怒りが爆発しそうになったときはどうしたら良いか?

ありのパパが事件を起こしました。
それは電車の出入り口で起きました。

トロトロと降りてくる婦人の一団を見ていて、小さな声で、しかし聞こえよがしに「とろくさいな~」と口走ってしまったのでした。

その時、即座に良心の声が「今のは怒りの爆発だよ」と、ささやき掛けました。
ありのパパもとっさに「しまった!失敗した」と感じました。

今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えます。

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1.大きな声を出さなくても怒りの爆発であることもある

これは癇癪持ちでなければ分からないことかもしれません。

しかし、ちょうど反対のことを考えれば分かりやすいかもしれません。

それは愛していることを示すのに壮大な美辞麗句(びじれいく)が必要なのではなく、さりげない一言で十分な場合もあることを思えば良いのです。

愛情を示すのにたった一言でいい場合もあるように、怒りを表すのにもたった一言ですむ場合もあるのです。

2.依存症は「最初の一杯」が命取り

これは良く言われることではあります。
アル中にとっての最初の一杯が命取りになるように、性依存症者にとっては少しだけ見ようとしたネットポルノが命取りになります。
同様に怒り依存症者にとっては最初の小さな不満の表明が命取りとなります。

3.なぜ最初の一杯が命取りになるのか?

アル中が最初の一杯を飲むとき、頭のなかでは「一杯だけならいいだろう」と考えています。
しかし最初の一杯を飲んだらブラックアウトするまで飲酒が止まらないことを知っていながらです。
このような訳で最初の一杯を「狂気」とも呼びます。

これを12ステッププログラムでは精神面での強迫観念と言っています。

4.強迫観念のスイッチを入れないために

強迫観念はなくなりません。
しかし強迫観念のスイッチを入れないで生きていくことは可能です。

ではそのためには具体的にどうしたら良いのでしょうか。
それは当人にとってはいつも同じような場面で強迫観念のスイッチが入ることに着目します。

ありのパパの例で言えば、怒りが爆発しそうな場面というものは大体いつも同じです。
そうですから、そのような場面になると一目散(いちもくさん)に退散(たいさん)します。

「逃げてばかりでどうするんだ!」という声も聞こえてきそうですが、世の中は自分一人が逃げ出したところで誰も困りません。
何もなかったように普通に回っていくものです。

そうであればなおさらのこと、自分自身の感情面での「しらふ」を守ることを最優先にすべきです。

5.癇癪持ちの親を子供はどう思っているか?

怒りを爆発させる親をもっていた子供が、ご自分が成人してからカウンセラーに「その時、あなたは親にどうしてほしかった?」と聞かれました。(書籍『毒になる親』から)

その方は「感情が治(おさ)まるまで、どこかの部屋に行ってほしかった」と答えました。

この方は自分自身が自分のお子さんに対して怒りを爆発させるという問題を抱えていました。
それで、この方は自分が自分の親にしてほしかったことを自分の子供にしようと決心しました。
具体的には怒りが爆発しそうになると家族から離れて違う部屋に行って、そこで気持ちが落ち着くのを待つようにしました。

◎癇癪(かんしゃく)持ちであっても、怒りの問題から解放されて生きていくことが可能です。
平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    オバチャン軍団に「とろくさいな~」、が怒りの爆発、ということで衝撃を受けております。
    もちろん人それぞれということもあるのでしょうが…。

    実は昨日、娘がコーラをこぼしまして、「てめぇ、コラ、こぼすんじゃねぇって、いつもいってんだろ(怒)」
    →娘泣く「父ちゃん怒り過ぎ!!」
    →娘にこぼしたコーラを拭かせて「父ちゃんちょっとだけ怒り過ぎだったね、ごめんゴメン」という日常のひとこまがありました。

    私が子供の頃、同様のことがありましたら、思いっきり殴られ、泣こうものなら思いっきり蹴られました。
    私は自分の親より遥かにマシ、と思っていましたが、
    あれれ!?

    もしかして私も怒りの爆発の問題があるのかな?
    ふと、思いました。

    • ありのパパ より:

      おはようございます、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      そうですね。人それぞれですね。
      私の場合は小さな不満の表明が怒りの爆発という強迫観念のスイッチを入れる役割を果たしてしまいます。
      それでどんな小さな「最初の一杯」も見逃すと、それが命取りになります。

      私たちは自分達が育った生育歴から自由ではありません。
      誰もが、そこから回復をスタートさせる必要があります。
      そうしない限り、信仰生活は空回りするばかりですね。
      これはまるで私のことを言っているようです(笑)。

      回復と成長は無限に進み行くものです。
      私たちが持っている神概念も回復が進むにしたがって、それに対応して変わっていくべきものです。

      この場面で「イエス様ならどうされるか?どのように振る舞うことが神の栄光を表すことになるのか?」を常に頭のなかに入れていたいものです。

      またコメントしてください。お待ちしています。

    • ありのパパ より:

      追伸です。

      娘さんの「父ちゃん怒りすぎ」という言葉に感慨を覚えました。
      なぜなら自分が子供の時はなぐられるとフリーズするだけだったからです。
      「お嬢さんはACにならないだろうな」と思いました。

      以上です。

  2. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    「イエス様なら、どうされるか?」

    何か重大な局面だけでなく、日常生活の中で、家族に対してもこの思いを持って接していきたいと思いました。
    御指導ありがとうございます。

    でも難しい…。(そこで泣き言を言うな!!←自分ツッコミ)

    娘は友達にも謝罪を強要します。
    なかなかの支配、操作癖…。
    いじめっこにならないか心配です。
    おぉ、そこでキリスト信仰があるので歯止めになるのか!

    脱線しまくりで、すみません。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      「神はすべてのことを用いて益(えき)としてくださる」
      もし、いじめっ子になったら、なったことを通して御業を行ってくださるのだから、絶対大丈夫!何も心配することはないと信じましょう。
      そして「手放して、あとは神にお任せ」ですね。

      またコメントしてください。お待ちしています。

  3. ハウスウォッチャー より:

    ありのパパ様
    ほんとだな、と思いながら今日のブログを読みました。
    今朝、録画しておいた内村鑑三の思想の番組(NHK)を見たんですが、番組の中で、内村はロマ書の講義を通じて、基督教はまず第一に愛ではなく、謙遜だといってました。
    そして講師の鈴木範久氏は、無力という言葉を使っていました。
    ハッとしました。ああ12ステップと同じだと思いました。
    僕もマッキーさんと似たようなことを何度もしてきました。
    いや、それ以上のこともありました。
    そして、知らないうちに子どもに対して怒りをためて来てしまっていたことも気づかされました。
    パパ、〜のこと好き?とニコニコ顔で聞いて来た我が子の2〜3年前の平凡な出来事が妙に思い出されます。
    ああ、棚卸しですね。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、ハウスウォッチャーさん。
      コメントをありがとうございます。

      人生という名前のフィルムを巻き戻すことはできませんが、「あのことがあったからこそ、今がある」と言うことは可能です。
      そのための道も神が用意されておられますね。
      棚卸し表を送ってくださるのを首を長~くしてお待ちしています(笑)。

      またコメントしてください。お待ちしています。