嗜癖(しへき)と性格上の欠点の関係とは?

スポンサーリンク

1.あるミーティング会場での出来事

教会堂をお借りしてやっているミーティングでの出来事です。
ありのパパはミーティング会場に行く前に礼拝堂に立ち寄って短く祈ることにしています。
その日も礼拝堂に行くと一人の青年が立ったままでおりました。
ありのパパにはこの青年の後ろ姿しか見えなかったのですが、彼が祈っているのが分かりました。
なぜなら背中から光がさしていたからです(笑)。
はじめは「この教会の信徒さんかな」と思ったのですが、ありのパパがミーティング会場に行くと、その青年もおられました。
茶話会でその話をすると「先ゆく仲間がそのようにしているのを聞いて、自分もやっている」と答えました。

「人はこうして『自分なりに理解した神の配慮に自分の意志と生き方を委ねる決心』をするのだな」と思わせられた出来事ではありました。

2.嗜癖行動と短所の関係

ある程度自分が見えてくると、分かってくることがあります。
それは自分をして嗜癖(しへき)的行動に陥るようにさせていた犯人は、自分の性格上の欠点であるということです。

ありのパパの例で言えば、恐れと不正直が性格上の欠点でした。
恐れと不正直が原因となって、人生において自分の本心とは異なる行動をとり続けました。

そのことは自分では当たり前であり、他の人も皆やっていることだと天才的な誤解をしていました。
しかしそれは多大なストレスを自分自身にもたらす悪行(あくぎょう)でした。

結果として怒りの爆発というストレスのはけ口を必要としたのでした。

3.依存症は治らない病気

怒りの爆発という問題であれ何であれ、それらが依存症のレベルになってしまえば、たとえ原因を除去しても依存症という病気は治りはしません。

なぜなら脳の報酬系という部位に「快楽を強力に求めることを命じる回路」がいったん出来てしまうと、その回路は死ぬまで無くなることはないからです。
また12ステッププログラムも「精神面での強迫観念と肉体面での渇望現象がなくなることはない」と教えています。

4.性格上の欠点と回復の関係

では性格上の欠点を取り除く必要はないのかと言えば、決してそんなことはありません。
なぜなら、強迫観念は死ぬまでなくなることはありませんが、強迫観念のスイッチを入れないで生きていくことは可能だからです。

もし私たちが自分の性格上の欠点・短所を神に取り除いてもらうステップをスルーし続けるなら、私たちは執行猶予が切れかかった罪人(ざいにん)のようなものです。

強迫観念のスイッチを入れるものは本心を偽って生きるところからやってくるストレスです。

自己一致して、本心を偽らず、正直に生きる生き方を選び取るに従って、病的なストレスは軽減していきます。
ストレスが軽減するに従って強迫観念のスイッチを入れようとする圧力も減っていきます。

そうすると実生活において強迫観念のスイッチが入ることが無くなっていきます。
これがステップ2の「自分を超えた大きな力が自分たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった」とあることの内容です。

このようになるまで回復の歩みを続けたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。