生きるのが楽(らく)になるとはどういうことか?

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1.生きるのが楽になるために見落としがちなこと

①生きるのが楽になりたいと思わない人もいる

徳川家康は「人生とは重い荷を背負って歩き続けるようなもの」と言いました。
しかし、まともに考えるなら「そんな人生はお断りです」と言わないでしょうか(笑)。

②生きるのが楽になるために必要なこと

イエス・キリストは「誰でも重荷を背負って苦労している人はわたしのもとに来なさい」と言いました。
この言葉のあとに続くと誰でも想像するのは「わたしがその重荷を取り去ってあげる」ではないでしょうか?
しかし、そうではありませんでした。

③生きるのが楽になるためには『生き方』を変える必要がある

では何と言われているかというと「わたしから学びなさい。私があなたに与えるクビキは軽く、私が与える荷は背負いやすいからです」と続くのです。

クビキとは牛や馬に荷車(にぐるま)を引かせるためにアゴの部分に通す棒のことです。

このところから教えられることは生きるのが楽になるために必要なことは、生き方を変えるということを自覚的に行わなければならいということです。
これなしには人生が変わることはないということができます。

(ここからは生き方を変換するためのステップを見ていきます)

2.否認がとれる

否認とは、自分は病気(病的)であるのに「いえ、私は健康です」と、いけしゃあしゃあと言い切ってしまうことです。
始末が悪いのは自分でも本当にそう思っていることです。

ありのパパもそうでした。
ずっと、他の人々を見て「私もそのように振る舞わなければならない」と思い込んで、健康な振りをしてきました。
振り返って思うことは「これじゃ、生きるのが苦しいはずだ」ということです。

現在では「私は病気です。私は依存症です」と堂々と宣言していますから、生きるのが楽になりました。

3.選択肢があることに気づく

アルコール依存症者が「私は健全な酒の飲み方ができる」と何度宣言したところで何の意味もありません。
また、癇癪(かんしゃく)持ちが「今度こそ、普通の人のような怒り方をしてみせる」と力んでみても虚(むな)しいことです。

アル中にとっては「私は酒を一滴も飲まない生き方を選び取る」と決心することが、新しい選択肢であることに気づかなければなりません。

また、癇癪持ちにとっては「私は一切怒ることをやめる。それ以外に私の生きる道はない」と理解することが新しい選択肢を選び取ることです。

4.良いものを識別(しきべつ)する

①古い生き方を手放せば、新しい生き方が与えられる

私たちはステップの3で、自分の意志と生き方を神の配慮に委ねました。
これは自分の今までの生き方を手離したということです。

そしてステップの10まで来ると、今度は手離した自分の意志が神の意志として戻ってきます。

神の意志とは、私たちの新しい生き方を指しています。

②見捨てられ不安と低い自己評価

だれでも古い生き方を手放して、新しい生き方を受けとり、それを実践するのは勇気がいることです。
ことにAC(アダルトチルドレン)であるなら、なおさらです。

なぜなら私たちACには病的な見捨てられ不安と非常に低い自己評価があるからです。

しかし、これらのものをなくすことは出来ませんが、統合作業によってスイッチを入れなくすることは可能です。

③古い生き方から新しい生き方への階段

まとめると以下のようになります。

a.自分が否認していたことに気づく

b.新しい選択肢があることに気づく

そして初めは少しの選択肢しか見えてなかったのが次第にたくさんの選択肢があることに気づいていきます。

c.識別

合理的判断を繰り返すことによって、神の意志に到達する術(すべ)を身に付けるようになります。

◎平安と祝福を祈っています。