「全く新しくなった!」「えっ、全然新しくなってないんですけど?」

「だれでもキリストを信じるなら、その人の心は全く新しく変えられる。もうそれまでと同じ人生ではなく、全く新しい人生が始まったのである。この新しい出発は、神がしてくださった」[コリント教会への手紙第二05:17,18](現代訳聖書)

5章17節の御言葉(みことば)は、聖句暗記をしようとする者なら誰でもが選ぶ暗唱箇所です。
ありのパパも少年の頃、大きな声で暗唱したものです。
その頃は現代訳聖書がまだ発行されておらず、新改訳聖書で聖句暗記を行いました。

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1.現在形と現在進行形のちがい

新改訳聖書には問題点があります。
新約聖書の原典はギリシャ語で書かれています。
聖書に使われているギリシャ語では現在形で記されていても、日本語に訳すときには現在進行形として記す必要がある箇所があります。
しかし実際には逐語訳(ちくごやく)原則に基づいて翻訳作業を進めたため、本来は現在進行形として訳さなければならないものを、現在形のまま訳してしまいました。

それで新改訳聖書では「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなった」と訳されています。
この翻訳を読んで、そのまま受け取ってしまったありのパパは大変悩みました。
なぜなら自分の心は新しくなった部分もあるが、ちっとも新しくなんかなっていないところも多くあったからです。

2.正確さを欠く翻訳を真に受けた結果は?

この場合の対応策はふたつ考えられます。

一つは自分を偽って「新しくなった!新しくなった!」と芝居をすることです(笑)。
この場合、人生を棒に振ることになります。

もう一つは「神の目から見て『新しくなった』と、神がみなしてくださるのだ」という理解に立つことです。
(これが教会の標準的な理解になっています)

しかし皆さんも既にお分かりのように、このふたつとも間違った聖書理解であり、信仰者として正しい見解ではありません。

3.「全く新しく造られた」の健全な聖書解釈

ありのパパの考える聖書に忠実な見解は以下の通りです。
このところの正しい理解は「誰でもキリストにあるなら、その人の心は全く新しく作り変えられる。その人を全く新しく作り変えてくださる神の御業がその人のうちに始まったのである」というものです。

どうでしょうか?
これであるなら、新しく作り変えられることの瞬時的な面と漸進的な面の両方を表すことができていると言えるのではないでしょうか?

4.12ステップとキリスト信仰の関係

12ステップはキリスト者の心が新しく作り変えられる為に神が備えてくださったプレゼントです。
ありのパパが12ステップに取り組むようになってから、具体的・実際的・霊的に心と生活が変えられ始めました。
12ステップ以前と12ステップ以後と明確に分けることが出来るほどです。

キリスト者から見ると罪であることを病であるとしていることや、キリストこそ神であると信じているのにハイヤーパワーという訳のわからない名前で神を呼んでいることなどが、教会やキリスト者個人が12ステップに取り組む際の障壁になっています。

しかしこれらのことはみな説明できることです。
ここでは説明を割愛しますが、他の日にご説明したいと願っています。
12ステップを依存症者だけのものにしておくのは大変もったいないことです。
罪の誘惑に勝つことができないために悩みと苦しみの中にあるキリスト者にこそ12ステップに取り組んでいただきたいと願っています。

◎平安と祝福を祈っています。