志を神にお委ねすることは良いことですが、同じ被造物である人間に委ねるようなことをしてはなりません。

③失望すること

失望と絶望は全くちがうことです。

絶望は神を信じるためにどうしても通らなければならない階段です。

それに対して失望は20%の諦(あきら)めと80%の甘えによって出来ています。
そうです。「誰か助けてくれないかな~。誰も助けてくれない可哀想な私」という、ひねくれた感情です。

3.それは人生の方向転換

①少しずつ、初めの一歩から

多くの人(私を含めて)は初めから結果を期待します。
「あり得ない~。そんなことあり得ない~」(笑)

分かっちゃいるけど止めらないんですよね、これが。

しかし、始めない限り成果があがることも絶対にないことです。
そのために必要なことは小さな一歩(ベビーステップ)を踏み出すことです。

「どうせなら、華々しくやったほうがいいだろ!」
チーン!はい、失敗確定。ご愁傷(しゅうしょう) さまです(笑)。

②継続する。止めない

ある人はこう言いました。「止めない限り失敗したことにはならない」

これを聞いてありのパパは「失敗は失敗だろ」と思ったのですが、ありのパパが間違っていました。

成果をあげるために最重要なことは「どうしたら止めないで続けることができるか?」ということです。

筋トレでも他のことでも続けることが一番難しいと実感しています。

③効果測定しながら歩む

これは盲目的に頑張ってはいけないということです。
たとえば戦前の軍部は「戦争はやってみなければ分からない」と自分を恥じることなく言い放ちました。
これに対して日露戦争を戦ったときの政府は様々なケースを熟慮し、シュミレーションを繰り返しました。

これらの知恵が受け継がれることなく、表面的な成功体験だけが受け継がれたところに我が国が『命の死』ともいうべき結末をむかえる原因がありました。

〇すぐに成果を求めてはいけませんが、ある程度実践したら、効果測定をしなければなりません。
そしてその結果にあわせて軌道修正をします。

◎平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    丸っきり、別の案件だと思いますが、遂に妻が転会やむ無し、に転向しました。
    実際に教会を転会するのはもう少し先になりそうですが、これで一安心です。
    「トライ&エラー」、数十年、同じ教会に通っていても、牧師が聖書から明確に逸脱したならば、致し方の無いことですね。

    ただ…。やっぱり残念で悲しいです。

    教会は引き返すことは出来ないのか?
    私達家族は教会の健全化に出来ることはもう無いのか…。
    捨てるべき未練なのでしょうが…。

    • ありのパパ より:

      こんばんは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      そうですね。これしか道はないと、私は考えます。
      「問題のない振りをしない」「罪に荷担しない(他者の人権を侵害しない)」
      これらのことを考えるなら、最善の決断ではないでしょうか。

      神様がこれまでの道を守り導いてくださったように、これから歩まれる道をも守り祝してくださいますようにと祈っています。

      またコメントしてください。お待ちしています。