「手放して、あとは神にお任せ」の真意

スポンサーリンク

1.手放すとは?

手放してとは、無力を認めて自分で何とかしようとするのを止めることです。

実は、自分で何とかしようとジタバタするのは、自分の無力を認めていないからです。
もし自分の無力を認めていたら、ただ神に信頼してジタバタするはずもありません。

多くの方が「私は信仰が薄いから」と仰います。
「いえいえ、あなたの問題は信仰がうすいことではなく、自分の無力を認めていないことですよ」と申し上げると不服そうな顔をしておられます。
「ほら、やっぱり。無力を認めていたら不服そうな顔をするはずありませんものね(笑)」

2.あとは神にお任せとは?

あとは神にお任せとは、神様なら自分を健康な心に戻してくれると信じることです。
きっぱりと自分の無力を認めさえするなら、神にお任せすることは自然な作業となり、営(いとな)みとなります。

しかしありのパパは思います。
この地上ではだれ一人としてキッパリと自分の無力を認めることができる人はいないと。
皮一枚で繋がっている人がいかに多いことか!
実はありのパパもそのうちの一人です。
気が付くとすぐいい気になっている自分を認めないわけにはいきません。

だからこそ神は毎日の生活の中で「お前は治ってないんだぞ。ただ回復しているだけだ」ということを教えてくださっているのだと感じます。

3.ステップの1と2の関係

無力を認めることと、神様なら自分を回復させてくださると信じることはセットになっています。

この二つのものはあたかも車の両輪のように私たちの回復を導いてくれます。
信じるほうの車輪の調子が悪いと思ったら、自分が思い上がっているときです。

逆に無力を認めているにもかかわらず、自分が卑屈(ひくつ)になっているように感じるなら、それは神を信じることがお留守になっているからです。

私たちお互いは時々は「車の両輪の調子はどうか?」とメンテナンスをしたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

スポンサーリンク