ステップ2の『健康な心に戻してくれると信じるようになった』とはどういうことか?

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1.健康な心とはどういう意味か?

まず、ここの理解が正確になされていないといけません。
私などは失敗しそうになると「神様、助けてください。ステップの2の『健康な心に戻してくれると信じ』ます」と祈ってしまいます。
もちろん、この祈りは間違いではありません。
しかし、的をはずしています。

なぜなら「健康な心」に戻っても、強迫観念も渇望現象もなくなりはしないからです。

2.健康な心になっても、強迫観念も渇望現象もなくならない

12ステップ自体が依存症は治らない病気であることを明確に述べています。
即ち、治らないとは強迫観念も渇望現象もなくなることはないということです。

ここで一つ疑問がわき上がります。
それは「強迫観念も渇望現象もなくならない『回復』とは一体なんぞや」というものです。
皆さんは疑問に思われませんか?
ありのパパは疑問に思いました。

3.健康な心とは何か?

それは「健康な心とは認知にゆがみのない心である」ということです。
では「認知にゆがみがない」とはどういうことでしょうか?
それは今までは「あの人が悪い。この人に責任がある」と口に出すことはなくても、意識的・無意識的に思っていたのが、12ステップに取り組むようになってから「そうではない。問題は自分にあった。自分の中にある問題を解決するなら、私は回復できる!」という理解であり、考え方です。

ではどうしたら健康な心になることができるのでしょうか?

4.どういう道を通って健康な心になるのか?

棚卸しすることによって、自分の性格上の欠点・短所を見つけ、その短所を神に取り除いてもらうことによってです。

ステップの3では「自分の意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をした」とあります。
神の配慮に委ねるとは、なにか分からないモヤッとしたものではなく、明確なものです。
それは健康な心に戻るために神の指示に従うことです。

ここでは神の配慮に委ねるとは明確に四つのことをやりとげることを意味しています。

一つは自分自身の棚卸しを行い、それを表にすること

いつまで経っても棚卸しを行わず、行ってもそれを表にしない人がいます。
困ったものです。なぜ徹底して神の指示に従おうとしないのでしょうか?

実はそれはありのパパの姿でもありました(笑)。
人生が追いつめられて、どうしようもなくなるまで手を付けようとしませんでした。
これを読んでおられる皆さんには、そのようなことがないようにと祈っています。

二つ目はその表をもう一人の人にお見せすること

見てもらうのは12ステップのことをよく分かっている人なら誰でもかまわないというわけにはいきません。
よくよく慎重に選ぶ必要があります。

ビックブックには「聖職者やカウンセラーや先ゆく仲間たち(12ステップに取り組み、十分に回復しており、周囲からの信頼を勝ち得ているメンバー)」が上げられています。

ありのパパのことを言えば、ステップの5によって自分の短所に気づきました。
それは「恐れが動機となって不正直な対応をなし、その不正直な対応が原因で人々との間にトラブルが起き、そのトラブルが起きた人々を自分に落ち度があったにもかかわらず一方的に恨むという利己的きわまりない生き方」です。

それまでも自分の短所は恐れと不正直であると分かってはいました。
しかしそれらの短所がどう自分の人生に影響を与えているのかが理解できていませんでした。

それが他者に明確に指摘されることによって鮮やかに(まるで映画の一場面を見るかのように)自分の短所が自分の人生にどのような影響を与えているのかを知ることが出来ました。

ここまで自分の問題が明確に分かって、人生が変わらないはずはありません。

自己洞察や自己カウンセリングをいくらしても、もう一人の人に表を見てもらうことによる効果には全く及(およ)びません。

三つ目は短所を神に取り除いてもらうステップの実践

この部分が12ステップの核心部分であるということができます。
なぜなら、このステップにおいて自分の性格上の欠点・短所が取り除かれることが「健康な心に戻る」ことにつながるのですから。

もちろん性格上の欠点・短所を取り除いてもらう作業は一生涯続くステップです。
一朝一夕(いっちょういっせき)にはいきません。
「今日一日だけ」使いなれた古い手を使わないと決心します。
古い手とは性格上の欠点から出てくる行動パターンを指しています。

そして新しい手を使う決心をします。
新しい手とは丁度古い手の正反対の行動パターンを指します。
どんな新しい手を使うかは、お一人お一人みな違います。
祈ってよく考え、自分にあった新しい手を選び出します。

