強迫観念と短所と洗濯物リストでは取り扱い方が異なる

皆さんは12ステップに取り組んでいて混乱することはないでしょうか?
ありのパパにはあります。
たとえば強迫観念に対しては無力を認めるべきですが、性格上の欠点に対しては取り除かれることを求めなければなりません。

それが朝ごとの祈りと黙想の時間に「無力を取り除いてください」とか「性格上の欠点に対して無力を認めます」とか祈っている自分に気づくことがあるのです(笑)。

今日はもう一度これらの問題を整理します。

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1.強迫観念は無力を認めるべきもの

①強迫観念とは何か?

精神面での強迫観念と肉体面での渇望現象が依存症におけるふたつの問題です。
渇望現象とは一旦飲みはじめたら、ブラックアウトするまで飲むのを止めることができないことです。

強迫観念とは自分が依存症であることが分かっているにもかかわらず見え透いた言い訳をして初めの一杯を飲んでしまうことです。(狂気)

〇12ステップが効(き)くのは強迫観念に対してだけです。

②無力を認めることと、自分より大きな力を信じることはセットになっている。

もし「私は無力である」という告白に止まっているなら、それは諦(あきら)めと変わりません。
なぜ諦めるのかと言えば、それは甘えているからです。
「あの人が悪い」「こんなことさえなければ」と自己憐憫(れんびん)に陥(おちい)っているのです。

無力を認めるのは回復するためです。
なぜ回復するために無力を認めるのでしょうか?
それは無力を認めたら、解決のために自分以外の解決策を探すようになるからです。

鮮(あざ)やかに回復するためには自分なりに理解した神に直付(じかづ)けされる必要があります。
あたかもセメンダインでピッタリくっ付けるためにはゴミを取り除かないといけないようにです。
ちょっとでも自分の無力さを否認する心が残っていると、それがゴミになります。
そして自分に問題があるにもかかわらず、「神様の奴、ちっとも俺のこと治しやがらないな」と逆恨(さかうら)みをするようになるかもしれません。

2.短所は取り除かれることを求める

性格上の欠点とか短所と呼ばれるものは取り除かれるべきものであると12ステップは明確に教えています。
これを「人間だから仕方(しかた)ないよね」などと言ってはいけません。
もし私たちがスリップしてしまうとするなら、原因は短所を取り除く作業を怠(おこた)ったからです。

共同体に参加することによって問題行動が止まっていたとしても、それは一時的なものに過ぎません。
私たちが問題行動から永続的に解放されたいなら、どうしても性格上の欠点を神に取り除いてもらわなければなりません。
そうしなければ、病的に偏(かたよ)った性格と生き方のためにストレスがたまり、それが強迫観念という名前のスイッチを押すことになります。

今日一日だけ

『やりたいことをやらず、やりたくないことをやる』
やりたいこととは、使いなれた古いやり口を指します。
やりたくないこととは、あたかも新しい性質が与えられたかのように振る舞うことを指しています。

これらのことが短所を神に取り除いてもらう作業において私たちの側でなすべきことです。
この営みを「今日一日だけ」と自分に言い聞かせるようにして継続します。

3.ACの洗濯物リストは統合する

①洗濯物リストとはACにとっての強迫観念です。

アルコール依存なら強迫観念はひとつです。
すなわち飲酒欲求です。
これに対してACの強迫観念は一般的なものだけで13個あります。

しかもこれらの強迫観念はある特定の行動の裏に潜んでおり、明確には表に出てきません。
そのため私たちACは洗濯物リストに対して誤った対応をしがちです。

性格上の欠点ではないから、取り除かれることを願ってもなくなりはしません。
また、特定の行動の裏に潜んでいるから、無力を認めるだけでは問題は解決しません。

どうしたら良いのでしょうか?
その答えが統合作業です。

②統合作業において大切なことは二つ

ひとつは親替え

親替えが出来ていることが統合作業の前提です。

親替えとは生物学上の親から自分が自分自身の親に交代することです。
健康な人々はこんなことは言われなくても当たり前のこととしてやっていることです。
いわゆる親離れというものです。
健康な家庭に育たなかったACはこれを意識的・自覚的にやる必要があります。

具体的なやり方は「神は私を決して見捨てない。だから私も自分自身を決して見捨てない、決して諦(あきら)めない」と日ごとの祈りと黙想の時間に繰り返します。

もうひとつは個別的・具体的であること

13個のリストを眺めて、自分にもっとも当てはまるものから取り組んでいきます。
人々との孤立感が強いなら、孤立と孤独を分けて考え、孤独は受け入れて、孤立は改善できるところは改善していくという姿勢をとります。

これは要するに変えられないものは受け入れ、変えられるものは変えていく作業です。
強迫観念の中のどの部分が自分にとって変えられない部分であり、どの部分なら変えられるのかを知る賢さを祈り求める必要があります。

◎今一度、平安の祈りを唱えたいと思います。
「神様、私にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを!
変えられるものは変えていく勇気を!
そして、二つのものを見分ける賢さを!」
平安と祝福を祈っています。

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