承認を求める過程で、自分を見失った。

「承認を求めるあまり、その過程で自分が無くなってしまい、自分が誰か分からなくなってしまった」

これは洗濯物リストとか問題リストと呼ばれる中の二番目に書かれてあることです。

今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えます。

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1.健全な家庭環境で育つとはどういうことか?

それは「あなたはありのままでいいんだよ」と言われて育つことです。
もちろん完全な受容体験はこの地上にはありません。
なぜなら受容しようとする側(両親)も不完全な人間ですから、完璧に受容することなどはできることではありません。

また受容される側(子供)も不完全な存在であり、受容されているにもかかわらず誤解して受け取るということがあります。

たとえば母親がアル中で自分は愛されずに育ったと思い込んでいる人がいたとします。
しかし、ご自分の生育歴をたどる中で母親が依存症のためにフラフラになりながらも自分の食事を作ってくれたことを思い出しました。
そうすると、その方は「自分は愛されていないと思っていたが、そうではなかった。母は病気であったにもかかわらず、懸命に自分を育ててくれたのだ。ありがたい」という感慨(かんがい)に導かれました。

2.虐待家庭や養育放棄家庭で育った場合

次のようなケースが往々にしてあります。

自分は愛されて育てられたと思い込んでいたが、そうではなかった。
叩(たた)かれたのは自分が悪さをしたからだと思っていたが、実は両親によって虐待されていたのに過ぎなかった。
それを両親はお為(ため)ごかしに「お前のためを思って、折檻(せっかん)しているのだ」とごまかしていた。
このようなケースでは明らかに法律に触れる行為すなわち虐待である場合もあります。

このような家庭で育つと、受容体験を全く味わったことがないまま子供時代を終えることになります。

3.受容体験を持たないまま大人になるとどうなるか?

その人は大人になってからも無意識のうちに承認されることを追い求めるようになります。

承認を追い求める行為自体は悪いことではありません。
ただ、度が過ぎると人生に悪影響を及ぼします。

4.ACがキリスト者になると、どうなりがち?

AC(アダルトチルドレン)がクリスチャンになると、熱心な信仰者となり、模範的な教会員として生きていくようになります。

これの真の原因はその人のうちにある承認欲求です。
しかし遅かれ早かれ行き詰まります。
なぜなら承認は人から与えられるものではなく、神から与えられるものだからです。
「こんなにやっているのに、誰も認めてくれない。きぃ~!」

5.どうしたら承認を得られるか?

a.絶対的な承認

本当の承認を与えてくださる方は神以外におられません。
ただ神だけが私たちに「そのままでいい」と承認を与えてくださいます。

b.自分が自分自身に与える承認

「神が私を承認していてくださる」というところに止まっていてなりません。
なぜならそれだけでは不十分だからです。

次の段階に進む必要があります。
それは私が私自身に与える承認です。

「神は私を見捨てないし、見放さない。だから私も私自身を見捨てないし、決してあきらめない」

これをコツコツと毎日の祈りと黙想の時間ごとにやっていきます。
そうすると必ず他人からの承認に頼らない自分になっているのを気づくときがやってきます。

◎平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    御早うございます。

    なんか今さらですが、目から鱗です。
    「自分が自分自身に与える承認」、私は

    1、なんか失敗をやらかして、自己嫌悪に陥った時
    2、切羽詰まって、全てのことか多くのことを投げ出したくなった時

    などの時に用いる必殺技にしていたのですが、考えてみれば必殺技にする必要はどこにも無いですね!!

    「寝る前の感謝5つ」のように、さっそく実践したいと思いました。
    (↑他のことにも取り組め!?←自分ツッコミ)

    • ありのパパ より:

      おはようございます、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      お早いですね。ブログを投稿して一時間あまりでコメントが付くとは!
      何でも早く出来る人には 、私は尊敬の念を抱きます。
      人生の勝利者っていう感じでしょうか。

      マッキーさんの今日一日が主にあって守られ、祝福されたものであることを信じ、感謝をいたします。

      またコメントしてください。お待ちしています。