「立ち上がる」ことと「歩く」こと。「始める」ことと「続ける」ことのちがい。

(ドロップ ザ ロックp39)

ここには私たち依存症者を外部の冷静な目を持った方がどのように見ておられるかが記されています。
「立ち上がる」ことも「始める」ことも、それは瞬時的な面を現しています。
これに対して「歩く」とか「続ける」は漸進(ぜんしん)的な面を現しています。
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えます。

スポンサーリンク

1.立ち上がるとは?

立ち上がるとは問題行動を止めることです。
歩くとは問題行動を止めた後の日常生活であり、人生を指しています。

アル中が再飲酒をせず、性依存症者が性的依存を繰り返すことをせず、怒り依存症者が癇癪(かんしゃく)を爆発させないことは、それだけでも素晴らしいことです。
しかしこの話には先があります。
それは問題行動が止んでいるというところで回復が止まっているなら、必ず問題行動の再発が待っているということです。

2.歩くとは?

問題行動を再発させないためには性格上の欠点を神に取り除いていただくことが絶対に必要です。

性格上の欠点が私たちをして依存症に陥るようにさせました。
これを放っておくと、性格上の欠点が強迫観念のスイッチを入れる圧力となってしまいます。
ですから、そうさせないために性格上の欠点・短所を神に取り除いていただくことが必要です。

〇立ち上がるとは問題行動に取り組むこと。
歩むとは性格上の欠点・短所を神に取り除いていただく日々の歩みを指しています。

3.始めるとは?続けるとは?

始めるとは依存症者が共同体に参加することを指しています。
続けるとは文字通り、共同体に参加し続けることを意味しています。

初めて参加する大抵の方は依存症によってボロボロになりつつも、愛想笑いを浮かべているものです。
しかし12ステップに取り組むことによって依存が止んでくると、段々と愛想笑いがなくなってきます。

代わりに他の参加者を裁くようになります。
この「裁いている」という感覚があれば、まだ救いはあります。
しかし大抵は「私は会のことを思って、あの人のことを思って助言している」と思い込んでいます。
そしてギトギトの正義感を振り回します。
(もちろん、その正義感は支配欲求から出ています)

その結果、本人がそのミーティングから離れたり、その人との間にトラブルが起きた人が離れたりします。
なぜこんなことが起きるのかと言えば、始めることと続けることの違いをわきまえていないからです。
始めるのは誰でも出来ます。
しかし続けるのは至難(しなん)の業(わざ)です。

ではどんな点を気を付ければよいのでしょうか?

4.自分自身の回復に焦点を当て続ける

すべての人は自らが回復するためにグループに参加します。
しかし時が経つと、どういうわけか人様のことが気になり出します。
これが命取りになります。

「しらふ」を保つために共同体に参加したのにもかかわらず、口を開けば「サービスがどうの」「共同体の一致がどうの」という言葉がでてくるようになります。
このこと自体は大切なことですが、自分のソブラエティー(しらふ)を維持すること以上に大切なものではありません。

AAの創設者であるビル・ウィルソンが述べたように「一人の依存症者が回復し、その回復をいまだ苦しんでいる依存症者に伝えていくという、きわめて単純な構造をもっている」のが共同体です。
自分自身の回復から焦点をずらすことは、このきわめて単純な構造を崩(くず)してしまうことになります。

5.支配欲求をある程度手放す

共依存(きょういそん)から支配欲求が出ている場合もありますし、恨みから支配欲求が出ている場合もあります。
ある場合には万能感から支配欲求が出ていることもあります。
これは人それぞれです。

しかし、どんな場合でも度の過ぎた支配欲求は有害な影響を共同体と他のメンバーに与えます。

ACにとっては支配欲求は強迫観念になっている場合もあります。
そのような場合は支配欲求のスイッチを入れないように心がけます。

「ある程度」と書いたのは支配欲求を無くすことなど出来っこないからです(笑)。
私たちに可能なのは支配欲求のスイッチを入れないことだけです。

◎平安と祝福を祈っています。