「問題が起きてからでは遅い。起きる前に何とかすべき」は本当のことか?

今日は皆さんとご一緒に、問題が起きる前に何とかすることが出来るものと出来ないものがあるということを考えます。

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1.子育てにこの主張は通用するか?

当たり前のように「子どもが問題行動を起こす前に、よく子どもを観察して、その芽を摘むことが大事です」などと言われます。
これは果たしてその通りでしょうか?

少なくない親御さんが「子どもが心配です」と仰います。
それで「どうしました?」とお伺いすると、「いや、問題は何も起こしていないのですが、これから起こすのではないかと心配なのです」と仰います。
これは果たして健全なことでしょうか?

ありのパパの目には、問題があるのはお子さんではなく、親御さんでないかと思えて仕方ないのですが、これは意地悪にすぎるでしょうか。

カウンセリングは問題行動を何とかするもの

カウンセラーとしてはお子さんの相談にこられているにもかかわらず、お子さんが問題行動を起こしていないのは困ったことなのです。
カウンセリングという学問が始まって以来、延々と問題行動を解決するための知恵が積み重ねられてきました。

それで大体の問題行動は解決のためのプログラムが用意されています。
そのプログラムの中からもっとも妥当だと思われるものをカウンセラーはクライアントに提供するわけです。

ではどうなるでしょうか?
すなわち、お子さんが問題行動を起こすまでは、親御さんはご自分の「自分育て」に精を出すのが良いということです。

2.人生の途上で起きる困難・試練はどうか?

①準備できるもの

これも「何が起きても大丈夫なように、準備しておくことが大切です」と言われます。
これは言外(げんがい)に「悪いのは準備していなかったあなたである」と言っているようにも聞こえます。

確かにお金なら、万が一の時のために貯めておくことが出来ますし、そうすべきです。
お金以外のもので準備しておくことが可能なものは健康ぐらいなものではないでしょうか?(それでせっせとありのパパは筋トレに励んでいるというわけです)

②準備できないもの

問題の真の核心は準備できなかったことではなく、試練や困難に遭遇したときに右往左往することにあります。
これは大変不思議なことに「誰でもパニックになったり真っ白になるよね」と他の人の共感を得やすいようです。
しかし、聖書は「あなたがたの会う試練の中で他の人が会わなかったような試練はない。皆他の人が経験済みのものばかりである」と言っています。

ですから問題の核心は試練や困難に出会ったときに、自己憐憫に陥ることなく、なるべく速やかに立ち直って問題解決に立ち向かうことです。
聖書も「神はあなたがたに試練をお与えになるが、それとともに解決の道をも備えていてくださる」と約束しています。

3.いかにして問題を解決すればよいのか?

①問題解決のデータベースに当たる

先人たちが困難に遭遇したとき、どのように解決の道を歩んだかを知ることがもっとも大切なことです。
幸い、現代はインターネットの時代であり、データベースに簡単にアクセスすることが出来ます。

②問題は自分自身にある

問題の核心は準備できていたかどうかにではなく、困難に遭遇して速やかに試練に立ち向かうことが出来るかどうかにあります。

そのためにはどうしたら良いでしょうか?
一言でいうと「自分育て」に励むことです。
では自分育てとは何かというと、それは自分自身をありのままに受け入れ、自分自身と親しくなっていることです。
多くの方は自分自身と親しいと錯覚しています。
しかし当の自分自身は、とっくの昔に絶望して声を出すことを諦(あきら)めてしまっているのです。

それで試練に遭遇するとパニックになってしまいます。
自分自身と仲良くなっていれば、決して茫然自失(ぼうぜんじしつ)になることはありません。
なぜなら、存亡危急(そんぼうききゅう)の時には自分自身が大胆に登場し、大活躍してくれるからです。

右往左往する人は普段の生活で自分自身と仲良くできていないことが原因かもしれません。

③神学はキリスト教の知のデータベース

多くの人が「祈っていたら示された!」と新しい教えを宣伝します。
しかし、キリスト教歴史を振り返ってみるとこのような「霊知主義」とも言うべき教えが繰り返し現れたことが分かります。

そして大体の場合はキリストの教会を傷つけ、混乱を起こし、そして結局は歴史の泡の中に消えていきました。

もし私たちがキリスト教のデータベースに触れていたら、多くの新しくはあるが間違った教えから免れることが出来ます。

現在、話題になっている「後の雨運動」ですが、これは何十年も前に既にアメリカのアッセンブリー教団によって異端宣告がなされています。
もし、この事実を知っていたら日本国内でこの運動に参加するペンテコステ派の教職は存在したでしょうか?
いいえ、一人もいなかったと思います。

◎私たちお互いは事前に準備すべきことと、そうでないものをよく見分けたいものです。
そして試練・困難に遭遇したときに速やかに立ち向かうことが出来る自分育てに励みたいものです。
平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    おはようございます。

    「後の雨運動」、私も丁度1年程前まで、すっかり惑わされていました(泣)、「5教役者の回復」なんかも、もしかしたら、そういう事もあるんじゃね?
    くらいに、消極的賛成というか、前向きに同意を検討する、というスタンスでした。

    リック・ジョイナーの大ファンだったもので…。

    ところが、ひょんな事からアクオス・パッドなるものを買って、インターネットの世界が身近になって、何人かの牧師や信徒のブログやホームページを見て大ショック!!

    有名な牧師の不祥事や後の雨運動、ニューソート、繁栄の神学
    (福音と自己啓発や可能性思考を混ぜ合わせた考え)、ちょっとおかしいんじゃね?、と思っていたものから、完全に受け入れてすっかり惑わされていたものまでありました(泣)

    佐藤 優 氏の神学関係の本なんかも読んでバランスを取りました(それはリベラルに振れ過ぎだろ!!←自分ツッコミ)じゃなくて、健全なペンテコステの牧師のブログや超教派の牧師のブログを読んで、バランスを取り戻している今日この頃です。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      う~ん。返しようのないボールを投げないで欲しい(笑)。

      結局、私たちは聖書的な信仰とは何か?という命題を胸に抱きながら一歩一歩歩むほかはないのですね。

      ということで、またコメントしてください。お待ちしています。

  2. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    お早うございます。

    返しようのないボールを投げてしまい、申し訳ありません。

    聖書的信仰とは何か?、という命題を胸に抱きつつ、私も歩んでまいりたいと思います。

    • ありのパパ より:

      おはようございます、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      どうぞ、これからも打ち返しにくいボールを投げてください。
      死ぬまでには打ち返せるようになりたい(笑)。

      またコメントしてください。お待ちしています。