一例として、ありのパパの新しい手をご紹介します。
「接するすべての人に敬意をもって対応する」というものです。
はじめのうちは単純に「失礼にならないように、気持ちよく過ごしていただけるように」というものでした。
しかし、これを繰り返しているうちに自分の内面を知ることになりました。
それは今までは人々を人格をもった存在としてではなく、自分の怒りを爆発させる対象としてみていた節(ふし)があるということでした。
それに気づいてからはより一層徹底的に人格をもった存在として敬意をもって接していくということを行うようになりました。

性的な問題を持っている方は、人々を性的対象と見るのではなく、神に愛されている人格をもった存在として見ていく訓練をすることです。
そうすると今までは当たり前のように人々を性的対象として見てきたことに気づくときがやってくるでしょう。

四つ目は埋め合わせ

これも生涯を通して行っていくステップです。
言い換えると私たちの人生は埋め合わせの人生であるということもできます。
埋め合わせできるときは躊躇(ちゅうちょ)せず埋め合わせを行います。

その際に謝罪と遺憾の意を表すことの違いを知っておくことが重要です。
謝罪を繰り返すと、謝罪する側にも謝罪された側にも悪い心理的な影響を与えるからです。

遺憾の意を表すとは、「あの時は悪かったね」と言うことです。
それ以上でも、それ以外でもありません。
謝罪は補償を伴い、それゆえに一回限りのものでなければなりません。
しかし遺憾の意を表すことは半永久的になすべきことです。

これは私たちが健康な心を取り戻すのにどんな効果があるでしょうか?
私たちはどちらかというと現実から遊離したところで妄想を抱いて生きてきたと言えないでしょうか。
それが埋め合わせの人生を生きることで、現実の世界に責任を持つ存在として生きていくことを覚えます。
これこそが唯一の被害妄想から解放される手段であると言ってよいぐらいです。

(この部分を呼んで「毒親にも埋め合わせする必要がある」とお受け取りになられませんように。決して埋め合わせしてはなりません。)

◎私たちお互いは神の配慮に自分の意志と生き方を委ねることによって、健康な心を取り戻したいものです。
平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. ACのゆか より:

    私の信仰は神道です。
    底つきでどうにもならなくなった時、占いの先生に「もうあなたは神様に必死でおすがりして、懸命に救ってくださいとお祈りするしか道はない」と言われ、最初は訳も分からず神社を参拝したのがきっかけです。
    今思うと、この占いの答えって12ステップのことなのかもしれない(笑)。

    スポンサーのいない私は、行き詰った時や苦しい時にこちらのブログに大変お世話になっています。
    いつも導きを頂き、本当にありがとうございます。
    ありのパパさんに、そしてこちらのブログに出逢えた幸運を神様に感謝します。

    今日も眼から鱗の素晴らしい教えを頂きました。

    私は今まで、自分のみならず自分以外も「神に愛されている人格を持った存在」として扱ったことがなかったと気付かされました。

    だから傷付けても、なんとも思わなかった。
    何度読んでもこのフレーズは、涙が溢れます。
    この涙が懺悔なのかショックなのか何なのかは、まだよくわかりません。

    ありのパパさんの存在は、回復を目指す私にとって希望の星です。

    いつかありのパパさんのようになりたいなという憧れの気持ちと、「なれるかな」という期待で、勇気が湧いてきます。

    どうぞこれからも宜しくお願いします。

    • ありのパパ より:

      おはようございます、ゆかさん。
      はじめてのコメントをありがとうございます。

      12ステップに取り組みさえするなら与えられると約束されている霊的目覚めこそ、解決の鍵です。
      どうぞ一直線にそこにまで到達されますように。
      平安と祝福を祈っています。

      またコメントしてください。お待ちしています。

      追伸:私が12ステップを学んだ施設は「RDデイケアセンター」と言います。
      毎年、2月と8月に学びがスタートします。
      見学が可能の場合もありますので、一度連絡なさってみてはいかがでしょうか

      • ACのゆか より:

        ありのパパさん、施設についてありがとうございます。

        2月を目指して、もう寄り道せずに真っ直ぐに進みます!

        私もありのパパさんの祝福と平安をお祈りします。

        本当にありがとうございます。

        • ありのパパ より:

          こんばんは、ゆかさん。
          コメントをありがとうございます。

          そうですね。一直線にお進みください。
          私もゆかさんの平安と祝福を祈っています。

          またコメントしてください。お待ちしています。