自分が救われていることを知ることができます!

「確かに肉体を持ってこの世に生きている間は、いろいろな悩みや苦しみがある」〔コリント教会への手紙第二5章4節〕(現代訳聖書)

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1.天国を待ち望むのは現実逃避ではない

信仰を持てば一切の悩みがなくなると、聖書は言っていません。
聖書は「確かに肉体を持ってこの世に生きている間は、いろいろな悩みや苦しみがある」と述べています。

このことは私たちにとって大きな慰めです。
問題があるからこそ嘆きも涙もない天国を待ち望むのです。
この「待ち望む」という生き方が、現実の問題に対して忍耐する力を私たちに与えます。

2.復活の保証として御霊(みたま)

天から与えられた新しい体とは『もう二度と死なない体』であり、復活の時に与えられる『霊的体』を指しています。
この新しい体が与えられるのは、神の恵みによるのであり、その保証として神は私たちに御霊をくださいました。

御霊は聖書の他の箇所では『聖霊』とか『助け主』と呼ばれています。

3.御霊の内住を知ることができる

ある人々は「御霊が与えられていても、それを感じたり、知ることはできない。ただ信仰によって『与えられている』と信じるだけだ」と教えます。

しかし、このような教えは今日の聖書箇所と明らかに矛盾しています。
なぜなら聖書には「保証として御霊が私たちに与えられた」と書かれてあるからです。
与えられていることを知ることができなければ、どうしてそれが保証になるでしょうか?

いいえ、決して保証になることはできません。
保証が与えられていると知ることができない保証など空手形(からてがた)に過ぎません。

聖書の正しい理解とは、どのようなものでしょうか?
それは「御霊が与えられていることを私たちは知ることができる」という理解です。

4.御霊の証(あかし)は神による受容体験を提供する

a.御霊の証とは何か?

多くのキリスト者は自分が神と繋(つな)がっているとは感じていません。
繋がっているどころか、切り離されていると感じていると言っても良いかもしれません。
これが現代キリスト教の大きな問題のひとつです。

この大きな問題の解決は、救いの確信が神様によって直接与えられることによります。
これは『救いの確信』とか『御霊の証』と呼ばれているものです。

b.神が与えてくださる受容体験とは?

ありのパパの40年間の信仰生活の中で、はっきりと分かったことがあります。

それは救いの確信が心に与えられると、人は自分が神に受け入れられていることを永続的に体験するようになるということです。

事実、ありのパパは自分が神に受け入れられているということを疑ったことがただの一度もありません。
どんなに罪深く、誘惑に負けやすい自分であっても、変わらずに神に受け入れられているという実感です。

自分が神に愛され、神は私の味方であり、神が私を守っていてくださるという感覚に満たされているのです。
このことはアダルトチルドレンであるありのパパの回復にとってどれだけ大きな助けになったか分かりません。

5.救いの確信はどうしたら与えられるか?

この教えを明確に宣(の)べ伝えたのは18世紀英国を流血の革命から救ったとされるジョン・ウェスレーです。
この説教をしたことで、彼は熱狂的な反対に巻き込まれましたが、同時に真に生まれ変わった多くのキリスト者を生み出しました。

ウェスレーは「与えられるまで瞬間瞬間求め続けよ」と言いました。
ありのパパも少年時代に与えられるまで求め続けました。
そうしたところ3~4ヶ月で与えられました。
それ以来、ただの一度も救いの確信は失われることはありませんでした。

◎求め続けるなら『御霊のあかし』は与えられることができます。
平安と祝福を祈っています。

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